退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「世代間闘争と『男女がカップルであることの呪縛』あるいはふたつの映画」について

2019-12-01 00:53:42 | Weblog
『快晴。おだやか。

久方ぶりに繁華街へ。

とはいえ単に丸善に行きたかっただけ。
橘玲「上級国民/下級国民」を買って読む。

前半では「団塊世代の利益の確保が若者の雇用を阻んだこと」を。
後半は「男に女が『供給』されない現実」について。

「リベラリズム」が行き着く果ては「究極の自己責任世界」だと。
「ベーシック・インカム」もそれを明らかにするだけだと言う。

「愚かなわれわれ」に対して「AIの知恵」を勧めるのだけれど。
まあわからなくはないとはいえ。

「友だちを見れば自分がわかる」ように
「同じタイプ」に興味を惹かれるのはおそらく「正しい」。

個人的に知っている若者たちは「生き延びられるかどうか」があやしく。
むしろ「血縁の家族」を捨てた方がマシかもと思えるほど。

「言語環境」も貧しく知識も手に入れられないのだとしたら。
「職人への道」が用意されていないとどうにも。

「人種のあれこれ」はアメリカが「最先端の実験場」。
「少子高齢化のあれこれ」はわが国の「独壇場」。

互いに役に立つ経験を元に「知恵」を働かせたいもの。

スティーヴン・S・デナイト「パシフィック・リム アップライジング」(’18)を観る。

「英雄」の父に反抗する一方菊池凜子の姉に救われるジェイク。
冒頭ではその姉を救うことが出来ず。

怪獣に両親と兄を殺された過去に引きずられつつ
「スクラッパー=ミニ版イェーガー」を作ってしまうアマーラ。

「怪獣とのドリフト」によって自らを乗っ取られてしまうニュートン。
彼と「通じ合っていたはず」のハーマンの「自立」もあり。

「未熟な若者たちに任せるしかない」という物語よ。
「ロボット」の出来に関しては楽しませて頂いた次第。

「富士山」に「レアアース」が多いのかどうか。
わが国の影響が夥しい作品はそこそこ楽しい。

リュック・ベッソン「ルーシー」(’14)を引き続き観る。

5年前のスカーレット・ヨハンソンはすでに「微妙」。
彼女を「柔らかくする」と仲里依紗になる趣き。

しょうもない男との付き合いから「新しい麻薬」を腹に縫い込まれ。
ところがそれが彼女の脳を異常に活性化することになってというお話。

「人類の歴史」を「総括」したいような監督の意図と映像は何ともはや。
韓国マフィアの登場が「必然的」ではなく(現実にはどうなのか)。

最終的に彼女は「遍在する存在」になり。
モーガン・フリーマンにUSBを手渡すのだけれど。』でまた寝る。

このところ「意識と肉体の乖離」が激しい模様。
どこかで「折り合い」がつくのかどうかは微妙。
コメント
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