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ムスリムの子ども教育6~家庭の土台の作り方(6)~

2018年09月16日 | 預言者の教育方法

慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において

ムスリムの子ども教育6~家庭の土台の作り方(6)~

 

ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)子どもの教育(2:34:58~43:46) bit.ly/1PPruiy

  

前回は、出産についてお話しました。今回はその続きです。

 

幼少期の子育て:

子どもがまだ小さい赤ちゃんの時期に、泣いたりぐずったりしたら、母親は赤ちゃんをどうやってあやすでしょうか。赤ちゃんを抱きあげて、「ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はいない)」などのズィクルの言葉(アッラーを唱念する言葉)や、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)への祝福祈願を繰り返しつぶやきながら、赤ちゃんをあやしているでしょうか。現代では、子どもが泣くと、スマートフォンで音楽を聞かせたり、テレビの音を聞かせたりすることがありますが、そういったものが、アッラーから預かっている赤ちゃんに聞かせるためにふさわしい歌ではないこともあります。

 

子どもが言葉を覚え始める頃、ムスリムの家庭では、最初に、どんな言葉を覚えさせるのでしょうか。アッラーの美名やクルアーンの最初の章ファーティハ章(開端章)、子どもならすぐに覚えてしまう短いイフラース章(純正章)を最初に覚えさせるでしょうか。

 

最近は、その子が大きくなってすると困ることでも、小さいときにやっているのを、親が褒めたり喜んだりすることがあります。子どもが2歳くらいになって話し出すと、暴言を吐いた時も、親は、「今、この子、『ばか』って言ったわ、なんて賢いの!」と喜んだりします。子どもが気に入らないことがあって、目の前の父親を叩いても、親は笑って喜んでいます。「どうして喜ぶのか?」と聞かれると、「この子は、気が強い!!」と嬉しそうにしています。子どもが人に暴言を吐いたり、人に暴力を振るったりすることが、将来のその子の「強さ」の理想の姿でしょうか。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が教えてくださっている本当の強さとはかけ離れています。《本当の強さは戦う人の力にあるのではなく、怒った時に自分を抑えられる人にあります。》ムスリム伝承

 

また小さな男の子が、隣の知らない小さい女の子にキスをすると、親が喜んで、「かわいい~!」と写真を撮ったり、「○○君と○○ちゃんは結婚するね~」と冗談で話題にしたりします。その子が小学生になってやったら変態と言われて困ることを、親が褒めます。これは幼児教育の専門家も注意を促していることです。

 

ある先生のお宅に2∼3才の女の子が連れて来られて、その子が膝や太ももの出ている短いスカートを着せられていると、先生は、「アウラを覆って隠してあげなさい。この子にちゃんと長いスカートを着る習慣をつけてあげなさい。こんな短い服を着ることに慣れさせてはいけません。」と注意していました。その場にいた人が、先生に言いました。

「先生、この子はまだ小さいですから。2才ですよ。」

先生「我が子よ、小さい子どもも成長し大きくなります。もし成長する際に、『慎み』や『恥じらい』を持たずに大きくなってしまったら、『慎み』や『恥じらい』はこの子にとって、とても重く面倒なものになってしまいます。」

 

年頃の娘を持つ親が、どんなに苦労し、悩み、ドゥアーし、何とかならないかと人に相談し、大変な思いをしているでしょうか、自分の娘に「恥じらい」や「慎み」を教え、ムスリマらしい肌の露出の少ない服装をするよう説得するために。

 

なぜ、その子の心の中に、ヒジャーブに対する抵抗や、露出の少ない服を着ることへの嫌悪が育ってしまったのでしょうか。なぜ、大きくなった女の子が、自分の体を守る服装をするために、親が、何日もかけて、時には、何年もかけて、説得をし、教えなければならないのでしょうか。

 

なぜなら、その子が小さいときに、両親が、きちんと、その子に、真実を教えてあげなかったからです。

 

「あなたは、とても大切な存在なんだよ。」

「あなたの体は、とても大事なもので、ただ知らない男の子が見て楽しむためのものではないんだよ。」と。

 

アッラーは、子どもの誕生から6才くらいまでのかわいい盛りの時期を、両親にお恵みになりました。この時期は、両親にとっては、育児にとても手間がかかり、時間も労力も子どもに費やさなければならない時期ですが、一方で、かわいい子どもの笑顔に癒され、一緒に遊び、子どもと過ごす時間を楽しむ時期でもあります。両親は、この恩恵に対して、アッラーに感謝する必要があります。しかし、この時期は、ただ、楽しむだけで終わってしまってよい時期ではありません。両親が、子どもに大切なことを教えるための時期でもあるからです。両親が子どもに、洋服を着ることの目的を正しく教えなければなりません。

 

親が気づかないうちによく犯してしまう大きな罪のひとつに、子どもに服を買う時に、

「この服を着たら、あなたは幼稚園で、一番かわいい子になれるわよ。」

「このかわいい服を着たら、みんながあなたのことをうらやましがるわ。」

と言ってしまうことです。よく言われるこの言葉のどこに大きな罪があるのでしょうか。

 

それは、まだ物心がつき始めたばかりの子どもの大切な時期に、子どもの心に、洋服を着る目的を、誤って教え込み、間違った人生の目的を植え付けてしまっている点です。

 

私たちが服を着る目的は、他の人より美しくなるためでも、周りの人をうらやましがらせるためでもありません。私たちムスリムは、自分の価値が、体を覆っているだけの、ただの「布切れ」にあるのではないことを、十分知っています。私たちは、アッラーが、「ラーイラハイッラッラー」というアッラーへの信仰によって、尊厳を与えてくださった存在です。信仰という大きな尊厳をアッラーから恵まれている私たちが、自分の価値を、ただの「布きれ」に置くことはふさわしくありません。「布切れ」が破れたら、自分の価値も破れ、それが汚れたら、自分の価値も汚れ、それがなくなったら、自分の価値もなくなってしまうのでしょうか。私たちの価値は、破れることも、汚れることも、なくなることもありません。なぜなら、私たちの価値は、いなくなることのない、永遠に存在する御方「アッラー」にあるからです。

 

私たちが気づかないうちによく犯してしまう罪は、子どもの心に、間違った目的を植え付けてしまうことです。

母「もっと食べなさい。」

子「どうして?」

母「もっと大きくなって、○○君に負けないようにならなくちゃ。」

子どもが大きくなる目的は、他の子どもに勝つためでしょうか。それとも、大きくなって、アッラーに崇拝行為をしっかりできるようになるためでしょうか。

 

小さいからよくわからないだろう、と思わないでください。小さい子がどんなに真似をするのが上手か知っているでしょう。親が子どもの前で、汚い言葉で誰かを非難したら、子どもはその通りの言葉を口にするようになります。

 

兄弟げんかをして、妹がお姉ちゃんに叩かれて泣いていたら、親が、妹に、「お姉ちゃんに叩かれたの?じゃあ、お姉ちゃんを叩き返しに行こう。」と言って、妹の手を持って、お姉ちゃんを叩いて、お姉ちゃんが泣く真似をしたら、「ほら、もう叩き返したからいいでしょ。」と言って、泣いている子を慰めることがあります。しかし、これは、子どもに復讐を教えています。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、自分を害されたら、相手に同じ害を与えることを私たちに教えたでしょうか。兄弟げんかをして、お姉ちゃんに叩かれて妹が泣いていたら、お姉ちゃんに本当に叩いたのか確認し、お姉ちゃんが叩いたことを認めたら、妹のところに行って、謝ることを教えます。子どもの時に教えるこういったしつけは、とても大切です。

 

子どもに服を着せる時にも、こう言いましょう。

「この服を着ようね。アッラーは、あなたにあげたこのかわいい服をあなたが着ているのを見るのが、とても好きなのよ。」

「天国に入るためにアウラを隠そうね。アッラーは、あなたが天国に入れるように、アウラを隠すように教えてくれたのよ。」

分別がつくようになった子どもに、もしくはまだ分別がつかない子どもにかけるこうした言葉が、どんなに子どもの柔らかい純粋な心に植え付けられ、大きく育って行くでしょうか。

 

「もっと食べなさい。しっかり食べて、アッラーのためになる善いことを沢山できる子になるためにね。」

「大きくなって、イスラームを日本に広めるために、役に立つ子になれるよう、しっかり食べなくちゃね。」

「弱い子や困っている人を助けられるくらい強くなるために、しっかり食べようね。」

「かわいそうな人のお手伝いができるように、よく食べて強くなろうね。」

「おばあさんが杖をついて道を渡っていたら、手を取って一緒に渡ってあげられるように、強い子になろう。そしたら、アッラーが天国に入れてくれるからね。」

 

