可愛いですね。なにか香ってきそうな。
早速、首元につけて外出、ちょっとしたおしゃれが自分だけでなく、相手をも嬉しくさせる。
友人が端布で作った、世界でたった一つのブローチ。
手慣れている人なら、ささっと作れるでしょうが、この部分を捨てている身としては感謝ともに大事に使いたい。
穏やかな天気が続いているというのに、未だ海から昇る初日の出が見えません。。。おっと、遅ればせながら今年もよろしくお願いします
「風邪とは仲良しにならないようにね」などと言っていた自分が、誰よりも仲良くなってしまい、せめて重症化しないようにと年末年始は極力、横たわって身体を休める日々。。。
買い物は体力があるうちに済ませておこうと29日に出かける。できるだけ簡単なものをと年越しは「すき焼き」に決める。暮れの大奮発で、スーパーで売られていた中では一番高い白老牛220gパック(この年齢になると量より質)を購入。大した量ではないのに、トレーだけは大きくて冷蔵庫に入らないので、レジ袋に入れたまま、チルド室化している物置に置く。
そうして迎えた31日、身体はだるいものの、幸い熱は出なかったので食欲はまあまあ。昼には煮物を作りながら鍋用の具材も用意完了、あの綺麗なサシ、さぞ柔らかいだろうなと想像。。。
夕方、そのお肉を取りに行くと…ない!
何度見渡しても…ない!
30日は最後のゴミ収集日、出せるものは全て出そうと勢いづいた連れ合いが出してしまった…それしか考えられない…本人は未だ認めていないのだけど。。。
入るはずだったスペースには、冷凍庫で眠っていたデンマーク産豚肩ロースが急きょお出ましと相成った。
怒る気持ちは通り越し、黙々と食べる。
市販薬のおかげで、昼間も夜もよく眠れ、風邪の症状がなんとか治まったと思いきや、今度は腰痛、原因は寝すぎ。湿布をはれば楽になると思いきや、今度は皮膚がかぶれる
こんな調子で今年は始まりました、笑ってくださいまし。
画像はお花屋さんで出来合いを調達、いつもは自己流で生けるのだけど、それもままならず。でもさすがプロ、まとまりがすてき。
おはぎ、自慢じゃないけど作ったことはなく、お彼岸とお盆のお供えには「十勝おはぎ」が定番。
今日は、仏壇に供えてからお墓参りに出かける。
パックの蓋を開け忘れたことに、途中で気づく、まっいいか。。。
形式的になりつつあるお墓参りは、それでも行くべきときに行っておかないと、どうも落ち着かない。
そうして、帰宅するとお供えのパックの蓋が、なんと開いている!
蓋の先端でセロテープがヒラヒラ!
「よっぽど食べたかったんだねフフフ」
残りをお相伴にあずかる…年に3回の楽しみ、たしかに美味しい。
約束をすっぽかしてしまった。
その時間もテレビに見入っていて、お相手から電話が入っても瞬時に思い出せなかった。
大事な音合せの約束が完全に吹っ飛んでいた、我ながら信じられない、ありえないことが起きた。
それくらい九州の大地震は、遠く離れていても意識外の衝撃まで大きかったらしい。
あ~ダブルショック。
(地震のせいにしちゃって、認知症の始まりじゃないのって、誰?)
笑って許してくれた心広い方々、有り難い、逆の立場の時は自分もそうしたい。
本日の画像は昨日撮影のクリスマスローズ。
うつむいて居るところを他の枝で支えてなんとか撮影。
肉眼ではもっともっとジミ~な花姿、でもそれが良いんだなぁ。。。
花言葉:不安を和らげて。
我ながら信じ難いことだけど、ブログを始めて10年目に突入です。
ちょっとやってみようかなとドギマギしながらアップしてみたのが始まりで、とにかくなんでも良いから毎日アップを心がけた日々もあったことなどウソのような、最近の閑散ぶり。
肉体的理由としては、書くことが無くなったわけではなく、考えのまとまりやタイプに時間がかかるようになってきて、タイプミスも多くなり、それゆえ眼精疲労も余計増し、優先順位をつけるとブログはどうしたって最後の方に。まぁ年をとるってこういうことなのだ。
精神的理由としては、ストレスから気持ちをそらし美しいものへ着眼したことを残したかった…日々の強いストレスから開放(おかげ様で)されて気づいた次第。
これから?
