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88. 圧倒的事態 (アル・ガーシヤ)【1】

2008年03月25日 | ジュズ・アンマ解説
 この章は、最後の審判と、至福か罰、という人々の行く末を取り上げています。同時に、すべてにおいて可能であるアッラーのお力の現象のいくつかについても視線を向けさせています。  

 まず、審判の日の恐ろしさと、その日の人々の行き着くところについて聴覚を向けさせるような表現で章は始まります。アッラーは仰っています:「圧倒的(事態の)消息が,あなたに達したか。」ここにある疑問詞は、圧倒的事態が重要な出来事であることと関係します。同時に、この出来事が起こることを確定し、それに関連する知らせを聞きたくさせようとします。“圧倒的事態(アル・ガーシヤ)”は、審判を指します。アル・ガーシヤ(直訳すると覆うもの)と名付けられたのは、審判の厳しさや恐ろしさが人々を覆うからです。

 クルアーンは、罰を受ける人々の様子と、至福を受ける人々の様子について語ります。圧倒的事態に馴染むよう、まず罰を受ける人々の居る場所や、その日の厳しさについての言及が始まります。アッラーは仰います:

 「(或る者の)顔はその日項垂れ,骨折り疲れ切って,燃えさかる獄火で焼かれる」  その日、屈辱感が現れた面々が現れます。現世で彼らは働き、苦労しましたが、その行いから来世のために何も得ることが出来ませんでした。なぜなら、彼らの現世の行いは、単に不信と罪業であったからです。もしくはこのような意味になるでしょう:不信仰者たちは来世で、地獄の中で鎖などを引きずることに疲れ、苦労するだろう。それに地獄の火の暑さも加えられる。

 クルアーンは続けて彼らに起こる厳しい出来事を表現します:

 「煮えたぎる泉水を飲まされる。かれらには苦い茨の外に,食物はなく,それは栄養にもならず,飢えも癒せない。

 地獄の民ののどが渇くと、彼らは激しい渇きを消し去るものを求めますが、熱さが頂点に達した水が持ってこられます。彼らが空腹の痛みを追い払うために食べ物を求めると、茨というとげの一種が運ばれますが、それは空腹を満たすことも栄養にもならないどころか、食べる人に害をもたらします。

 これが罰を受ける人々の状態です。代わって至福の民を表現してクルアーンは語ります:

 「(外の或る者たちの)顔は,その日歓喜し,かれらは努力して心充ち足り,高い楽園の中に置り,そこで,虚しい(言葉)を聞かない。」  彼らの顔には輝きと、享受する至福の影響である歓喜が現れています。

 「かれらは努力して心充ち足り」、つまり、現世で行った自身の行いに満足しているということです。そして、来世でアッラーがお授けくださった至福にも満足しているということです。この至福はどこにあるのでしょうか?実にそれは、「高い楽園」の中にあります。天国は、来世の至福の館です。天国(jannah)という名は、木の数の多さや、木々の枝が重なり合って出来る陰を連想させ、元来は“覆い”を意味する(ijtinaan)という言葉から来ています。天国はその性質や特徴において、高いところにあります。クルアーンは天国を次のように描写しています:「そこで,虚しい(言葉)を聞かない。」つまり、あなたはそこで意味のない言葉や、間違った言葉を聞くことはない、という意味です。天国ではつまらない言葉を耳にしないということが、他の天国の至福の言及よりも先に来ることによって、現世で至福と贅沢を味わい、度を越して醜悪な行いや行儀をわきまえない話し方をする人たちを批判します。そしてここには、アッラーが現世でかれの至福の一部分を与えて下さっても、虚言の徒にならないように、と信者に対する注意が込められています。
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