イスラーム勉強会ブログ

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お金がなくてもサダカは出来る

2009年07月24日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
【ハディース】
 アブー・ザッル(アッラーのご満悦あれ)は言った:アッラーの使徒(平安と祝福あれ)の仲間のある人たちが、預言者(平安と祝福あれ)に次のように言った:アッラーの使徒よ、裕福な者たちは報酬を先取りしています。彼らは私たちと同じように祈り、私たちが行うように断食します。そして彼らの余分なお金をサダカしているのです。彼は言われた:《アッラーはあなたたちにサダカするものを与え給わなかったのか?まことにあなたたちがタスビーハ※を一つするたびにそれはサダカとなり、タクビーラ※も、タハミーダ※も、タハリーラ※もサダカとなる。善を勧めることもサダカであり、悪を禁じることもサダカである。あなた方の性交もサダカとなる。》人々は言った:アッラーの使徒よ、私たち
の誰かが欲望をもってそれを行ったら、報酬があると言われるのですか?彼は言われた:《もし彼が禁じられた方法で行ったなら、罪を負うではないか?合法な方法で行ったなら、それに対して彼は報酬を得るのだ。》アル=ブハーリーとムスリム伝承

 ※タスビーハ:スブハーナッラーという文句
  タクビーラ:アッラーフアクバルという文句
  タハミーダ:アルハムドゥリッラーという文句
  タハリーラ:ラーイラーハイッラッラーという文句

●善行において競い合いたい教友たち
 預言者(平安と祝福あれ)に詰め寄った多数の教友たちは、マディーナに移動した貧しいムハージルーンと少数のアンサールです。ムハージルーンの多くが貧しい理由は、マッカにすべてを置き去りにして、逃げるようにマディーナにやって来たことです。彼らは以前に預言者(平安と祝福あれ)より聞いた、「サダカは(信仰の)証である」という言葉を、貧しいがために実行できず、つまり、自分達が信仰を明かせることができずにいることに不安とやるせなさを感じていたわけです。裕福な信者は自分達と同じように礼拝と断食をこなし、余分なお金をサダカしていては、競い合うことなどできません。そこで彼らは、アッラーに近づくための競争を行いたい一心で、集まって預言者(平安と祝福あれ)に窮
状を訴えたのでした。彼らは施すお金がないことを悲しみ、涙を目に溜めました。私達には、彼らが達した位に到達するために必要なサダカを施せません、しかし私達も彼らが得た位に到達したいのです、と。
 彼らの言葉を受け止めた預言者(平安と祝福あれ)は、善行の門は大きく開かれていること、またサダカをした人と同じ報酬を得られる行いがあることを説きました。アッラーは責任以上のことをしもべに負わせ給わないのです。預言者(平安と祝福あれ)は言われました。「アッラーはあなたたちにサダカするものを与え給わなかったのか?そうではないだろう。あなたたちには実に数多くのサダカが示されている。」
 預言者(平安と祝福あれ)はまず、「ズィクル」が自分自身に対する最良のサダカであることを説明されました。余分なお金がないならば、至高偉大なるアッラーを賞賛しなさいということです。一言一言に報酬があり、「バーキヤトッサーリハート(永遠に残る善行)」という名で知られているものです。「だが永遠に残る善行こそは、主の御許では報奨において最も優れ、また希望(の基礎)としても最も優れたものである。」(洞窟章46節)にあるように、その徳の大きさははっきりしています。
 次に預言者(平安と祝福あれ)が示したサダカは、「勧善懲悪」です。自分にできる範囲で行うもので充分です。人々に善いことを勧め、害を制することに対する報酬は、金銭をサダカする者の報酬に劣らないどころか、さらに優れているものでしょう。《すべての親切はサダカである》というムスリム伝承のハディースがあります。イスラーム共同体は、人類に輩出された最も優れた勧善懲悪をする団体なのです。
 またアッラーは私達に、「正しいニーヤに基づいて」朝に昼に行っていることに対しても良い報酬を準備し給いました。その一つを、《家族と妻に対する男性の扶養は、サダカである》というムスリムなどが伝承したハディースに見出すことができます。ほかに、《アッラーの御顔を求めて扶養のために出したものに対する報酬はかならず発生する。あなたの妻に運ぶ、一口の食べ物に対してもだ。》(アル=ブハーリーとムスリム出典)というハディースもあります。
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