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心を汚す五項目(09/3/3修正済み)

2008年03月22日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)

参考文献はこちら。訳は完璧ではありませんが、感じはつかめていると思います。アラビア語が分かる方は、リンク先を参考にしてください。

心を汚す五項目

 イブン・アル=カイイム(ラヒマフッラー―アッラーのお慈悲あれ)による、心を汚す要因:

多く交わること、願望、アッラー以外のものに附着すること、満腹感、眠り。これら五つが、心を汚す大きな要因である。

 1多く交わること
 
 多く交わることで起こる影響:アーダムの子孫の呼吸で黒くなるまで心がいっぱいになってしまう。これを原因に、心はばらばらになり、不安になり、弱くなる。不可能なのに、悪の角(の持ち主)の食糧(のあて)を背負う(訳者注:無理をしてまで他人の世話をするという意味、もちろん悪い意味で)。そして自身(心)にとって有益なものを失う。彼らのためにそのことで忙しい。この心の思考は、彼らの求めるものために分断化される。そうなると、アッラーと来世のために残された心の部分とは一体何だろうか?
 
 君、人と交わることによって、どれだけの災難が振ってきたと思うか?それは恩恵を追い払い、試練を持ってくる。成功を不可能にさせ、大損失を呼ぶ。人々の損害は人々のほかならないのか?

 この現世への愛着のために起きる交わりは、真実が実現すると、敵に変貌する。交わりの持ち主(心)は悔やむあまり、その手を噛む。「その日,悪を行った者は,(しまったと,)その手を噛み,言うであろう。「ああ,わたしがもし使徒と共に(正しい)道を選んでいたならば。ああ,情けない,わたしがあんなものを友としなかったならば。本当に彼は,訓戒が下った後にわたしを迷わせたのです。悪魔は常に人間を裏切ります。」(識別章27-29節)、「その日,主を畏れる者を除いては,(親しい)友も互いに敵となろう。」(金の装飾章67節)、主の親しいお方であるイブラーヒームの、自分の民への言葉:「あなたがたは,現世の生活において,お互いの慈しみとしてアッラーを差し置いて偶像を崇めている。だが復活の日には,あなたがたは互いに(関係を)否認し合い,互いに呪い合うであろう。住まいといえば火獄であり,あなたがたには,どんな救助者もないのである。」(蜘蛛章25節)。これらは、君と同じ目的を達成しようと協力し合う人たちのことを指している。彼らは、その目的達成のための準備がある間、お互い親しくしている。しかし一旦その目的がなくなると(叶わなくなると)、後悔と悲しみと痛みがその直後に現れ、存在していた慈しみ合う気持ちは、嫌悪と呪い、そしてお互いへの批判に変わる。

 有効な交わり方:金曜日や、ジュムアの礼拝など、善において人々交わることである。他に、祭日や、巡礼、学習、ジハード、助言など。悪が存在する場合や、たとえ禁じられていない事柄が存在する場合であっても、そのときは彼らから遠ざかること。

 悪があるにもかかわらず、人々と交わらなければならず、彼らから遠ざかれない場合:彼らに同意しないよう、細心の注意を払うこと。彼らの害に忍耐すること。彼らに援助者や力がなくても、あなたに害を加えようとしてくる。しかしどんな害にも、その直後に誇りと、忍耐者に対しての親しみが生まれるもの。彼らは彼(忍耐者)を褒めたたえるだろう。信者たちと、諸物の主もだ。彼らに同意した直後に、屈辱の念とそれを嫌悪する念が起きる。彼らから非難をされ、信者からもされる。そして諸物の主からも。彼らの害に耐えることこそ、より善い結果を生む手段なのだ。

 禁じられていない事柄(ムバーフ、ムバーハート)において彼らと交わらなければならない場合:可能な限り、その場をアッラーにお仕えするような雰囲気に変える努力をすること。

 2願望という名の海洋に呑まれること

 この(願望という名の)海には岸がない。世界の失敗者たちが乗る海である。こうとも言われる:願望こそが倒産者たちの資本金である、と。いまだに嘘の願望の波、間違った妄想は、犬が死体を転がして遊ぶように、この海に乗る人たちをもてあそんでいる。”願望”は、すべての低俗で貪欲な魂の商品である。外部にある数ある真実の益に対して、無関心でいる。いや、思い込みの願望とその(真実の)益を取り替えてしまったのだ。各人は、それぞれの状態があるだろう。模範や支配者になること、大地を旅行すること、各国を訪問すること、金銀財宝、婦女子など・・・を望んでいるだろう。欲しいと思う人は、自分が必要としているものを決め、それを手に入れることに成功し(たと思い込み)、至福を味わう。実際に自分はそうなったと思っている。しかし目が覚めると、手にはハスィール(藁で出来たマット)があるのみである。

 崇高なる使命の持ち主の願望は、イルム(知)とイーマーン(信仰)、アッラーにしもべを近づける行いのまわりをさまよう。そのため、彼と違う回りの人たちは、一段劣っている。この者の願望とは、イーマーン(信仰)とヌール(光)とヒクマ(叡智)である。彼ら(彼と対照的な立場にある人たち)の願望は、欺きと騙しである。

