イスラーム勉強会ブログ

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続)ムスリムの子ども教育-20-思春期の子ども達とのかかわり方(11)視聴者からの質問4

2020年06月09日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

 

続)ムスリムの子ども教育-20-

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生17」(34:44~46:00)

https://www.youtube.com/watch?v=b13M2hUECcU   

前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。

 

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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(11)視聴者からの質問4

 

※思春期:

医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)

イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」

※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。

 

番組に寄せられた子どもからの質問:「前回の父親を憎んでいるA君からの手紙を聞いて電話しています。僕も、父のことが大嫌いでした。昔から両親の喧嘩が絶えず、父と母が争っているのを見て、ある日、母に同情するあまり、父に反抗的な態度を取ってしまいました。

父はまもなくして、交通事故で急死しました・・・。父の生前、自分は父にとって、反抗的で親不孝な息子だった。特に、あの日、父に対してとったひどい言動を思い出すと、悔やんでも悔やみきれない後悔の念に苛まれます。父が亡くなってしまった今、もう父が、自分の罪を許してくれる方法はないのでしょうか。」

 

先生の回答:あなたのその「後悔」の念が、すべてを可能にするでしょう。誠実な悔悟には、後悔の念が伴います。あなたが、自分の行いを反省し、アッラーに悔悟し、赦しを乞うことが、お父様への償いの第一歩であり、自分の罪が赦されないかもしれない、という不安を拭い去ります。お父様がすでに亡くなっていても、です。

 

まず、お父様が亡くなった後、あなたの前には、たくさんの親孝行の扉が開いています。お父様の墓を訪問すること、お父様のためにドゥアーすること、クルアーンを詠み、その報償をお父様に贈ること、お父様への報奨となるように、というニーヤ(意思)でサダカをすること、ハッジやウムラ巡礼を、自分の義務を遂行した後、お父様の代わりに行うこと、お父様のご親戚や血縁関係のある人達と良いつながりを持つこと、彼らを訪ね、近況を聞き、彼らに孝行すること、お父様のご友人や同僚達に良くすること、こういったお父様への親孝行は、お父様のところに届き、お父様がそれらを感じます。お父様の墓の前に立ってサラームを言い挨拶したら、お父様はあなたにサラームを返し返事をし、あなたのことを感じます。お父様の魂は、あなたの気持ちを感じます。

 

前回の父親を抹殺してほしいというA君の手紙の後、こうして同年代の彼から、父親を亡くした体験が寄せられたことには意味があります。どんなに親を憎んでいても、親は親であり、親の本当の価値は、亡くなって初めて気付くものだ、ということを、彼の体験は伝えてくれています。親の権利は、とても大きいものです。もし、今、A君がこのテレビを見ていたら、もしくは、この社会に存在する、A君と同じ気持ちを持っている大勢のA君達がこれを見ていたら、伝えたいことがあります。

 

もちろん、あなたのお父様は間違いを犯しました。あなたをこんな気持ちにさせるほど、とても大きな間違いを。しかし、あなたは、お父様と関わり合うのではなく、アッラーと関わり合っています。アッラーと関わり合う以上、親には、それがどんな親であっても、自分を害する親であっても、間違いを犯している親であっても、親というものには権利がある、ということを知っているでしょう。もちろん、親に間違いを犯す権利がある訳ではないので、親があなたにしたことは、アッラーがすべて清算してくださいます。ただ、そういう親であっても、あなたにとって、親というものは権利を有している、ということです。

 

あなたは実はお父様のことが好きなのです。静かに自分の内面を見直してみるとわかるでしょう。あなたは、決してお父様を嫌っていない。もしお父様が亡くなったら、最初に涙を流すでしょう。あの手紙は、あなたがいかにお父様を愛していて、それゆえお父様の言動によって深く傷つけられていることが表現されていました。繰り返されるお父様の言動により、大嫌いだ、と叫ばざるを得なくなった、しかし、それは本心ではありません。お父様が嫌い、というその幻想から抜け出してみることです。そこでわかる事は次の3つのことです。

1.自分がお父様のことを愛していること

2.お父様はあなたの権利を侵害し、間違いを犯したこと

3.その間違いは、修繕可能なこと

 

お父様に静かに話しかけてみたことはあるでしょうか。「お父さん、お父さんのことが好きだから、嫌いたくない。でもお父さんから○○や△△と沢山聞かされて、疲れてしまった。もちろん自分は間違いを犯すから、どうか忠告してほしい。でもその時、お父さんは、僕を破壊するために言ってるんじゃなくて、僕のためを思って言っているんだってわかるようにしてほしい・・・」こういう話し合いを、ぜひお父様としてください。もしそれでもお父様が頑固で、あなたのことを受け入れなかったら、お父様の間違いによって築かれてしまった壁を、お父様の感情に訴える「愛情」によって打ち壊していってください。その「愛情」の道具は、お父様に対して誠実であること、優しくすること、気に掛けること、尽くすこと、愛情表現をたくさんしていくこと、あなたはお父様から愛情に基ずく誠実な関係以外何も求めていないのだ、とお父様が確信するまで、それを続けてください。

 

司会者「彼が父親のことを愛していて、もし死んだら一番に泣くのは彼だというのは同感です。それに加えて、父親の方も息子のことをとても愛しているはず、ただ、自分の息子が一番になってほしい、と思っているはずで、、もし息子が死んでしまったら、一番に泣くのは父親でしょう。」

 

