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”19世紀の港町”を歩く〜ミスティック・シーポート

2016-07-24 | アメリカ

「ミスティック・シーポート」を、海事博物館だと直前まで思い、
そのため2時間もあれば十分だろうとタカをくくって入ったわたしです。
さすがに現地に着いてみると、外から見ただけでもこれは室内に展示してある
パネルや現物をみるのではなく、まるでハウステンボスのようなテーマパークらしい、
と気づいたため、受付の人に

「あと30分まてば料金が半額になりますが、どうしますか」

と聞かれましたが、一日料金を払ってすぐに入園しました。



古い時代の船が、すべて現役で繋留されています。
メンテナンスを開園時(1949年)から繰り返し、帆船なども
未だにすべてが航行をすることが可能です。




入園してすぐ目につくこの船、「ローアン」(浪人と読んじゃった)。
1947年に建造され、カレイやタラの漁を行っていました。
1970年に廃業したため、ミスティックシーポートが引き取り、
2009年に完璧に改装されました。




皆さんはディズニーシーに行ったことがおありでしょうか。
あの、SSコロンビアの周りとか、ケープコッドと言われるエリア、
あの街が「つくりもの」であると我々は知っているわけですが、
雰囲気はあのままで実際にアメリカの古い時代(19世紀)に建てられ、
実際にここミスティックという港町で人々が生活していた街並みが
そのまま再現されているのが「ミスティック・シーポート」です。

ここは食料品と鍋釜の類を扱っていた店。
店頭にネイティブアメリカンの女性の木彫りがありますが、
これはここミスティックに先住していた、「ピクォート族」だと思われます。



入ってすぐ、広大なレストランがあるのですが、我々が入園してすぐ
店じまいをしてしまいました。

道に沿って歩きながら、そこに立ち並ぶ建物を一軒一軒覗いていきます。



映画でしか見たことがない、19世紀の学校。
日本の寺子屋のように、たった一つの教室しかなく、ここに
全学年が勉強していたと言うことなのでしょうか。

昔読んだ古いアメリカの小説で、「友達の石板を割った」とかなんとかいう逸話が
出てきた記憶がありますが、このころはノートではなく石板で勉強していたかもしれません。



黒板は長年の使用の果てにチョークが染み込むように
ザラザラの凹凸のある表面に付着しています。
ここで学んだ子供達は、すでに人生を終え、誰一人この世にいません。

この学校はさすがに小さすぎて古いと現場からリフォームの依頼が出されました。
1882年の日付で残っているその請願書によると、

「小屋は粗末で、黒板は小さく、使いすぎてもう使用に耐えない」

これに対するコネチカット州の役所のコメントは、

「他の学校も大抵はこんな哀れな(ミゼラブル)状態で、設備はもっと悪く、
快適とは程遠いのです。屋外トイレのないところもあるのです」

学校の改装計画はまず安い建物を手に入れて学年ごとに生徒を分けること、
運動場をつくること(子供達の健康のために木陰と水が飲めることが必須だった)
から始めなければなりませんでした。

教育の重要さを説く人によって議会に学校の敷設をすることを承認させ、
マサチューセッツに高校(ハイスクール)ができたのは1830年のことです。



ニューイングランド全体で教科書というものが制定され、教師という職業ができたのは
1850年で、しかししばらくは学校とはこのような狭く暗い教室しか持たないのが実情でした。

この教室はコネチカットのグリムズワードというところにあったものですが、
ミスティック・シーポートができた1949年にここに移転されました。



柵には十字があしらわれています。



と思ったらやっぱり教会です。
墓石の下にはさすがに誰もいないと思いますが・・・。
アメリカのお墓は、古いものはこのように傾いてしまっていたりします。



礼拝堂もヨーロッパや、ボストンに残る壮麗なものでなく、
本当に簡素なつくりで、オルガンだけが立派です。

ここにはエンドレスで牧師の説教が流れていました。
全部で8分間のもので、1843年の7月31日、ミスティックのこの教会で
実際に牧師が行った説教を再現したものだと言うことでした。



写真の男女はどちらもブラウン夫妻で、この「フィッシュタウン教会」のために
土地を寄付した資産家であったようです。

右下の牛を追っている男の写真には、

「怠け心は悪魔の遊び場」

という、実に耳の痛いタイトルとともに信心をもって働くことの
尊さみたいなのがざっと書かれています。



1835年、時の大統領ジャクソンは、ホワイトハウスの「グリーンハウス」に
レモンの木と南国の花を植えたとされます。
これがきっかけで、普通のアメリカ人の間に「パーラーガーデン」と呼ばれる
小さな、しかし色とりどりに咲く花をあしらった庭をもつことが流行りました。

ガーデニングがアメリカで始まったきっかけだったわけですね。



1760年からコネチカット州にあった「農家の家」。
こういう古い家の宿屋に昔泊まったことがありますが、なんというか、
昔のアメリカ人も低い天井の狭い部屋にすんでいたんだなあという感じです。



天蓋のあるベッドや家具などはおそらく集めてきたものだと思われます。
室内はなんとも言えない「古い匂い」がしました。



アンティーク家具の好きな人には垂涎の眺めですが、実際に
この家に住んでみたいか、というと、とても快適そうには見えません。
アメリカ人がソファーでくつろぐようになったのは近年のことではないでしょうか。



別の部屋に行ったら男性が二人作業中でした。
しょっちゅうこのように展示には手を入れて保持しているようです。



港を歩いてみましょう。(シーポートですから)

この船は「エマ・C・ベリー」というなまえの「ウェルスマック」船です。
ウェルスマック船というのは漁船で、船体の中央部に生簀を持ち、
生簀の海水は外と循環させる仕組みになっているものでした。

イギリスでは1700年代からこのタイプの船があったのですが、
この船ができたのは1866年のことです。



船着場には帆船が繋留してあります。
この船は「チャールズ・W・モーガン」
1841年に建造された捕鯨船です。





この帆船のマストが最初からこのように見えていたのですが、
よくよく見ると、人が登っているではないですか。



まさか、見物客にマスト登りを体験させてくれるのか?とこのときにはびっくりしたのですが・・。



あとでこの帆船に乗ってみたら、この人たちが楽器を演奏していました。
曲はなんとも言えない昔の、19世紀の船乗りの歌、と言う感じでした。
なりきりスタッフなのか、実際の船員なのかはわかりません。



帆船の内部。改装されて間もない感じがします。



ジャック・スパロウがこんなところで寝起きしていたと言う感じ。
鳥かごがあるのは「片目片足の船長と鸚鵡」のイメージからでしょうか。



ヘンドン・チャブという「生涯海を愛した男」を偲んで、
この港には「チャブズ・ワーフ」という名前が付けられているそうです。

誰だろうと思って検索してみたら、今年1月に亡くなった

夫、父、祖父、兄弟、芸術家、作家、心理学者、愛犬家、エール大学卒業生、
ラグデザイナー、500の会社のディレクター兼CFO、名誉ガールスカウト、
庭師、アメリカソテツ協会の役員、ワイン醸造業者、元軍人、
市民権の選挙監視人、
早期のプログラマ、フランスの恋人、平和を愛し正義を愛す人、詩人。

だったそうです。なんじゃこりゃ。




ミスティックリバーの向こう岸の家。
おそらく一階は「ボートハウス」なのではないかと思われます。
海を愛する男なら、こんな家がドリームハウスだったりするんでしょう。


 
「ジョセフ・コンラッド」はデンマークで1882年に建造されました。
1934年からプライベートヨットとして世界を回った船です。
その後は練習船となり、1945年に退役、現在は改装されて訓練船として現役です。




続く。