慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
続)ムスリムの子ども教育-15-
ハビーブ・アリー・ジェフリー師(アッラーのご加護あれ)TV番組「私たちの人生16」(16:54~30:00)
https://www.youtube.com/watch?v=8IKeIlrPnnk
前回の復習:子どもを持つことの「目的」を明確にすること、このことによって、今後お話する多くの子育てに関する事柄が変わって来ます。すでにお子さんが大きくなっている方も、今からでも、子育ての正しいニーヤ(意思)、「アッラーのご満足を求めて、子どもを育てます。」というニーヤ(意思)をしておきましょう。
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イスラームにおける思春期※の子ども達とのかかわり方(6) 子どもの言い訳
※思春期:
医学的には「第二次性徴の発現の始まりから成長の終わりまで」と定義。(ウィキペディア)
イスラーム的には「10歳からブルーグ※までの時期」
※ブルーグとは?:ムカッラフ(イスラーム法学上の義務行為を行う義務が課せられる者)になること。男の子は精通、女の子は初潮が来ると「ムカッラフ」となる。ブルーグに達した子どもたちは、すでに思春期を卒業し、「ムカッラフ」として、アッラーの元でイスラーム的な義務を負う「成人」の状態になる。
質問:現代の子ども達の環境は、インターネットやスマホ、ゲームなどに囲まれていて、私たち、親が育った環境とまったく違ったものになっているため、親と子の世代間のギャップが大きくなっているように感じます。これはどうすれば解消できますか?
回答:まず、子ども達が、親と自分たちの時代は全く違い、親の意見は古臭く、聞く価値がない、と決めつけているとしたら、それは子ども達の間違いです。しかし、親の方も、子どもの意見はいつも間違っていて、聞く価値がない、と思っていたり、または実際に、子どもの意見をじっくり聞く時間を取らずに、親が先にすべて判断し、話し合いの余地なく、親の意見を子どもに押し付けているとしたら、それは親の側の大きな誤りです。子どもの理性的に訴えかけ、納得するまで話し合うことはとても大切です。また、子どもの信仰心に訴えかけること、子どものナフス(自我)に訴えることも大切です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の対応を学ぶよい話があります。
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代に、ハワート・ブヌ・ジャビール様(アッラーのご慈悲あれ)というサハーバがいました。当時、彼はまだ年若い青年でした。ある時、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と一緒に出掛けた際、ダーラン(サウジアラビアにある町の名前)を通りかかった時のことがハディースで残っています。
ハワート・ブヌ・ジャビール様(アッラーのご慈悲あれ)は言いました。
「私たちが、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と一緒に出掛けた際、ダーランを通りかかりました。彼は言いました。:私は自分のテントを出て、話をしている女性たちと一緒にいましたが、彼女たちが気に入ったので、家に戻るとカバンを取り出し、そこから衣装を一着取り出すとそれを着て、また戻り、彼女たちと座っていました。すると、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、建物から出て来て言いました。
《アブー・アブドゥッラーよ、なぜ彼女たちと座っていますか?》
私は、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)を見た時、畏れを感じ、混乱して言いました。
『アッラーの御使い様、私のラクダが逃げたので、捕まえたいのです。』
彼は通り過ぎ、私は彼の後を追いかけました。すると、彼は私にご自分の上着を預け、ミスワークの木に入りました。まるで、ミスワークの木の緑に、彼の背中の白さを見ているようです。そして、彼は用を足すと、ウドゥーをし、やって来ました。彼の髭から胸の上に水が流れていました、もしくは、彼の髭から胸の上に、滴(しずく)がしたたり落ちていました、と彼は言いました。
そして、おっしゃいました。
《アブー・アブドゥッラーよ、逃げたラクダはどうしましたか?》
しばらくして、私たちは出発しました。そして、道で私に会うたびに、こうおっしゃいました。
《あなたに平安がありますように。アブー・アブドゥッラーよ、あの逃げたラクダはどうしましたか?》
私はそのことがわかり、マディーナへ急いで戻りました。そして、マスジドを避け、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と一緒に座ることも避けました。しかし、その状態で長い期間が過ぎ、私は、マスジドで一人になれる時間を待ち、礼拝し始めました。すると突然、アッラーの御使い様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)が、部屋から出て来て、2ラクアの簡単な礼拝をなさいました。私は、彼が行ってしまい、私を放っておいてくれるといいと思い、礼拝を長くしました。すると、彼はおっしゃいました。
《アブー・アブドゥッラーよ、好きなだけ長くするといい。あなたが終わるまで、私が立つことはありません。》
私は心の中で思いました。:アッラーに誓って、アッラーの御使い様に謝り、彼の心を安心させよう。
そして、彼が、《あなたに平安がありますように。アブー・アブドゥッラーよ、あの逃げたラクダはどうしましたか?》と言った時、私はこう言いました。『真実をもってあなたを遣わされた御方にかけて、私は入信して以来、ラクダが逃げたことはありません。』
すると彼は、《アッラーがあなたにご慈悲をおかけくださいますように。》と3回おっしゃいました。その後、二度とそのようにお尋ねになることはありませんでした。」タバラーニー伝承