先生「あなたの言葉によって、ひとつの問題が浮かび上がります。私たちはどちらか一方の死を待たなければ、愛情を表現できないのだろうか、という問題です。なぜ普段から、父親が息子に、「大好きだ」と伝え、息子が父親に、「大好きだ」と伝えられないのでしょう。どちらかが死ぬまで、自分の愛情を秘めておかなければならないというのはどういうことでしょうか。いつも母親が娘に「大好き」と言い、息子が母親に「大好き」と言う、簡単なことを、なぜ災難が来るまでせず、愛情表現に「ケチ」になってしまうのでしょう。父親が事故に遭い、息子に事故にあって亡くなるまで、お互いの愛情を表さないのでしょうか。いつも親に対し、子どもに対し、愛情を表しているべきです。

 

何度もご紹介した通り、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ご自分の子どもにも親戚の子どもにも全ての子どもに、常に大きな大きな愛情を惜しみなく注ぎ、それを伝えていました。男たるもの感情的になるべきではない、などということはまったくありません。誰が自分の子どもに対する愛情を秘めておくことが男らしさの象徴だと言ったのでしょう?!感情的になって愛情を伝えることを女々しいという価値観はどこから来たのでしょうか?!預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、大人にも子どもにも感情豊かに愛情を伝えていました。愛情表現に関し「ケチ」になることはありませんでした。

 

司会者「もし親が息子にひどい言動をしたとしても、息子が親孝行の徳を知り、その大きな報償を知って親孝行をしたならば、彼にはアッラーからのすばらしい報奨がありますよね。」

 

先生「そうですね、あなたの言葉は、先ほどのA君への言葉です。

A君、そして、この社会に存在する大勢のA君達、あなた方の前には2つの選択肢があります。ひとつは、親に対する怒りを持ち続けるという道、そしてもうひとつは、この問題を解決する道です。

 

もし怒りを継続する道を選んだとしたら、あなたはそれによって疲弊し、苦しめられ、親との最悪の関係を続け、親子関係を破壊します。もうひとつの道は、これを解決すると決意する道。さぁ、どうやって解決するのでしょうか。まず最初の解決策は、自分に対し誠実になることです。自分自身に話しかけます。あなたはアッラーのしもべです。あなたにはあなたの主がいます。親と自分という双方向の関係だけではなく、3つ目の存在があり、その存在との関係性があります。親子関係を包括する3つ目の存在があり、アッラーとの関係があります。

 

あなたはアッラーとの関係を築いていて、アッラーが自分に満足してくださることを求めています。アッラーはあなたに対して試験を与えました。アッラーのご満足を、あなたの親があなたに満足することに結びつけたのです。そして、親不孝は、シルク(アッラーと並べて何かを崇拝すること、偶像崇拝)に続く大罪となさいました。

 

【17-23.あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。】

 

このことは、アッラーがあなたに運命づけた物です。あなたが、あなたの親を選んだわけではありません。アッラーがそれをお決めになりました。この言葉は、多くの子どもにとって耳が痛く苦しい言葉だと言うことはわかっています。しかしこれは事実で、私たちはこのことを知っておく必要があります。そして、驚くかもしれませんが、これはあなた達にとって必ず善いことです。アッラーがあなた達に運命づけたことは、必ずあなた達にとって善いことだからです。なぜなら、この関係によって、あなた自身の自我の形成が促進され、自分自身の成長につながります。例え父親が間違いを犯しても、その間違いが耐えられないほど甚大な被害をあなたに与えたとしても、その関係をあなたが作り直す必要があります。自分の中の自我に打ち勝たなければなりません。どうやって自我に打ち勝つのでしょうか。

 

あなたを破壊した父親に対して、アッラーに対する振舞いをしていくこと、アッラーを目的にして行動して行くことです。アッラーを目的にして行動する以上、父親からの反応はまったく期待しません。あなたが父親に親孝行をしたにもかかわらず、父親がそれに対しまったく良い反応をせず、ひどい言動を続けたとしても、それはあなたに何の関係もありません。父親が目的ではないからです。アッラーのご満足が目的だからです。アッラーを目的にしている限り、アッラーは必ず、自分にひどいことをする親に対し行った親孝行に対して、報奨を下さるという確信があります。

 

どうか「あなたのお父様があなたにした仕打ち」という狭い円の中から抜け出てください。今、あなたは、父親が自分にひどいことをした、というそれだけの事実を感じ続けるという狭い円の中に閉じこもっています。そこにいても何もいいことはありません。そこから出てください。どうやって出るのでしょうか。ただ、「今日からは、父親に対する振舞いは、父親を目的にするのではなく、アッラーのご満足を目的にする」、と決意することです。どうやってアッラーのご満足を獲得しますか?アッラーは、私にどんな親であっても、親に対する親孝行を義務付けた、いいでしょう、私は今日から親孝行をします、どんなに親が自分に悪いことをしても、そう決意します。

 

もしどうしても怒りで自分が見えなくなった時には、ウドゥーをして、怒りを収め、2ラカートの礼拝をして、両手を挙げてアッラーにドゥアーします。

『アッラーよ、あなたが私にこの親を選びました。どうか彼を善良にしてください。もし私が親の権利を害していることがあったら、私を許してくださることを願います。アッラーよ、私と親の心の距離を縮め近づけてください。』

 

どうか親に対する不満を、すべてアッラーに預けてください。その不満を解決するために、アッラーにすべてを預けて、自分自身をアッラーに投げ出してください。アッラーのご満足だけを求めて、親孝行を決意する、それさえすれば、あなたは、必ずアッラーが、あなたを使って父親を善良にする過程を見ることになります。アッラーにすべてを預けてください。」