イスラーム勉強会ブログ

主に勉強会で扱った内容をアップしています。

73章解説【2】

2013年07月11日 | ジュズ・タバーラカ解説
11.そしておまえはわれを、恩恵の持ち主で(わが使信を)嘘と否定する者たちと共に、構わずにそっとしておくように。わずかばかり彼らを猶予せよ。
12.まことに、われらの許に足枷と焦熱地獄はある。
13.また喉を塞ぐ食べ物と痛苦の懲罰も。
14.大地と山々が振動し、山々が砕け散った砂丘となった日に。
15.まことに、われらはおまえたち(マッカの民)の証人である使徒をおまえたちに遣わした、ちょうどわれらがフィルアウンに使徒を遣わしたように。
16.だがフィルアウンはその使徒(ムーサー)に背き、それでわれらは彼を猛烈な捕獲で捕らえた。
17.それでおまえたちが信仰を拒んだなら、いかにして子供を(恐怖によって)白髪となす(最後の審判の)日を畏れ身を守るのか。
18.天がその(日の恐怖)によって、裂ける(日)。彼(アッラー)約束は成就されるものであった。
19.まことに、これ(クルアーンの威嚇的な諸節)は訓戒である。それゆえ、(救済を)望む者があれば己の主に至る道を取る(が良い)。

 続いて、嘘つき呼ばわりしている者たちへの脅迫の言葉が述べられます:
 「そしておまえはわれを、恩恵の持ち主で(わが使信を)嘘と否定する者たちと共に、構わずにそっとしておくように。わずかばかり彼らを猶予せよ。」

 つまり:われと、現世の欲と娯楽に浸っている輩を構わずに置いておき、彼らのことは気にしないように。また彼らのことなど考えなくてよい。われひとりで彼らには十分であり、彼らの清算はわれが引き受ける。おまえは彼らをほんのしばらくの間だけ猶予しておけばいい。早くとも遅くとも、彼らにはわれの罰が届くのである、という意味です。クルアーンは彼らのような嘘つき呼ばわりする者たちを:「恩恵の持ち主」と名付けています。彼らは、アッラーより与えられたすべての恩恵を優先したがるためにアッラーの教えを拒んだ人たちです。代わってアッラーのメッセージを信じ、それを実践することは、娯楽の一部や、貧しい層といった自分たち以外の人たちの利益のために至福の一部を放棄する必要があります。これこそが、彼らがイスラーム宣教の敵となる立場を取る秘密なのです。

 この嘘つき呼ばわりする者たちには来世では鎖と火と飲み込めない食べ物と痛苦の罰があります:
 「まことに、われらの許に足枷と焦熱地獄はある。また喉を塞ぐ食べ物と痛苦の懲罰も。」

 足枷は重く、焦熱地獄は来世における火の点いた罰の館です。喉を塞ぐ食べ物とは、アッラーがその館に準備し給うた醜い、それを食べる人の喉を詰まらせる食べ物です。そして痛い罰が加わります。

 次にアッラーは、最後の審判の日の恐ろしい光景を描写します:
 「大地と山々が振動し、山々が砕け散った砂丘となった日に。」

 大地と山々は不安定になり、その上に存在しているものたちを揺らします。その結果、山々は砂で出来た丘に変わりますが、最下部が動くと次々に崩れてしまいます。

 続いてアッラーは、その使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)が誘おうとしていることを嘘とする者たちに、脅迫と共に語りかけ給います。同時に、フィルアウンとその民が、自分たちに送られた使徒に逆らった報復として起きた出来事にも言及し給います:
 「まことに、われらはおまえたち(マッカの民)の証人である使徒をおまえたちに遣わした、ちょうどわれらがフィルアウンに使徒を遣わしたように。だがフィルアウンはその使徒(ムーサー)に背き、それでわれらは彼を猛烈な捕獲で捕らえた。」

 使徒ムハンマド(祝福と平安あれ)は審判の日に、その民の不信と逆らいを証言します。アッラーはフィルアウンにムーサー(平安あれ)を使徒として送ったように、ムハンマド(祝福と平安あれ)をその民に送りましたが、フィルアウンとその民はムーサーに逆らったためにアッラーは彼らを厳しい罰、つまりフィルアウンとその軍を溺れさせるという罰で懲らしめ給いました。

 またアッラーは、不信仰者たちに審判の日の恐ろしさと彼らが受けようとしている罰を思い起こさせ給います:
 「それでおまえたちが信仰を拒んだなら、いかにして子供を(恐怖によって)白髪となす(最後の審判の)日を畏れ身を守るのか。天がその(日の恐怖)によって、裂ける(日)。彼(アッラー)約束は成就されるものであった。」

 つまり:もし、おまえたちが不信仰状態で居続けるのであれば、どのように自分たちの身を、子供たちの頭が恐ろしさの余りに白髪となってしまう日から守るのか。その日、空は、同じくその恐ろしさのために裂ける、という意味です。アッラーはこれらが確実に起こることを強調し給います。「彼(アッラー)約束は成就されるものであった」つまりアッラーの約束は間違いなく起こり、彼は約束を必ず守る、という意味です。

 続いて、既述された諸節が持つ目的の解明にクルアーンはかえります:
 「まことに、これ(クルアーンの威嚇的な諸節)は訓戒である。それゆえ、(救済を)望む者があれば己の主に至る道を取る(が良い)」

 アッラーは不信仰者を脅かすような内容をもつ既述の諸節を、自戒を望んで主の満足に到達出来る道を歩もうとする者に対する訓戒とし給いました。

(参考文献:ルーフ・アル=クルアーン タフスィール ジュズ タバーラカ/アフィーフ・アブドゥ=アル=ファッターフ・タッバーラ薯/ダール・アル=イルム リルマラーイーンP110~112)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする