退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「噛み合わなさあれこれ」について

2017-07-03 03:10:59 | Weblog
『くもり。天気予報に従ったらハズレ。

本切れで「論争 格差社会」を古本屋で買って読む。

「格差」という言葉の「定義」もないままに。
ほぼ何も言いたくなくなるような内容。

「原理的な思考」がここにはない。
ただ「過去」と「現在」の追認があるのみ。

「同じ資料」を元に「まともな議論」はできないものか。
どうにも「噛み合わない」事実が残る。

今宵も老舗バー。

スイス出身の23歳の若者が途中から来店。
下手な英語でしばしコミュニケーション。

「徴兵」の代わりに「ボランティア」を選んだ模様。
ドストエフスキーが好きだという彼はチェーホフを知らず。

農業を学びに北海道へ。
日本の各地に友だちがいるようでもうすぐ帰国する予定。

繁華街の喧騒を嫌って地下のバーへ。
大いにうなずきつつ。

彼は本国では「少数派」だったのこと。
「いじめ」に遭ったと思われる発言もあり。

「『主流』にいない人々」が「外国」に興味を持つという「定理」。
こちらも「少数派」なのでしばし楽しく話す。

「毎日飲むのか」と聞いたら農作業がハードで寝てしまうなどと。
詩人ランボーを知らないままペルノーを飲んだり。

互いに「母国語」を使わないコミュニケーションには「微妙な間」が生じる。
ただしそこには「気遣い」があることはありありと感じられて。

「どう話したら自分の言いたいことが伝わるのか」
実はその「間」こそ好ましいことを覚えておきたいもの。

なまじ「同じ言語を共有してる」という前提があれば
むしろ「些細な違和感」が採り上げられるだけで。

帰宅後飲み直す。
「That's the way, aha aha I like it♪」』と書いて昨日は爆睡。

晴れのちくもり。途中で雨も降るが暑い暑い。

李鳳宇・四方田犬彦「民族でも国家でもなく」を読む。

しばらく読んで再読だとわかった次第。
「アジア方面」に関する見方として知っておくべき内容だと再確認。

「交流」そのものがなければ「ステレオタイプな判断」が幅を利かせる。
「知らないこと」によって生まれる「弊害」を忘れずに。

とりわけ「北朝鮮」に対する判断に注意。
実は「かの国」が「小国」として「なかなかの振る舞い」をしていることなど。

もちろん「現体制」は好ましくないのだとして
かつても今も「独裁政権の国々」と付き合っている「事実」を覚えておこう。

西牟田靖「わが子に会えない」を引き続き読む。

副題に「離婚後に漂流する父親たち」。
詳細の違いはあるものの「子どもに会えなくなった父親たち」の具体例をあれこれと。

ありもしないDVを言い立てられたり相手方の弁護士たちが暗躍したり。
なるほど「夫婦の関係」はここまで「断絶」するらしい。

その前にもう少し「妻」になった相手への判断と
自分のそれまでの「生活ぶり」を考えたらどうかなどと思いつつ。

おそらくは「不幸な出会いの結果」と言うよりなく。
ただ本書は「片方の意見」しか聞いていないのが問題か。

もっとも「親権」を片方にしか与えないという「法律の意味不明さ」も。
「会えない」という「現実」を作り出しているのはそのせいだから。

「DVの事実判定」について曖昧なのも同様。
「自分の思い通り」にしたい人々がたくさんいることはわかる。

マル激を観る。

「5金=5週目の金曜日」に久方ぶりの「映画話」。
「覚悟を持つこと=引き受けること」を描いた作品を紹介。

君のためなら死んでもいいと思う「仲間」が今どきいるのだろうかと思いつつ。
あるいはそうした「感受性」がごく普通に存在するのだろうか。

言いたいことはわかるつもりだしそれが「望ましいこと」だとも。

がしかし。

その種の人間が「多数派」になるとは到底思えず。
「細々と続く水脈のため」なのだろう。

「君の名は」を「ロマンチック」だという「批判」がそのまま返ってきそうな。
いずれ「ロマンチック」ならどちらを選ぶのも「自由」。

結局「自分のいいと思うもの」を勧めることに変わりはなさそうで。
ならば自分も「同じ穴のムジナ」かと納得する。
コメント
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