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コーストガード・アカデミー(米国沿岸警備隊士官学校)

2016-07-13 | アメリカ

原子力潜水艦「ノーチラス」に行く道をグーグルマップで見ていて、
ふとニューロンドンのテムズ川沿い、潜水艦基地のほぼ対岸に
コーストガード・アカデミーがあるのに気付きました。

コーストガード、すなわち沿岸警備隊の士官養成学校です。

沿岸警備隊はアメリカにおける「第五の軍」という位置付けであり、
ちゃんと軍組織としての系統によって成り立っています。
ただし、この「第五」という意味は「準軍事組織」を意味するものでもあります。

アメリカという国が「うまい」と思うのは、沿岸警備隊だからと言って
何処かの国のように別の階級を作ったりせず、陸海空海兵隊と全く同じように
士官の階級もアドミラルから始まって准士官以上は大統領名で任命されることです。
第五の軍でも軍組織と同様に国が扱うことは、その団体の士気と誇りにつながります。

まあ、国のために命をかけることが存在意義である自国の軍組織に向かって、


「うちが政権とったら憲法違反のおめーらは廃止するけど災害の時には当分利用する」

と言い放つ党首がいるような何処かの国だけがきっと異常なのでしょうけど。

恣意さん(仮名)は、こんなことまで政治家から言われる自衛官、自衛隊員たちの
士気とかプライドについて、一度でも思いを巡らせたことがあるのでしょうか。
 



さて、さらにコーストガードアカデミーのところに「コーストガードアカデミーミュージアム」

という表示を目ざとく見つけたわたしは、さっそくHPを探してみました。 

すると、学校の中にあるその博物館は、一般に公開されているけれど、外国人は

前もって見学を電話でキュレーターに申し込んでください、とあります。

電話をするとジェニファーというキュレーターの女性は、メールで連絡を取るようにいい、
そこで翌日の見学を申し込むと、

「 明日は”ニュー・カデット”が午前中見学に来て忙しいので、
明後日の方がいいかもしれない」

ニュー・カデット、つまり新士官候補生のことですね。
今はまだ入学時期ではないはずなので、9月に入学してくる
未来の士官候補生たちがオリエーテーションでも行うのだろうか、と思ったら、
あとでHPを見ると、よりによってこの日は、2020年クラス、
つまり今年入学の学生だけでなく、彼らの友人や家族が学校を見に来る、
オープンキャンパスのような特別な日だったみたいです。

そこでわたしたちは、先に潜水艦博物館を見学したというわけです。

開けて次の日、わたしたちは昨日と同じ道を通ってニューロンドンに向かい、
テムズ川の川向かいにあるコーストガードアカデミーに到着しました。
対応してくれたジェニファーさんとの待ち合わせは10時半。
コーストガードでも海軍5分前というのがあるのかどうかは知りませんが、
ナーバル関係であれば時間厳守は基本、待ち合わせているのに遅刻は絶対になりません。



「国旗が見えてきた」

「いよいよですなあ」

一応交通事情で遅れるかもしれない、とは言っておきましたが、
実際にはこの門の前に着いたのは10時20分でした。



おおここが間違いなくコーストガードアカデミー。
1876年、マサチューセッツのベッドフォード設立されたときには

Revenue Cutter Service School of Instruction 

という名前でした。
Revenueというのは” 税収”という意味がありますが、どういうことかというと、
もともと沿岸警備隊が税務省の傘下にあった、

United States Revenue Cutter Service」(税関『艇』局)

という組織であったからです。

で、この"revenue"、「税収」がなんでコーストガードの最初の名前についていたかです。


アメリカは独立戦争後、大変脆弱な状態でした。

独立の燃えるような興奮は、いきなり冷たい現実に直面します。
建国の父も空っぽの歳費で政府を創建せねばなりませんでした。
それどころか戦争で70万ドルの借金が残っています。

政治的独立を確保するためには財政的な独立をせねばなりませんが、
駆け出しのアメリカ経済は途方もないプレッシャー下にありました。
頼みの綱の植民地経済も、
商船が弱体化してしまっているので動きません。
さらには生産業もまだ未熟で、国内には輸入品ばかりが溢れている状態でした。


ここで登場するのがアレキサンダー・ハミルトンという財務省の長官。
日本人には馴染みがありませんが、アメリカ人なら誰でも知っているの建国の父の一人で、
この時期の経済を立て直し、憲法を実際に起草した人です。

この人の考えた大胆な経済政策とは、外国とアメリカの商品、
そして船舶に関税とトン数による税金を掛けて税収にすることでした。
つまりこれによって税収と国内産業の保護を一気に推し進めようとしたのです。

そこでハミルトンは議会に10のカッターを購入することを要求し、その乗員である、
80人の成人男性と20人の子供(!)からなる艦隊に関税と税金をかけました。

このカッター艦隊には名前がなく、

「The cutters」「revenue cutters」
「system of cutters」「revenue marine」

などと呼ばれていましたが、
1863年に正式に

「Revenue Cutter Service」

という名称になったというわけです。


その3年後には専門の乗員を養成する学校が生まれたのですが、それが

「Revenue Cutter Service School of Instruction」


という名前になった、ということなんですね。


つまり「税の徴収が目的で作られた船」という意味だったということになります。


さて、そしてゲートに到着したわたしの運転する車。
ジェニファーからは、


「正門を入るときにミュージアムに来た、と言わないと入れてくれないから」

と言われていたので、ドキドキしながらチェックを受けます。
前もって言われていたので、パスポート持参で来たわけですが、
免許証を見せてください、と言われてわたしが国際免許を見せると、

こんなんじゃなくて、あなたの国の免許証」

と言われました。

・・・・・デジャブかな?