風の吹くまま、気の向くままに。。。
最近の読み物の中で心にとどまった文章、
「他者と比べないのはもちろんのこと、過去の自分とも比べない」
つまり、過去はどうでもいい、これからどう生きるかが大切なわけで。
本日の画像は我家の庭の福寿草、1週間前撮影。
本ブログのスタートも福寿草でした。
黄色は元気を運んできます。
乾燥と寒さの厳しい冬、風邪をひかないで乗り越えられたと安心した矢先の体調不良は過信から。
今度は気をつけようと思いながら、喉元すぎれば、つらい症状になることを忘れ、繰り返す。
我ながらバカだなぁと思う。
PCを開くことさえままならなくなっていた状態からはようやく脱出、私にも春が来た(…と、ここでまた調子に乗らないようにセーブセーブ)
3月の北海道、外は刻々と変化している。
我が家のトイレは壊れた換気口に、もう巣が作られ、小雀の鳴き声がBGM。
雀用にまいている餌をついばみに来たヒヨドリ(画像、今日撮影)
しっかり食べてしっかり身体を休めて、まもなく大海原を渡っていくんだね。
体力が気力に劣るお年ごろ、調子が良くても、しっかり休むことを意識しよう。
世の中は混沌としていたけれど、個人生活で思い出すのは楽しかったことばかり。
健康を取り戻し、穏やかで多方面に渡り充実していました
思うに、良いことも悪いことも、そう長くは続かない…となれば、良い時はおごり高ぶり有頂天にならず、悪い時はそんなに落ち込まない~が、良いんじゃないのかなぁ。
来年の抱負?
さらに軽やかに!(フフ)…色々ありますよん、でも書かない(ハハハ)
良いお年を!
本日の一枚は今朝のヒース。
うちの庭では一番最初に春を告げる花。
これから凍える冬がやってくるというのに小春日和にだまされて、もう色づいちゃった。
あ~ぁ…
花言葉:私は私らしくありたい
新聞に掲載されていた落合恵子の文章です。
暮らしていくということは…。何かを手に入れ、自分のものとなったその何かを手放すことの連続なのかもしれない。
あえて言うなら、一度自分のものになったものをうまく手放せた人生は成功であると、わたしは考える。人としての豊かさとは、手放せることと深くかかわるような気がするのだ。そうでなければ、人は一度持ってしまったものに囲まれ、埋もれて、やがては深い息もできなくなってしまう。
一度手にしたものは決して手放さないという生き方もあるだろう。「物」に限らず、権力や名誉、人脈なども「持ちもの」に入るかもしれない。重すぎないか?息苦しくないか?持ちすぎた光景に接すると思う。そして自分にも同じ問いを投げてみる。
何かを手に入れるよりも、手に入れたそれらを手放すことのほうがはるかに難しい。わたしたちは時に首をかしげる。わたしたちが「欲しい」と思うものは、本当に「ほしい」ものなのだろうか。そう思わされているだけではないだろうか、と。
云々…
奇しくも「あのこと・このこと」を、人がなぜ?と問うことを、都度手放してきた。元に戻るだけ、失うものは何もないと思うと簡単に手放せたが、時折、その決断は正しかったのかという思いが頭を擡げる。そんなときは、全部抱え込んでいたとしたら身動きが取れなくなって、ただストレスの塊になっていたことが想像でき、やはり正解だったんだという思いに帰る。それを後押ししてくれるような文章が嬉しかった。
本日の一枚はペンタス、星の姿が愛らしい。
弱っていたペンタスの鉢替えをした途端、みるみる新芽が出て花が咲いた。
植物は正直、手入れ状態がすぐに現れる(汗)、まずは丈夫で良かった。
花言葉:希望が叶う