退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ややこしいこと」について

2012-11-30 02:50:13 | Weblog
晴れ。冷えはやや緩む。

山口文憲「団塊ひとりぼっち」を途中まで読む。

「団塊の世代」というのは当時通産官僚だった堺屋太一の造語で
広く言えば1947年(昭和二十二年)から1951年(昭和二十六年)までに生まれた人々のこと。

現在61歳から65歳になっている人々の中から
代表的な有名人」を採り上げてある種の「傾向」を描いている模様。

今どきの若者からすると信じられないかもしれないけれど
当時は多くの人々が「同じ基準」を元にしてあれこれ動いていたことを知ろう。

とりわけ中心的な考えは「世の中を変えよう」というもの。
「公的」には親の世代に反発しながら「私的」には一昔前のあれこれがありふれていた模様。

荒井由実が作ってバンバンが歌った「いちご白書をもう一度」の歌詞が
ひょっとしたら彼ら彼女らに対する「否定的な評価」をもたらしたのか。

もちろん「世代」などという大雑把な括りで個人は判断できない。
とはいえそこに何らかの「共通点」を見てしまうのもよくあることで。

数が多いからこそ「生存競争」にシビアだったのだとすれば
最近では嫌う人も少なくない中国と同じだったり。

仮に彼ら彼女らの姿に「嫌悪感」を覚えるのだとしたら
まさに「もって他山の石」とする方が生産的かもしれない。

要は世代を問わずそうしたものがあり
誰もが何らかの「枠組み」に従って考え行動しているはずだということ。

そして特定の好ましい個人たちは
その「枠組み」と離れた場所で生きていたりするということ。

ならば好ましいからこそ
むしろ特定の個人に注目していればいい。

同じ「共感」を元にするなら「否定」よりは「肯定」を。
ただし他人を否定する「快感」はどうやら生半なことでは捨てきれないものでもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする