イスラーム勉強会ブログ

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無存在の期間があったことを思い出せ

2008年12月28日 | 心に響くアーヤ

人間(76)章は、私の好きな章の一つで、ミシャーリー氏の読み(←は私の好きな古い読み。検索すると新しい読みの方がたくさん引っかかる。)を手本に昔、留学時代に暗記したことがあります(が、今読めと言われたらおそらくムリです)。
各アーヤが全てファトゥハタイン(マッドイワドの法則適用のためアーという音になる)で終わり、神秘的です。信者が備えるべき性質、報酬の内容、天国の美しい描写などが登場します。
章全部が好きですが、今回は最初の3アーヤを解説を交えてご紹介します。残りはインシャーアッラー、時間とやる気があれば載せます。

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بِسْمِ اللهِ الرَّحْمنِ الرَّحِيمِ
هَلْ أَتَى عَلَى الْإِنسَانِ حِينٌ مِّنَ الدَّهْرِ لَمْ يَكُن شَيْئًا مَّذْكُورًا
إِنَّا خَلَقْنَا الْإِنسَانَ مِن نُّطْفَةٍ أَمْشَاجٍ نَّبْتَلِيهِ فَجَعَلْنَاهُ سَمِيعًا بَصِيرًا 
إِنَّا هَدَيْنَاهُ السَّبِيلَ إِمَّا شَاكِرًا وَإِمَّا كَفُورًا
 

【1節意訳】:人間には、なにものとも呼べない、長い時期があったではないか。

【2節意訳】:本当にわれはかれを試みるため混合した一滴の精液から人間を創った。それでわれは聴覚と視覚をかれに授けた。

【3節意訳】:われは、人間に(正しい)道を示した。感謝する者(信じる者)になるか、信じない者になるか、と。

人間章1-3節

【1節解説】:このアーヤは私たちに人間の元の姿を思い出させてくれます。実際、人間は気づかれることなく、また忘却され、理解されない存在で、無の中にあり、人間を創ろうとする御方以外知ることのない卑しい液体でした。そしてまだ無の状態にある人間には長い時間が流れました。その後、アッラーは人間を創り給いました。

【2節解説】:われの力でこの人間を卑しい液体(つまり精液)から創造した、という意味です。それは女性の液体(卵子)と混ざります。これらが結合することで、驚くべき創造物が出来上がります。イブン・アッバースによると:「アムシャージュأمشاج」とは、混合物であり、男性液体と女性液体が一緒になり混合することである。一定期間が過ぎる度にその状態は変化する、とのことです。
「試みるためنبتليه」:アッラーは人間を宗教儀礼などで試し給い、感謝する者になるか、それとも忘恩者になるか、まっすぐ歩むのか、それとも道を踏み外し、迷うのかを見極め給います。
アッラーは人間を試み給うために、人間に考える力と区別する能力を授け給いました。人間はアッラーからのメッセージを、見、聞き、創造主の存在を確かめます。聴覚と視覚は、理解と区別のための能力なのです。

【3節解説】:われは人間に導きの道と迷いの道と明解にし、知るようにした、ということです。人間は組み立てられ、外的と内的感覚を与えられた後に、二つの道を示され、選択の余地を与えられます。この後、人間は感謝するのか、それとも忘恩になるのか見極められます。感謝する者とは、信仰し、アッラーの恩恵に感謝し、善い道を歩く者のことを言います。逆は、不幸で破廉恥で、アッラーの恩恵を忘れ、悪いを歩く者です。
(アッ=サーブーニーの解説書を参考にしました。)

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確かに、私は、50年前には存在していなかった。私が「存在」を意思したわけでも、希望したわけでもない。ということは、私は存在させられたということ。現状を見ると、存在させられたと言うより、存在させてもらったと言った方が妥当かなぁ。だって、楽しいことがたくさんあるから。
私が「存在させられた」と理解するなら、「存在させた側」は私に何かを求めていると思うし、
「存在させてもらった」と理解するなら、「存在させた側」に何かお返ししたい気分である。
でもどうすればいいのか、分からない。

それをアッラーは示してくださった。

コメント
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