イスラーム勉強会ブログ

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胸を開くための条件

2008年12月02日 | あちこちからタズキヤ(自我浄化)
アッサラームアライクム ワラフマトゥッラー

同胞の皆さん、皆さんの心の状態はいかがですか?
苦しんでいませんか?
私は、苦しいです。
↓を参考に、少しでもさっぱり出来ますように。
アーミーン
もとはこちら
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イブン・カイイム(アッラーの慈悲あれ)が述べた、胸を開くために最も重要な条件:

1 タウヒード(唯一神性)。それの完成度や、強さ、増幅度によって、人の心の爽快さは決まります。至高なるアッラーは仰せらました:【أَفَمَن شَرَحَ اللَّهُ صَدْرَهُ لِلْإِسْلَامِ فَهُوَ عَلَى نُورٍ مِّن رَّبِّهِ】(アッラーが、胸を開きイスラームとし、主からの御光を受けた者が(そうでない者と)同じであろうか。)(39-22)、【فَمَن يُرِدِ اللّهُ أَن يَهْدِيَهُ يَشْرَحْ صَدْرَهُ لِلإِسْلاَمِ وَمَن يُرِدْ أَن يُضِلَّهُ يَجْعَلْ صَدْرَهُ ضَيِّقاً حَرَجاً كَأَنَّمَا يَصَّعَّدُ فِي السَّمَاء】(凡そアッラーが導こうと御望みになった者は、イスラームのためにその胸を開く。だが迷うに任せようと御考えになった者には、その胸をまるで天に登ろうとするかのようにしめせばめる(もがき苦しめる)。)(6-125)そのため、導きとタウヒードが胸を広げるために最も重要な条件であり、多神と迷いが胸を狭め、苦しめる原因であると言えます。

2 アッラーがしもべの心に投げかける光―それはイーマーン(信仰)の光―です。それは胸を開き、広くし、心に喜びをもたらします。この光がしもべの心から失われると、苦しくなります。そして最も狭く、困難な牢獄へと変化します。

 アッ=ティルミズィーが彼の「ジャーミウ」の中で預言者(平安と祝福がありますように)について伝えたことによると、彼は言われました:《「光が心に入ると、広げられ、ゆるみます。」アッラーの使徒よ、その兆候は何ですか?と彼らが言うと、「永遠の世界に帰ること、欺瞞の世界に背を向けること、死が降下する前にそのための準備をすることです。」》。そのためしもべは光の分け前に応じた胸の開きを得ます。感覚的な光と感覚的な闇も胸を開き、また苦しめます。

3 知識。知識は胸を開き、広くし、現世よりも広大になることもあります。無知は苦しみと制限、閉鎖を継承します。しもべの知識が深まるたび、胸は開かれ、広くなりますが、全ての学問が対象ということではなく、アッラーの使徒から受け継がれてきた有益な知識がその対象です。その持ち主たちは、最も胸が開かれ、広い心を備え、良く行儀をわきまえ、善良な生活を送る人たちです。

4 至高なるアッラーに帰ること。心の底からのかれへの愛。かれに接近すること。かれへの崇拝に至福を得ること。これ以上にしもべにとって胸が開かれることはありません。その気持ちといったら、ああ、このような状態で天国にいることが出来たら、きっと私は素晴らしい生活の中にいるのだろうなあ、と口走ることでしょう。マハッバ(親愛)は、心の開放、魂の安泰、心の至福に驚くべき影響を与えます。感覚を持つ人しかそれを知ることはありません。マハッバが強く激しくなるたびに胸は広がり、開かれます。胸が狭められるのは、このこと(心の開放)に無関心な暇な人たちを目にするときだけです。彼らを目にすることは困惑であり、彼らと交わることは魂が出す高熱となります。

 胸が狭められる最大の原因は、アッラーに背くこと、心がかれ以外に傾倒すること、かれを念唱することに不注意になること、かれ以外を愛することです。アッラー以外のものを愛した場合、それで罰せられます。また他を愛したために彼の心は閉じ込められます。彼以上に不幸で心が疲労して欠けた者は地球上に存在しないでしょう。マハッバは2種類あります。マハッバ、それは現世の楽園、自我の喜び、心の歓喜、魂の至福、栄養、薬であるどころか、魂の命であり、喜びです。それは心の底からのアッラーおひとりへのマハッバです。傾倒力と意志とマハッバ全てをかれにささげることです。

