退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「すべてを歪ませる磁場」について

2014-02-11 02:46:49 | Weblog
晴れ。夜風が冷たい。

玉木正之「スポーツ 体罰 東京オリンピック」を読む。

本の中身がいささかまとまりを欠いているのが残念。
とはいえスポーツがそもそも「民主主義」に基づいているという指摘に納得。

バスケットボールがサッカーを室内でできないかという発想から生まれたことや
バレーボールの「バレー」がテニスの「ボレー」と同じという興味深い事実もある。

スポーツの魅力が「個人の素晴らしい運動能力」にあるにもかかわらず
わが国では「どうでもいいドラマ」ばかりが取り上げられることは前にも書いた。

そこで提案なのだけれど
学校における「部活」は廃止したらどうか。

全部地域の「クラブ」におまかせすればいい。
そこでも個人のレベルに応じてスポーツを楽しめるようにするのはもちろん。

だいたい異様なまでに練習に時間を割いて
それで「他より高いレベル」にならなければそれはいったい何なのか。

やがてはプロやオリンピックを目指すあるいは目指せる人々にはそれでいいとして
世の中の大半はそうでない人なのだから。

ヘタな人でも楽しめること。

その「当然」がなぜかわが国には存在しないのだから
スポーツ本来の意味が見失われるのもむべなるかな。

たとえば子どもたちが無意味に走り出すのは「楽しい」から。
そうした「楽しみ」を奪っている「磁場」がわが国にはびこっている「事実」を知ろう。

それにしても。

この「磁場」はあらゆるものを変形させることおびただしい。
「巨大な村」だと思うくらいがちょうどいいとして。

さて。

すでに海外の投資家からはやがて来る「日本売り」が「自明」になっているらしい。
見捨てられないうちに「まともな道」を歩まないと「子孫」も自滅の道をたどるのみ。

ちまちました「仲間内での小競り合い」が「進路」を決めている場合ではないのに。
残念ながら「未来」を明るい形では描けないのでせめて生き延びていただきたい。

ちなみにまた繰り返しになるけれど
大して取れもしない「メダル」にこだわっている場合ではないのだ。

本気で取るつもりなら「世界」を知ること。
それを実現できる「個人」がまだいることがせめてもの救いか。
コメント
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