グリーンズ・テイブル

ppのピアニッシモな戯言でござ~い☆

ひん死

2015-03-09 13:35:35 | 生と死

 花自体はまだ枯れていないので、もう少しこのままにしておきたいとも思う。

花の気持ちはどうだろう。

 

こうなってしまうと輪っかは、胃ろうや鼻チューブを連想させる。

やっぱり、抜こう。

ねじる必要もなく、抵抗なく、すっと抜けた……正解だったんだ。

 

寄りかからないで~


在宅ひとり死

2015-01-25 19:07:16 | 生と死

孤独死とか孤立死ではなく、その友人には、上野千鶴子氏の言葉を借りて「在宅ひとり死」がふさわしい。

歳は10歳以上も上だったけれど、某団体の同期だったので、タメ口で愚痴を聞いてもらったり、時には聞かされたり、憎まれ口も言える、20年以上にわたって毎週顔を合わせる存在だった。

グリーンズ・テイブルにも時折コメントを残してくれた。

突然死。

町内会の方のおかげで、比較的早い段階で発見された。

数年前、「死んだあと、見られてもいいようにメールは全部消した」なんて言っていた。

無意識の予感ってあるのかな。

意識が遠のく瞬間、突然の終わりに戸惑っただろうか、それとも、ほっとしただろうか。

 

「在宅ひとり死」はこれからますます増えるだろうし、また、残された遺族が片付けを担うのだから、本人だけの問題ではない。

一人暮らしの立場では安否が周囲にわかるように、その親族は安否確認を怠らないように、お互い気遣う大切さをつくづく…

 

「んだから、相手にするなって、同じレベルになるなって」言われたことが蘇る。

あの、人懐っこい満面の笑みはもう2度と見られない。

 

画像は今夕。


遊びをせんとや生れけむ

2014-12-15 10:30:20 | 生と死

友人、知人、親族、たくさんの人を見送る歳になった。

この晩秋にも、十代の多感な時期に毎日会っていた同い年の友人が逝った。

ちょうど、ドヴォルザークのチェロコン練習が佳境に入った時期だったので、生涯この曲を聴くたびに、思い出すことになるのかも。

「治るような気がしている」と言った闘病中の彼女を前にして、自分の悩みなどはとるに足らないと思った。

 

「遊びをせんとや生まれけむ」

それを意識すると、煩わしいことや迷いごとなどが、どこかへ。

一生懸命、遊ぼうぜ、戯れようぜ。

せっかく生まれてきたんだもの、楽しまなきゃ。

そうできないものはためらうことなく、手放そう。

それが叶わないなら…努めて楽しむほうへ変換しちゃお!

だって、遊びをせんとや生れけむだもの。


今日が人生最後の日だったら

2014-09-12 21:13:33 | 生と死

 昨夜の落雷と集中豪雨、ちょっと怖かったです。

今日の一枚は夕方の空、色々な雲が行き交い、まだ不安定。

 

朝ドラで「今日が人生最後の日だったら」というセリフがありました。

私なら何をするだろう。

 

即答で、 か・た・ず・け。

 

いや、もう死ぬのだから、整理整頓よりも、多方ゴミ袋へ入れまくる。

それでも、一つ一つの思い出が蘇り、ゴミ袋へ運ぶ手が遅くなり、

気がつけばもう夜。

あたりを見渡せば、片付いていないどころか、ますます散らかっている。

アタシは今日死ねません、あと1週間はください

てなことに。 

ロマンチックのかけらも無い、私の最期。

 

あなたは?


心の中で

2013-08-16 09:29:55 | 生と死
雷に起こされた朝

ご先祖様がそろそろお帰りになる頃ですね。
先日読んだ「抜萃のつヾり」の中で西山厚さん(奈良国立博物館学芸部長)が著した「死ぬことはこわくない」で、「人は二度死ぬ」というくだりがありました。
亡くなった人を想う人が居る間はその人の心の中で生き続け、思い出す人がこの世に一人も居なくなったとき、本当に死ぬのだと。

これを読んで思い出したのが「夢から醒めた夢」(劇団四季)。
子供達が子供の頃に連れて行ったミュージカルで内容はもう定かではないけれど、
一つの台詞だけが今も残っている。
主人公が大好きだったお爺ちゃんお婆ちゃんにあの世(夢?)で再会し、喜びも束の間、再び別れの時が来て、言われた言葉、
「思い出した時には、いつでも側にいるんだよ」

見えないけれども、嬉しいではありませんか。
心強いではありませんか。

今日の一枚は、何年かぶりに咲いたガクアジサイ、北海道は8月に咲く花。
花言葉:謙虚、移り気、一家団欒(意味合いが全然違いますね~)


お盆に

2013-08-10 22:38:04 | 生と死


新聞や雑誌などに載った珠玉のエッセイ、コラムを抜萃して小冊子に纏めた「抜萃のつヾり七十二」(発行:(株)熊平製作所)を外出先での待ち時間に読んでいてウルッとなり、ヤバイヤバイヤバイ…


「最期の晩餐」
     八木睦美
 病名を告知された瞬間、父が肩をがっくりと落としたのを、私はいまでも鮮明に覚えている。5年前、父は六十一歳の若さでこの世を去った。銀行を定年退職して一ヶ月後に肺に癌が発見され、一年間の闘病生活を送った。その闘病生活の末期、いよいよだと悟った父は、最期は我が家で過ごしたいと言った。家族全員が集う居間に父のベッドを用意し、父を囲むようにして、家族は最期の数日間を過ごした。内臓の機能がほとんど動かなくなってしまった父は、口から食べ物を運ぶ事はできず、点滴で養分を補給していた。そんな父が、
「睦美、たまごかけごはんが食べたい」
と消え入るような声で言った。
「うん、直ぐに用意するから」
そう答え、私は台所へと駆け込んだ。私は、父の茶碗にご飯を盛りながら、父から聞いたある話を思い出していた。父が幼い頃、卵は高級品で、病気になった時以外は、滅多に口にする事ができなかったそうだ。ある日、どうしても卵が食べたかった父は仮病を使い、風邪のふりをして布団に潜り込んだところ、祖母が、たまごかけごはんを食べさせてくれたと、父は私たちに話してくれた事があった。その話を思い出した瞬間、
「今の父の病気も仮病だったら…」
その思いで、私の胸はいっぱいになった。そして、瞳の奥から涙が溢れてきた。そんな私の姿を見ていた母は、
「泣いちゃだめ。お父さんの前では絶対に」
そう言い、私の肩を優しく叩いた。
「お父さん、たまごかけごはん、持ってきたよ」
私は、できる限りの笑顔を作り、居間に戻った。私は、スプーンに一口のご飯をくすい、父の口元に持っていった。舐める程度の少しのご飯を、父は懸命に噛んでいた。
「おいしいよ」
父はそう言いながら、一筋の涙を流した。その涙を見た私たち家族は、ついに耐えきれなくなり、父に抱きついて泣いた。
「お父さん、仮病だよね?たまごかけごはんが食べたいから、病気のふりをしているんだよね?」
私は父に聞いた。
「そうだったらな…。そうだったらいいな…」
頼りない声で父はそう言った。父のこの病気が仮病であったらいい…。どうか、神様、仮病でありますように…。家族の誰もが、そう祈った。その翌日、父は静かに息をひきとった。父が、最期にたまごかけごはんを選んだのは、子供の頃、仮病を使ってたまごかけごはんを食べたように、この病気も嘘であったら…、という一筋の願いからだったかもしれない。父が他界して以来、私は、たまごかけごはんを食べなかった。父を思い出し、切なくなるからだ。父の五回目の命日、私は、たまごかけごはんを作った。箸を口に運び、ご飯を舌にのせた瞬間、目頭が熱くなってきた。私は、食べかけのたまごかけごはんを、父の仏壇にそっと供えた。
(やぎ むつみ=会社員・潮「潮エッセイ大賞 選考委員特別賞」24年10月号)

亡くなった父と重なったりして。。。
医師から治る見込みがないと家族に言い渡された後、入院生活が長くなって家に帰りたくてしょうがない父に2時間だけの帰宅許可が下り、連れ帰る。
食べ物が殆ど喉を通らない父に作ったのは卵とじうどん、少しだけ口にしてくれた。
居間から庭を眺めたりしながら住み慣れた家で過ごした最期の時は、10年前のよく晴れた夏の終わり。

画像はその庭から持ってきたアメリカ仙翁(名前を教えてくださったのはalchemillaさん)、今年も色鮮やかな咲っぷりでした。先月撮影。


明日はお墓参り。


アンパンマンの歌

2013-03-11 23:06:38 | 生と死

アンパンマンマーチ
   作詞:やなせたかし 作曲:三木たかし 編曲:大谷和夫 歌:ドリーミング

そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!
今を生きることで 熱いこころ燃える だから君はいくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン やさしい君は いけ! みんなの夢 まもるため

なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ
わからないまま おわる そんなのはいやだ!
忘れないで夢を こぼさないで涙 だから君はとぶんだ どこまでも
そうだ おそれないで みんなのために 愛と勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン やさしい君は いけ! みんなの夢 まもるため

時ははやくすぎる 光る君は消える だから君はいくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび たとえ どんな敵があいてでも
ああ アンパンマン やさしい君は いけ! みんなの夢まもるため



大震災後、子供達が歌う「アンパンマンの歌」に励まされたという人達が多いという。
テレビで始まった25年前、ウチの子供達は就学前で日曜の朝はアンパンマン。
(今やキャラクターが凄い数!)
どんな歌詞だったのか、ここに留めておきます。

遠目で

2013-03-09 18:59:40 | 生と死

亡くなって10年も経つと思い出す機会が減ってきて、親不孝な娘は亡くなった後も親不孝だなぁなんて思いながら、母の笑顔が思い浮かんだのは、昨夕の買い物最中。
あれ?昨日は母の月命日だったと、今日になってその不思議さに気づく。

亡くなった人の誕生日が来ると意味もなく、生きていたら何歳だろうと考える。
何十回もお祝いしてきたのだから、そんな想い癖は少なくとも同じくらい経たないと直らないだろう。
毎年プレゼントを考える煩わしさ!?も、あるうちが花。
父が生きていたら今日で、え~と何歳。。。
そういえばお彼岸もまもなく。

本日の画像は少し休んでまた咲き出したペンタス。
つんと伸びた雌しべが可愛いくて画像に収めると、生命力有りすぎの触手に見えてちょっと恐い。

遠目で見てあげましょ。


感謝

2012-04-22 07:45:14 | 生と死

偶然にも知り合いと同じ職場になった方から、7年前にホスピスのお部屋で音楽療法をしていたときに撮ってくださった写真をその知り合いを通じて頂いた。

不思議なご縁。

音楽療法ボランティアを退いて3年半、昔のこととして仕舞い込んでいたけれど、写真を見てじわじわと思い出す。
写真に添えられた手紙には、音楽好きな父はとても喜んでいたと。
押しつけになってはいないか、気にしていた身には今さらだけど、ほっと。

写真のお礼にシナモンロールを焼いた…まぁ、私に出来るのはそんなところだから。

心を込めて。直径約23㎝。


そういえば集団セッションの時、Tさんはやせ細った身体で、趣味のアコーディオンを弾かれ、みんなで歌った…
曲は何だったろう。
どうしても思い出せない。

お礼をしたためた手紙をパンと一緒に包みながら、思い出をたぐる。

あっ!「バラが咲いた」 そう、「バラが咲いた」でした。
アコーディオンのテンポリードが心地良く、木漏れ日が差し込む美しい空間…

使った便せんと封筒に薔薇一輪。
不思議な偶然。


サンダーソニア

2011-06-30 00:37:12 | 生と死
母へ最後にプレゼントしたフラワーアレンジメントの中にこの花が入っていた。
数種類の中に混ざっていても、色と形のユニークさが目立って、
母は何度も「かわいいね、かわいいね」と言った。
発語が少なくなり、同じことを繰り返し言うのはもう慣れていたが、
この時ばかりは、そう言う母こそ可愛いと思った。
珍しく感情を表した誕生日、9年も前のこと。

亡くなった人と会って話したい衝動に時々駆られる。
悲しいのは、今生でそれが出来ないことなのだと思う。

一昨日は同い年の友人のお母さまの告別式。
私の母と同年齢で長生きされたことと、この年齢まで親子として居られた友人を羨ましく思ったが、親を亡くす悲しみに年齢は関係ない。

その日の夕方通りかかった花屋さんで偶然見かけたサンダーソニアに、母の言葉と私の思いが重なる。

ゆり科
花言葉:励まし


楽しいこと、美味しいものは……新しい力にかわってくれる☆

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