 またマハッバは、魂の苦しみ、心の閉塞、胸が狭められることでもあります。マハッバは痛みと不幸と苦しみの原因なのです。それは、至高なるお方以外へのマハッバです。

5 どんな状態にあっても常にズィクルすること。ズィクルは胸を開き、心に至福をもたらす驚くべき影響力を持ちます。無関心は、胸を狭め、苦しみをもたらす驚くべき影響力を持ちます。

6 創造物に誠意を尽くすこと。持ちえる財産や地位で彼らを益することなどの誠意。寛大な誠意者は人々の中で最も胸が開かれ、自我が満たされ、心が至福で満たされています。誠意を持たない吝嗇者の胸は狭く、不幸な生活を送り、誰よりも苦難を抱えています。アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)はサヒーフの中で吝嗇者と施しをなす者を例えられました。鉄で出来た盾を付けた二人の男の話です。施しを気にし、施しをするたびにこの男の盾は広く、大きくなり、服を引きずって出来た跡も消えてしまいました。そしてケチな男が施しに悩むと、鎖の一つ一つは動かず、盾は大きくなりません。これが、施しをする信者の胸が開かれる例と吝嗇者の胸が狭められる例です。

7 勇気。勇気は胸を開き、心を広くします。臆病者は、最も胸が狭く、心が包囲されている者です。彼には喜びも楽しみもありません。家畜が得るような至福や楽しみ以外彼にはありません。魂の喜びと楽しみと至福と感嘆は、全ての臆病者に禁じられています。同様にそれらは吝嗇者にも禁じられています。また、至高なるアッラーに背く者、かれを想うことに無関心な者、かれとかれの美名、性質、教えに無知な者、かれ以外に心を奪われている者すべてにも禁じられています。この至福と喜びは墓の中で大きな庭園に変わり、あの苦しみと閉塞感は墓の中で罰となり監獄に変わります。しもべが墓にいるときの状態は、胸の中にある心の状態のようです。安楽と罰、監獄と自由。(以下省略)

8 心の欠点、つまり心を狭め苦しめる悪い性質を心から追い出すこと。人間が胸を開放する条件を準備しても悪い性質を心から追い出さなかったら、胸は開かれることはありません。(以下省略)

9 余分な視線、会話、嗜好、交友、食事、睡眠を捨てること。これらは痛みと不安に変わるからです。心の中にある不安は心を制限し、閉じ込め、締め付け、苦しめます。現世と来世の苦しみの多くはそれからやってくるのです。これらの災難を弓で突かれた人の胸がどんなに窮屈であることか・・・・どんなに不幸な生活を送っていることか・・・・どんなに悪い状態にあるか・・・・どんなに胸が狭められているか・・・。喜ばれる性質を弓で突かれた人の生活がどんなによいものか。その人の関心事はそれ(喜ばれるし性質)と共にあったのです!そのため、至高なるお方の言葉【إِنَّ الْأَبْرَارَ لَفِي نَعِيمٍ】(敬虔な者は、必ず至福の中にいる。)(82-13)から多くの分け前があるでしょう。また、【وَإِنَّ الْفُجَّارَ لَفِي جَحِيمٍ】(罪ある者は、きっと火の中にいるだろう。)(82-14)からも多くの分け前があるでしょう。この二つの間にはアッラーしか数えることの出来ない多くの階級があります。

 つまり:アッラーの使徒(平安と祝福がありますように)は胸が開かれるため、心を広くするため、目の喜びのため、魂の命のための性質全てを完璧に備えた創造物であったということです。(以下省略)

 追従される最も完全な創造物とは、彼らの中で完全に(胸が)広がっている人です。彼に追従する度合いによってしもべの胸は開かれ、目の喜びを得、魂の喜びを得ます。彼(預言者)こそ、最も胸が開かれた方、お名前が高く掲げられた方、重荷を背から降ろされた方です。彼に追従する者には追従する程度に応じた分け前があるでしょう。

 このように、彼の追従者にはアッラーが彼らに準備してくださっている分け前、彼らに対する保護、応援、愛情があるのです。それは追従の程度によるので、減ったり増えたりします。善いものを見出したならアッラーを讃えてください。それ以外を見出した者は自分以外を責めてはいけません。

 アッラーの使徒ムハンマドと彼の一族と教友にアッラーの祝福と平安がありますように。
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