退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「エネルギーとしての『美』」について

2016-06-18 02:02:44 | Weblog
くもりのち晴れ。やや蒸す。

遠藤賢朗「コティとラリックの物語 魅惑の香水瓶」を見て読む。

ガラス瓶の魅力を味わう。
個人的にはもっと色鮮やかなものを想像していたのだけれど。

どちらかというと形が中心になっていた印象。
気に入ったものは数点といったあたりか(もっとも「現物」を見ていないので微妙)。

漆塗りや刀の鍔の影響が伺える作品もあり。
本書のコレクションがあった湘南江の島香水瓶美術館は4年前に閉館した模様。

「箱根ラリック美術館」というのがあるようなので興味のある向きはそちらまで。
とりあえず作品の画像を載せておく。

おそらく「香水瓶」という限定をはずした方がラリックの魅力は味わえるはず。
「目の保養」という意味ではそちらが好ましい。

「砂漠に暮らす者」には「オアシス」が必要。
「生きるためのエネルギー」としてどこかで「美」を補充しておかないと。

もっとも「所有したいという欲望」はなくそれが「存在していればいい」だけ。
見られる「環境」さえあれば十分。

「『カワイイ』の濫発」にうんざりするのも事実。
できればもう少し言葉豊かに表現したいもの。

「キレイ」という感覚が人それぞれなのはわかるとして「圧倒的な美しさ」はある。
ときどきそうしたものに触れてどうにか「正気」を保っているような。

これもある種の「中毒」なのだろう。
一見「健康そのもの」ではあってもさまざまな「病気」を抱えているらしい。

やっかいだと思いつつ今後も付き合うしかなさそう。
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