ハワート様(アッラーのご満悦あれ)は、女性たちと座って話をしていました。現代でもムスリムの男の子達は、「彼女はタダの友達だよ。」と言い、女の子達とおしゃべりをしたり、冗談を言い合ったりしています。彼らは、「タダの友達」という言い方をします。先生が学生だった頃にも、そういう言い方をして、女の子達とおしゃべりしている男の子達がいました。その前の時代にも、そのまた前の時代にも同じようにいました。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の時代にも同じように、そういう男の子達がいたのです。時代が変わっても、一部の男の子達は、自分たちの間違いを取り繕うように同じ言い方をするものです。
彼らは、年頃の男の子と女の子が、何の制約もなく、自由におしゃべりをして、冗談を言い合って、笑い合い、一緒に食事をして、男の子の手が女の子の肩に触れたり、男の子がふざけて女の子の髪を引っ張ったり、、、、そういった交流をしても、彼らは、まったく異性に関心のない、全く欲を持たない「機械」だから大丈夫、とでも言うのでしょうか。自分たちは、人間ではなくなったのだ、と言うのでしょうか。本来、男女が自由に交際することで、確実にそこには、間違いが起こる余地が産まれます。実際、現代の年頃の男の子達と女の子達は、そういった間違いに陥っている子が多くいます。しかし、最初はみな、「タダの友達」だったのではないでしょうか。
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、ハワート様(アッラーのご満悦あれ)が、女性たちとおしゃべりしているのを見た時、どうなさったでしょうか。すぐに、「ハワート、何をしているんだ!そんなところにいてはいけない、来なさい。ここに来て、アッラーに赦しを乞いなさい。どうしてあんなことをしていたのか!!」とはおっしゃいませんでした。
ただ、《アブー・アブドゥッラーよ、なぜ彼女たちと座っていますか?》
とお尋ねになりました。彼(アッラーのご満悦あれ)が、女性たちと座っておしゃべりをしているのを目撃したにもかかわらず、もう言い訳の余地がない状態であるにもかかわらず、ただ、そうお尋ねになられたのです。
質問:現代では、ムスリムの間でも、男女間の状態が、「タダの友達」ではなく、彼氏、や彼女、という子もいます。親が知らないところで、スマホやインターネットで異性とつながって、チャットをしたり、深夜までおしゃべりをしたりできます。どうすればいいでしょうか。
先生:現代は、昔のように、子どもの行動を「監視」することによって、子ども達を守ることができた時代は終わりました。子どもの行動を逐一監視し、携帯の履歴をチェックし、すべてのメッセージを読み、そうやって子どもを見張ることができた時代は、もう終わったのです。その方法は、現代の子どもの正しい教育方法ではありません。現代の教育方法は、子ども達の心の中に、自制できる力を育てることです。それしか、子ども達を守る方法はありません。自分で自分の行動をチェックして、判断できる力を育てることが大切です。
預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、女性たちと座って話をしている彼(アッラーのご満悦あれ)に声をかけ、彼(アッラーのご満悦あれ)が、「アッラーの御使い様、私のラクダが逃げたので、捕まえたいのです。」と言うのを聞いて、その言い訳をとがめることなく受け入れ、その後に、ご自分の上着を彼に預けています。私はまだあなたのことを信頼していますよ、と、彼をまだ良い見方で見ていることを伝えています。
一部の親は、子どもが間違いを犯したのを見た後に、子どもがカバンを持って来てくれても、「私のカバンに触るんじゃない!もうお前のことは信頼できない!!」と言い、子どもとの関係を切ってしまうことがありますが、それは間違いです。すべての信者たちの父親である預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、そうはなさいませんでした。ご自分の上着を、彼(アッラーのご満悦あれ)に預けて、私はあなたに対する期待をまだ捨てていませんよ、と伝えています。
その後に、預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、彼(アッラーのご満悦あれ)に会うたびに、二人だけがわかる言葉で話しかけます。
《あなたに平安がありますように。アブー・アブドゥッラーよ、あの逃げたラクダはどうしましたか?》
これは隠喩のような働きをしています。女性を追いかける気持ちを、ラクダを追いかける話で思い出させているようです。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)からそう言われるたびに、彼(アッラーのご満悦あれ)の中の恥ずかしさが増し、自分で自分の間違いに気づき、自分の中の理性が呼び起こされ、彼(アッラーのご満悦あれ)は、自分の間違いにはっきり気づき、それを正すことができました。
親は、子どもの言い訳がどんなに稚拙で、どんなにあり得ないものであっても、その言い訳に敬意を払うべきです。子どもがその言い訳をしたのは、子どもが自分の間違いに気付いているからです。その言い訳を尊重して、そこから対話を始めることが大切です。預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、彼(アッラーのご満悦あれ)の言い訳を、「嘘をつくな。お前は、女性と話したかっただけだ。」と否定したりなさいませんでした。その代り、彼(アッラーのご満悦あれ)に会うたびに、《あの逃げたラクダはどうしましたか?》と彼(アッラーのご満悦あれ)が自分で言った言い訳を思い出させ、彼の中の自制心を呼び起こすように語り掛け続けました。
私たちが、子ども達に対する預言者様(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)の教育法を身につけられますように。
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