最近全く同じやり取りを、川の向こうで24時間以内にした覚えがあるなあ。
それなら懲りもせず役立たずの国際免許をなぜ見せたし、という説もありますが。

二人の警衛がいましたが、国際免許の代わりに国内免許を渡すと、
受け取った方がもう一人に

「チャイニーズキャラクターで書かれてあっても読めんわw」

と小さな声でぼやいていました。
ごめんよ役立たずの免許証で。

二人ともパスポートを見せ、同盟国から来た観光客であることを無事証明すると、
通路に沿って突き当たりまで車で行くように指示されました。

「案外緩い感じだね」

「まあ、学校組織だし

言いながら、ゆっくりと校内を車で進んでいきます。



なんて優雅な渡り廊下なんでしょうか。
風格があってエレガント。

まるで古い大学か図書館のようですが、軍関係の教育機関なので
ところどころに古い銃が飾ってあったりします。



中庭を通して向こうには学生舎らしい窓のたくさんある建物が。
幾つかの窓は開いているので、どうも中に誰かいるようです。


ちなみに今の学校名ですが、1914年に、「Revenue Cutter Service School of Instruction」
から「Revenue Cutter academy」となり、翌年に、「救命部隊」と合併して
「コーストガード・アカデミー」になり現在に至ります。

 ようやくここで「Revenue Cutter」の名前から逃れられた?というわけですね。



進んでいくと、なんと、カデットたちが訓練中だ!

、訓練してるよ〜!写真!写真撮りたい〜!」

あせっておろおろするわたし。
たった今車を止めてデジカメを望遠レンズつけたNikon1に持ち替えたい、
そしてアップにしてカデットを撮りまくりたい、とこの瞬間どれだけ切望したことか。

しかし、一応軍学校の訓練を車を停めて見たり、望遠レンズで写真を撮っていたら、
しかもそれが怪しい東洋人だったりしたら、どこからともなく怖い人がやってきて、


ちょっとこちらへ・・・」

と別室に連れて行かれてあれこれ尋問されるのではないか、
という懸念がふりはらえず、結局はのろのろと車を動かしながら
デジカメで一枚写真を撮るのが限界でした。

後で考えたら、別に車を止めるくらいは良かったんだろうなあ。



20人くらいが小隊となって、順番に訓練を行っている模様。



アップしてみる。
ネイビー一色の作業服、これはいいものですねえ。

遠目に見ても女性が混じっているのがわかります。

ちなみに、現在のコーストガードアカデミーの校長は
メリッサ・リベラ大佐というヒスパニック系の女性です。

もともと5人から10人が1クラスであったという士官学校ですから、
いまでもそんなにたくさんの学生がいるわけではないようです。
食堂のおばちゃんが毎日全員にクッキーを焼けるくらいしかいない、
と何処かで読んだ気がしますが、学生7人に対して教師は一人、
1クラスが14人というのがいまの平均値だということです。

防衛大学校のように、ここでも隊の制度が取られていて、
アルファ、ブラボー、チャーリー、デルタ、フォックストロット、
ゴルフ、ホテルという「カンパニー」に分けられるということです。

わたしなら「ゴルフ」とか「ホテル」に配属されたら少しがっかりするかもしれない。



こちら銃を持ったまま「休め」の人たち。
二人の「教官」が彼らの姿勢をチェックしています。



突き当たりまで行け、と言われても、広すぎてどこが突き当たりかわからないんですが。
とにかく駐車場らしきところに来たので車を停めて降りてみました。

浮灯台みたいなのが飾ってあります。
鐘らしきものに「 USL」と「1936」という文字が刻印してあります。



日本で何処かを訪問するという話になると、必ず駐車場の確保を申請したり、
車のナンバーや車種を申告したりという面倒な話になるものですが、
アメリカのありがたいところは都市部以外基本車の駐車にお金がいらないことです。

まあ、どこにいっても土地が余るほどあるからですね。

これなら、士官候補生も自分の車を置いておけるのではないかと思われます。



これもわからないけどきっと船に関係ある灯に違いない。


 
米国沿岸警備隊士官学校、と書かれた建物。
ここに博物館があるにちがいない!と見当をつけ、入っていくことにしました。 

時に時間10時25分。
きっかり海軍5分前に現場に到着したわたしたちです。

さて、ここではどんな体験が待っているのでしょうか。


続く。