服を着せる時、食べさせる時、日常の何気ない動作の時にかける小さい時のこういった言葉がけは、とても大切です。子どもの心にしっかりと確実に残って行くからです。

 

 

両親の価値観が、どこに一番重要性を置いているか、というのを子どもはよく見ています。

 

母「夜更かしはダメよ。明日学校があるんだから、早く寝なさい!」

子「少しだけいいでしょ。」

父「ダメ、絶対にダメ!朝、学校に遅れたらどうするの!すぐ寝なさい!」

朝になると、

母「さぁ起きなさい!」

子「ねむいよ。」

母「なに言ってるの、早くしないと学校に遅れるわよ!」

子「昨日、寝るのが遅かったし。。」

母「だから言ったじゃない!なんで夜更かししたの!?学校に遅れたらどうするの!なんでもいいから早く起きなさい!!!」

 

子どもはお母さんの権幕から、学校がとても大切なものだと学びます。

 

では、子どもをファジュル礼拝に起こすことに、お母さんが、この大きな関心の4分の1でも払っているのを子どもは感じているでしょうか。このことこそ、子どもが現世で勉強に失敗する原因となり、崇拝行為を嫌悪し、アッラーに従わない人生を送ることになる大きな原因の一つとなっています。

 

子どもがファジュル礼拝に立つことができれば、子どもの心の中に、崇拝行為の重要性を築くことができ、子どもがアッラーとの関係を作っていくことができます。子どもはファジュル礼拝を逃すことの損失を、学校に遅れることの損失よりも、より重大に感じることができるようになります。そうなれば、その子は現世と来世で成功し、学校でも成功するでしょう。なぜなら、その子は学校に目的意識を持って行くことができるからです。自分がなぜ学校に行くのか、きちんとしたニーヤ(意思)と目的を持って、授業を受け勉強できるからです。現在、ムスリムの子どもたちの学校の成績が悪いとしたら、それは、目的を失ってしまっているからです。親がどんなに必死で子どもに学校の重要性を伝えても、子どもは勉強の重要性を感じることができまぜん。なぜなら、親が子どもに植え付けている学校に行く目的が、そもそも間違っているからです。

 

子どもに、学校へ行く目的をきちんと正しく教えましょう。「あなたが学校に行くことで、アッラーのご満足を求めなさい。」と子どもにしっかり教えましょう。アッラーのご満足を求めて行ったことをアッラーが放っておくわけはありません。アッラーのために、アッラーの教えに役立つ人になるために、と勉強をしている子どもが、学校でアッラーに背くことを行えるはずがありません。アッラーに背くことを行わずにアッラーのご満足を求めて真面目に学ぶことで、アッラーがその子の成績を保証してくださるでしょう。

 

思春期になって、子どもたちが心と体の変化に苦しむ時期が来ても、学校で様々な誘惑にあって、自分の現世と来世を壊してしまう行いに駆られる時にも、アッラーのご満足を求めて学校に行っている子に、その害が及ぶことはありません。しかし、何の目的もなく学校に行っている子どもたちや、現世の目先の利益だけを目的に学校に行っている子どもたちは、シャイターンのおもちゃとなって、あちらこちらへと引きずられてしまいます。

 

先生のところには、子どもが悪い仲間と付き合っていて、その子たちの影響を受けてお酒を飲んだり、男女交際をしたり悪行を行うようになってしまった、という相談に来る親がいます。両親は、その子が小さいときに、子どもの心の中に、悪行を禁じ善行を薦めるという教えの種を植えてあげたでしょうか。子どもがクルアーンの1章を覚えたことを、子どもが学校でよい成績を取った時よりも喜んであげたでしょうか。子どもは、親の心の中にあることを敏感に感じます。親が、アッラーのご満足を求めている姿を見せて、アッラーにドゥアーをし続ければ、子どもが悪行に陥ることはありません。アッラーを求める人には、アッラーは現世と来世の両方を与えてくださいます。私たちの家庭を、アッラーを求める場所にしなければなりません。

私たちの子どもに、アッラーのご加護がありますように。

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