 預言者(アッラーの平安と祝福がありますように)はかつて、善を望む者を褒められた。その者のいくつかにおける報酬は、実際にその善を行った者の報酬と同じかもしれない。(訳者注:善を望むことは善を行うことと同じではないが、報酬は同じであることを望む、ということ)

 3祝福多きそして至高なるアッラー以外のものに附着すること

 これこそ、もっとも重要な心を汚す要因である。これ以上有害なものはない。そしてこれを差し置いて、人を幸福から切り離すものはない。そのため、人がアッラー以外のものに附着すると、アッラーはそれにその人を託す。彼が附着したものは、違う点から見ると、彼を裏切ってもいる。アッラー以外のものに附着し、かれ以外に目を向けたたために、尊厳あるアッラーから得られるものを彼は手に入れられない。そのため、アッラーからの分け前は頂けず、アッラー以外の附着の対象から望んだものに到達することも出来ないのだ。かれは仰る:「かれらはアッラーの外に神々を立て,かれらを仲裁者にしようとしている。決してそうではない。かれら(神々)はその崇拝を拒否し,かれらに対し敵になろう。」(マルヤム章81,82節)、「かれらは,アッラーの外に邪神を選び何とか助けられようとする。それら(邪神たち)は,かれらを助ける力はなく,寧ろかれらの方が邪神を守るため軍備を整えている始末。」(ヤースィーン章74、75節)

 アッラー以外のものに附着することよりも酷い欺きがあるだろうか。失われた、自信を益するもの、幸せ、喜びは、彼が附着したアッラー以外のものよりも尊い。これらはいつか消え去ってしまうのである。アッラー以外のものに附着することを例えてみると:蜘蛛の巣で、暑さや寒さから身を守ろうとすることのようだ。蜘蛛の巣より弱い家はない。

 まとめ:多神の基礎と、その法則:アッラー以外に附着すること。その持ち主には、非難と欺きが付属する。アッラーは仰っている:「 アッラーと一緒に外の神を立ててはならない。さもないと,あなたがたは軽蔑され見捨てられるであろう。」(夜の旅章22節)軽蔑とは、あなたを褒める人がいないことである。見捨てられるとは、あなたを助ける人がいないことである。・・以下省略・・

 4食事

 二種類に分けられる。
 ①それ自体が心を汚してしまう、禁止事項。これも二つに分けられる。
 →アッラーの権利におけるハラーム(禁止事項):死体、血、豚肉、ハイエナや獣鳥のような犬歯を持つもの。
 →容量や限度を超えることによるハラーム:ハラール(許容事項)のしすぎ、度を越した満腹。これらはターア(アッラー服従)を鈍らせてしまう。そして腹の肥やしを消費することとに忙しくなり、それが実現すると、それによる害やその重さを被らないようにすることに忙しくなる。欲望は彼の前で強くなり、悪魔の道を大きくする。悪魔は、アーダムの子孫の血管の中を歩いている。サウム(斎戒)はこの流れを狭め、道をせき止める。満腹は道を作り、広くする。誰でもたくさん食べて飲んで、たくさん眠ると、多くを失う。有名なハディースによると:《どのアーダムの子孫も、その腹以上に悪質な器を満たすことは無い。アーダムの子孫それぞれが食べる一口が、その人の背骨を支えるのだ。そうしないといけない(訳者注:食べることを指す)場合は、胃袋の三分の一を食べ物に、三分の一を飲み物に、三分の一を呼吸のために置いておくように》(アッティルミズィーとアフマドの伝承)

 5睡眠過多

 これは心を死なせてしまうし、時間の無駄遣いである。そして無関心と倦怠感を生む。他に、嫌悪されることや、体の益とならない害をもたらしたりもする。一番有益な眠りとは:夜の最初の前半の睡眠は、後半(の睡眠)に優る。また、昼間の中間に眠ることは、その両端に眠るよりもいい。眠りが、その時間の両端のどちらかに近寄るたびに、眠りの益は減り、害が増える。・・以下省略・・

 嫌悪されるのは:ファジュルの礼拝と太陽が昇る間に眠ること。この時間帯に得られるものは多いのだ。サーリク(修行者)たちにとってこの時間帯にはとても偉大な長所があり、夜の間歩き続けたとしても、太陽が昇るまでは中断して座ってしまわないようにしている。実に、日中の始まりは、糧が降下し、祝福が実現する時間である。・・中略・・もっとも釣り合いが取れ、有益な睡眠とは:夜の前半の睡眠、そして最後の六分の一にとる睡眠である。約八時間。これは医師たちの間でも、バランスの取れた睡眠時間とされている。これよりも多かったり少なかったりすると、体に異変が起こることが確認されている。

 同じく、有効でない睡眠がある:夜の始まりに眠ることである。日没直後がそうだ。アッラーの使徒(アッラーの平安と祝福がありますように)はそれを嫌悪されていた。そのため、イスラーム上でもこれは嫌悪されているが、健康面においても同じであろう。アッラーこそが、援助を求められるに相応しいお方である。 

コメント (4)
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