退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

それぞれの「対価」

2010-03-18 00:58:44 | Weblog
晴れのちくもり。風冷たし。

柳田國男「明治大正史 世相篇(上)」を読む。

「英国風」の「Folklore(フォークロア=民俗学)」の方法で
「現代」を描こうとした作品。

「約一年の間、全国各府県の新聞に眼を通して、莫大の切り抜きを造っただけでなく
さらに参考として過去六十年の、各地各時期の新聞をも渉猟してみた」らしい。

ところが「甲乙丙を分類比較して、その進化の径路を一目に明瞭ならしむることを
えなかった」と。

おそらくその失敗の原因は、「この書が在来の伝記式歴史に不満である結果、
故意に固有名詞を一つでも掲げまいとしたこと」にあると思われる。

「従って世相篇は英雄の心事を説いた書ではないのである」

「国に遍満する常人という人々が、眼を開き耳を傾ければ視聴しうるもののかぎり、
そうしてただ少しく心を潜めるならば、必ず思い至るであろうところの意見だけを述べた」とも。

ジョン・ヒューストン「許されざる者」(’60)を観る。

テキサスでカイオワ族に殺された父親亡き後平穏無事に暮らしていたザカリー一家。
ところが娘レイチェルがインディアンだという噂が広まって、という話。

長男バート・ランカスターは妹レイチェルのオードリー・ヘップバーンを
非常に可愛がっていて「妙な噂」から彼女を守ろうとする。

母親リリアン・ギッシュ(!)は噂をばらまく謎の老人に銃を向けて追い払い
さらに過激なことをするに至る。

レイチェルが養女なので、バート・ランカスターとオードリー・ヘップバーンは
互いに惹かれ合うものの、決して一線を越えない。

やがてカイオワ族のロスト・バードがやってきて彼女を返せと言い
応じぬ一家と戦うことにもなるのだが。

原題は「the unforgiven」。
誰かが幸せになるためにはそれ相当の「対価」が必要らしい。
コメント
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