グリーンズ・テイブル

ppのピアニッシモな戯言でござ~い☆

少欲知足

2011-03-05 00:44:41 | その他
新聞に時々掲載される『ひろさちや(宗教評論家)のほどほど人生論』は、ちょっと違う角度から物事を捉え、それが押しつけがましくない書き方なので楽しんでます。

前回はこんなのが。

仏教の教えの基本原理は『少欲知足』…欲望を少なくし足るを知る心。

「それだと進歩向上がなくなる、人間は欲望があってこそ向上するものだ」と反論したくなるけれども、少欲知足を実践しているうちに、世の中の人が言う進歩向上なるものが、たんなる競争原理にもとずいた、他人をやっつける快感にすぎないことが分かってきます。収入が増えたり、肩書が偉くなったりすることが進歩向上ではなく、少欲知足の人こそ、真に人間的に向上した人です。
世に言う進歩向上の人は、むしろ人間的には下劣な人が多いかもしれません。云々…


周りを見渡すと…うん、うん。

さて自分は?…あれもこれもと欲深ダ~

画像:本日07:17撮影



2 コメント

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悟り (コントラバスだった人)
2011-03-08 00:20:05
なかなか難しいお話ですな。私のような俗人には、捨て去ることが難しそうです。

「競争」という概念は、人間…というか、動物の根底に存在する概念だと思っています。考えてみれば競争というのは、生物として当然の原理・摂理なんですよね。

でも、世の中の人間以外の動物が、所謂「生命体として生き残るための競争、すなわち敗北=死」なのに対し、人間は命までは取られない。敗北しても、自分さえその気になれば、いくらでもやり直せる。そして、そのたびに強くなる、優しくなれる。

「生物の摂理だから」という言い訳を笠に取って動物のような原理主義に陥るのではなく、他人を思いやり、痛みを分かち合うことこそ、動物ではない、人間としてのアイデンティティなのかも知れません。

と言ってみても、工学の世界じゃ「1番じゃなきゃダメ」なんですよね。難しい世の中です。
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Unknown (pp)
2011-03-08 19:55:18
コメントありがとう。

この言葉は競争社会に疑問を持った人が、生きる術として受け取ると良いのかも。

一つしかない席に座れた人は、尚のこと責任を果たさなければと自分自身にプレッシャーをかけたり、当然嫉妬も受けるだろうし、下劣な人でない限り案外居心地悪い思いをして、2番目以降は言うに及ばずで、どっちにしてもしんどいですね。

こんな時「遊」の高僧良寛に憧れますが、現代社会では無理、そこで「少欲知足」の言葉が光ってくるのではと思います。

工学の世界はよく分からないけれど…
着地点に向かって一進一退を喜び憂いながらようやく辿り着くではダメ…なんですか。
厳しいですね~。
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