晴れときどきくもり。過ごしやすい。
山本夏彦「毒言独語」を再読。
今から三十年余り前の文庫で初出はさらに前でもある文章。
さすがにいささか古さを感じなくもないところもある。
逆に当時の著者の「若さ」に気付くようになった。
それは取りも直さず「今の自分」を思わせるところも。
もっともこちらには著者ほどの「芸」はなく
いたずらに嘆くことが多いのみ。
それとは別に現代に通用する指摘もあれこれ。
時は過ぎるが「変わらないこと」は常にあることを肝に銘じよう。
覚えておきたいのは「分際」。
そのあたりはむしろ「封建主義」の方が幸せか。
他人を見ることからあらゆる欲望が生まれるのは「事実」。
ただしその「視点」が果たしてどうなのかという疑問は持っていい。
自分に都合のいい「材料」のみを採り上げて
いたずらに「正しさ」を訴える「貧しさ」についても同様に。
「他人に迎合しない」ですむ立ち位置を確保しつつ
「好きなこと」に熱中する姿こそ好ましい。
たとえばあらゆる「宣言」がなぜ行われるのかと言えば
そこに謳われていることが「現実」になっていないから。
人は「理想」に夢中になると
「現実」を無視して「都合のいい現実」を見出したりするのでご用心。
もちろん自省を込めた上での話だが
それでも人はそのように生きたりする厄介な存在ではある。
山本夏彦「毒言独語」を再読。
今から三十年余り前の文庫で初出はさらに前でもある文章。
さすがにいささか古さを感じなくもないところもある。
逆に当時の著者の「若さ」に気付くようになった。
それは取りも直さず「今の自分」を思わせるところも。
もっともこちらには著者ほどの「芸」はなく
いたずらに嘆くことが多いのみ。
それとは別に現代に通用する指摘もあれこれ。
時は過ぎるが「変わらないこと」は常にあることを肝に銘じよう。
覚えておきたいのは「分際」。
そのあたりはむしろ「封建主義」の方が幸せか。
他人を見ることからあらゆる欲望が生まれるのは「事実」。
ただしその「視点」が果たしてどうなのかという疑問は持っていい。
自分に都合のいい「材料」のみを採り上げて
いたずらに「正しさ」を訴える「貧しさ」についても同様に。
「他人に迎合しない」ですむ立ち位置を確保しつつ
「好きなこと」に熱中する姿こそ好ましい。
たとえばあらゆる「宣言」がなぜ行われるのかと言えば
そこに謳われていることが「現実」になっていないから。
人は「理想」に夢中になると
「現実」を無視して「都合のいい現実」を見出したりするのでご用心。
もちろん自省を込めた上での話だが
それでも人はそのように生きたりする厄介な存在ではある。