POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 デンマークの細菌学者「ハンス・クリスチャン・ヨアヒム・グラム(Hans Christian Joachim Gram)」は、1884年に細菌を2つに大別する分類手法を発明しました。クリスタルバイオレットまたはゲンチアナバイオレットなどの塩基性の紫色色素液で染色し、エタノールで脱色すると脱色される細菌とそうではない細菌とに分類でき、さらにサフラニンまたはフクシンなどの赤色色素で染色すると、脱色された細菌は赤色に染まって見えます(脱色されなかった細菌は紫色のまま)。この染色方法をグラム染色(Gram staining)といい、脱色されず紫色のままの細菌を「グラム陽性菌(Gram-positive bacteria)」、脱色され赤色に染まる細菌を「グラム陰性菌(Gram-negative bacteria)」と分類します。

 この紫色に染色したものが脱色されるされないは、細胞壁の構造の違いによるものであって、紫色に染まったままでアルコールで脱色されない細菌(「グラム陽性菌]」)の細胞壁は10~100nmの厚さをしており、紫色が脱色されてしまう細菌(「グラム陰性菌」)の細胞壁の厚さ(10nmほど)と比べてかなりの厚みを持っています。グラム陰性菌の細胞壁の成分には(積極的には分泌されないのですが)毒素があり、内毒素(エンドトキシン、endotoxin)と呼ばれます。グラム陰性菌が放出する毒素によって血管平滑筋が麻痺して血流が減少すると「エンドトキシン・ショック」というものを起こします。

 東京都板橋区にある「帝京大病院」で、9人の死亡者(死亡と感染の因果関係が否定できない例、感染が確認された53人中)を出した「多剤耐性アシネトバクター・バウマニ(Multi-drug resistant Acinetobacter baumannii、MDRAB)」は、グラム陰性菌です。アシネトバクター(Acinetobacter)という細菌は、土壌や水の中によく見られる細菌で、人の皮膚からも見つかることが多い細菌です。体力や免疫力に問題のない人に対しては病気を起こすことがほとんどありません。しかし、体力や免疫力の弱まった人には「アシネトバクター感染症」を引き起こすことがあります。アシネトバクターの研究者、バウマン(ボーマン、Baumann)夫妻の名にちなんだ「アシネトバクター・バウマニ(Acinetobacter baumannii)は、アシネトバクター感染症の報告例の多くを占めます。

 アシネトバクター・バウマニによる感染症は、咳や熱が出る、呼吸が苦しいという症状で発病し、急激に呼吸不全やショックへと進み、敗血症ショックや多臓器不全で死に至ることもあります。アシネトバクター感染症の治療には、抗生物質が使用されますが、多くの抗生物質の効かない(多剤耐性)症例がしばしばあります。細菌が多剤耐性(multi-drug resistant、MDR)を獲得している場合、アシネトバクター感染症の治療は難しい。そのアシネトバクターに有効な抗生物質を探し出す作業になります。

 アシネトバクターという細菌は、大腸菌などが持つような「鞭毛(flagellum)」がありません。そこで、動くこと(-cineto、シネト)のできない(a-、ア)細菌(bacter、バクター)という意味で、「アシネトバクター(Acinetobacter)」と命名されているようです。しかし、人間の皮膚などについてあちこちに運ばれていきます。医療関係者の皮膚や衣類、靴などに付着すれば、病院内にも入っていきます。

 日和見(ひよりみ)という言葉があります。「行動を決めるために空模様を見ること」という意味以外に、「周囲の状況を見て、自分に都合のいい選択をして行動する」ことを意味します。アシネトバクターは、体力のある、免疫力の強い人たちには悪さをしません。体力のない、免疫力の弱まった人たちを狙って発病させるのです。そのことから、アシネトバクター感染症は、「日和見感染」に分類されます。

 体力や免疫力の弱まった人の密度が高い場所は、病院です。医療従事者などによって持ち込まれたアシネトバクターが「院内感染」を引き起こし、死亡者を出すこともあります。アシネトバクターはある程度の濃度のアルコールで死滅するので、院内感染対策として消毒が有効ですが、乾燥に強く数週間にわたって生存できるといいます。患者に接する医療関係者の手などの消毒も必須ですが、床、ドアノブ、カーテンなどの消毒も必要となるようです。

 病気を治療するために入った病院で、院内感染対策が十分ではなく、ほかの病気に感染し、死に至るというのは、「医療過誤」とともに人為的なものであり、あってはならないことです。しかし、医療現場はコスト削減で院内感染対策にかける費用がないのでしょうか、死亡者が出なかったので大きなニュースにはなっていなかったのですが、「院内感染」の報告は数多くされていたようです。救命救急センターの集中治療室を中心に複数の患者が多剤耐性アシネトバクターに感染していたなどの報告がされていたのです。

 我が身を守るには、入院するような病気にならないように健康にそして食生活に留意し、事故に遭わないように細心の注意を払って行動し、、、そんなことをできればいいのですが、、、

               (この項 健人のパパ)

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 来年の「イタリア家族旅行」では、フランスを経由してイタリアに入ることを予定しています。我が子「健人」をパリの「ルーブル美術館(Musée du Louvre)」に連れて行って、西洋画に対するある程度の鑑賞眼を身に付けさせようというのです。ルーブル美術館には、17世紀のオランダで活躍した肖像画の名匠「フランス・ハルス(Frans Hals)」が描く「ジプシーの女(Zigeunermeisje、Gypsy Girl)」があります。1628年から1630年頃の作品だと考えられています。時代はすでに「カラヴァッジオ(Caravaggio、1571年~1610年)」を経験していました。ハルスはカラヴァッジオが得意とした明暗対比の強い陰影法を用いています。




 人は自分や家族の姿を記録に残したいと考えます。いま、私たちにはカメラがあります。19世紀にカメラが実用化し、21世紀、自分や家族の姿は電子的に記録に残すことができます。しかし、ハルスの生きた(1582年~1666年)時代にはカメラはありませんでした。その時代、肖像画家という職業があって、中流から上流階級の人々からの注文を受けて、肖像画を描いて生計を立てていました。その時代の人々は、いま私たちが七五三の記念写真を写真館に撮りに行くような感覚で肖像画を発注していたのです。ハルスは肖像画家です。しかし、必ずしも注文に応じて描くだけではありません。八百屋の女、農夫、浜辺の漁師の子供なども描きます。

 人にカメラを向けると、その人の「今」が写せる瞬間があります。そのときにシャッターを切ると、「ベスト・ショット」という写真が撮れます。それと同じことは長い時間をかけて描く絵画には無理なはずなのですが、ハルスは頭の中にカメラを持っていたかのように「ベスト・ショット」を描きます。



 「ジプシーの女」という作品名は、ハルス自身がそう名づけたわけではなく、この女性の風貌からジプシーの女性が連想され、そう呼ばれています。はだけた胸が強調されていることから、この少女は「娼婦」だったと考えられています。カラヴァッジョは「女占い師(Buona ventura、The Fortune Teller、1595年頃)」でジプシーの女を描きますが、それと比べれば、この少女の着ている物が貧しさ故か貧弱です。しかし、ハルスはこの少女の瞬間的に見せた無邪気な表情を鋭く捉え、彼女の「今の生」を的確に描写しています。

 カラヴァッジョの「女占い師」は、初期における最大の傑作の一つと評価されています。まだ、カラヴァッジョの特徴である強い明暗表現はされていません。身なりのよい服装をした若い男が女占い師に右手を差し出して未来を占ってもらっています。この占い師はジプシーだとされます。ジプシー(ロマ人)は、インドからヨーロッパへと移ってきた人たちだと言われています。その放浪の旅で手相占いが行われていたようです。

 女占い師は、誘惑するように男の目を覗き込みながら、男の指先から指輪を抜き取ろうとしているという解釈もされます。その当時、占いを隠れ蓑にした娼婦もいたということですから、この絵の解釈はいろいろでしょう。この絵もルーブル美術館にあります。 

 NHKはいまから25年ほど前、フランスの民間テレビ局TF1との共同で、13回にわたる「ルーブル美術館」を制作し、1985年4月から1986年4月にかけてNHK総合テレビの「NHK特集」の枠で月1回放送しました。その第9回「光と影の王国~スペイン黄金時代~」は、カラヴァッジョの「女占い師」を取り上げて始まります。その中で次のように述べられます。

 この「女占い師」は、イタリアの画家「カラヴァッジオ」が20代の初めに描いた作品ですが、当時大変な評判を呼びました。面白いことに世間はこれを道徳的な作品と受け取ったのです。つまり、教会や親の導きを仰ぐ代わりに行きずりの女占い師などに相談をする若者は、身ぐるみはがされるような天罰を受けて当然とこの絵は教えていると言うのです。

 「ルーブル美術館」第9回の案内役は、レイモン・ジェローム(Raymond Gerome)とジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau)でした。2人の会話が続きます。

レイモン「ごらん、ジャン。カラヴァッジオの初期の作品だ。落ち着いた色と柔らかな光。とても美しい作品になっている。しかし、この絵のテーマはなかなか刺激的だね。」
ジャンヌ「ええ。女の方はジプシーの占い師ね。若い伊達男の手を取って、彼の運命を占っている。でも、彼女の笑いは作り笑いよ。何か企んでいる笑いだわ。ずっと若者を見つめているけれど、でも、ほら、よく見ると彼女は若者の手から指輪を抜き取ろうとしている。」
レイモン「ははは。挙句の果ては財布まで奪われてしまうかも知れないね。」
ジャンヌ「2人の視線の中にどこか共犯者みたいなものが感じられない?」
レイモン「うん?」
ジャンヌ「若者は自分からすすんで騙されようとしているように見えるわ。恋のなれそめを描いているかも知れない、、、」
レイモン「それは面白い見方だと思うね。」
ジャンヌ「暗黙の了解と期待と好奇心。恋物語の始まりよ。」


 フランスのルーブル美術館は、イギリスの大英博物館、ロシアのエルミタージュ美術館と並ぶ世界三大美術館のひとつで、その所蔵点数は30万を超える(すべてが展示されているわけではない)といいます。ルーブル美術館の廊下の総延長は20kmに及ぶようです。絵も見ずに時速4kmで歩いたとして5時間かかる計算になります。そのように広い美術館で、テーマも待たずに絵画を鑑賞するのでは、たぶん何の印象も持てずに終わってしまうでしょう。

 2度目の「イタリア家族旅行」は来年の3月頃という予定のようですから、半年ほどの余裕があります。ルーブル美術館を訪れるのは、2度目になります。今度はテーマをしっかり持って訪れたいものです。忙しい毎日、暇を見つけては「何を見るか」というルーブル美術館の研究をしています。

                 (この項 健人のパパ)

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 貧困は犯罪を呼ぶ、これは紛れもない事実です。犯罪を減らすには貧困を改善することです。富の集中をさせないことです。富の再分配を行うことです。しかし、現実には世界に富は偏在しています。

 ルーマニアやブルガリアを中心とする旧東欧に多く定住する「ロマ人」という人たちがいます。ロマ人はインドが起源とされる民族で、その一部はヨーロッパ各地を移動して暮らしています。フランス政府はロマ人に対して自発的に出国に応じた者には1人300ユーロ(約3万3千円)、出身国で店などを出す計画がある者には3600ユーロ(約40万円)を支給し、出国に応じない者は強制送還するそうです。

 ロマ人は欧州では「ジプシー」などと呼ばれ、集団で窃盗などを働く者もいると言われています。「パリの窃盗の5分の1はロマの仕業だ」などとフランスの政権は指摘したようです。ロマ人の強制送還は、犯罪対策・治安維持の意味合いを持っています。欧州連合(EU)は、国境をなくしました。人は自由に移動できます。2007年にルーマニアとブルガリアがEUに加盟しました。EU域内には大きな「東西格差」があります。富は西に多く集まっているのです。ルーマニアとブルガリアからフランスやイタリアなどへ、ロマ人の流入が続いています。「富」が人を惹きつけるのです。

 中国に「盲流」という現象があります。「やみくもに流れ出てくるもの」という意味で、「流れ出てくるもの」は「出稼ぎ労働者」です。経済的に豊かになった中国沿岸部の大都市に、依然と貧困に喘ぐ内陸農村部から流れ込んでいるのです。「盲流」という差別的な響きのある語は、いまは「民工」、「農民工」などの無機的な語に置き換わりましたが、実態は変わりません。この「盲流」の中から職を失って犯罪に走る者も出てきました。都市住民にとって、盲流は不気味な存在であり、差別の対象となります。

 フランスの政権は指摘しています。「パリで過去18か月間、ルーマニア人の犯罪は2.6倍に増えた。」フランス政府のロマ人追放に抗議する人権団体のデモが、9月4日、ベルギーのブリュッセル、ポルトガルのリスボン、フランス各都市などで行われましたが、その参加者はそれほど多くはなかったと言います。西の人たちにとって、差別が自分には及ばないこと、雇用などの経済問題ではないこと、追放が治安維持に貢献するだろうと考えていることなどがデモが小規模だった理由であると考えられます。

 ジプシーは色が浅黒く、独特の雰囲気を持っており、ヨーロッパの人たちには一見して分かると言います(妻がイタリアで聞いた話では「最近、ジプシーも垢抜けて見抜けない場合もあるのよ。」だそうです。)2010年3月にイタリアに行ってきました。妻がローマの「テルミニ駅」で、「フィレンツェ」に移動する切符を買うために自動販売機の前に立っていたところ、健人が「後ろにジプシーがいるよ。」と告げたそうです。そこには洗濯物を持った家族らしい数人がこちらを注視していました。

 妻は健人にイタリアに行く前にジプシーの犯罪の手口を教えておいたそうです。犯行の現場を見られないように、集団で人の壁を作り、また被害者の抵抗をなるべく受けないように覆いとなる袋・衣類などを持っていることが特徴のようです。それを知っていた健人は、1.集団、2.洗濯物、で「狙われた!」と感じ、妻に警告を出したのです。

 二人の感じたことは、誤りであったかも知れません。しかし、妻は確信を持ってこう言います。「あれはジプシーだったわ。私が財布を出すのを待っていたのよ。」妻は息子の手を取って足早にその場を立ち去りました。切符は後日買ったそうです。妻は、旅行先では「性悪説」に立ちます。「まず、疑ってかかるのよ。そうすれば、被害に遭わないで済むわ。」旅行ガイドで、犯罪の手口も読み込んでおく妻には脱帽です。

 私たちは、今回の旅行では犯罪に遭わないで済みました。しかし、妻はオーストラリアでバッグを持ち逃げされ(上の息子「優也」と旅行中)、パリの地下鉄内でカメラを抜き取られ(私と旅行中)、上海の人ごみで携帯電話を掏られる(一人で旅行中)などの被害も経験しています。

 私もサンフランシスコのマクドナルドでいわゆる「ケチャップ強盗」に遭うところでした(未遂で終わった)。知り合い5人で旅行していましたが、座席に座っていたところ、近づいてきた男が連れの一人に「肩にケチャップがついているよ。」と言ってきたのです。

 狙われていたのは私の持っていたバッグ。全員のパスポートが入っていました。注意がその男の指に付いたケチャップに注がれたのですが、私の視界の片隅にこちらを見つめている「メキシコ系」の男が入ったのです。もちろん声をかけてきたのも「メキシコ系」。似ていました。兄弟かも知れません。自分の脇に置いていたバッグを引き寄せ、その男に視線を向けます。

 男二人は何事もなかったように消えました。「どうして肩になんかケチャップをつけてしまったんだろう。」と言う連れに「いまのがケチャップ強盗さ。」「何ですか、それ。」 知識は人を守ります。外務省は、「海外安全ホームページ」を開設しています。その「サンフランシスコ」の項からの抜粋です。

 邦人観光客が特に多く被害に遭っているのは、スリ・置き引き被害です。スリ被害はバス等の交通機関の中で、置き引き被害はホテルやレストラン等での被害が多いようです。混雑した交通機関の中ではバッグ等を体の前に抱える、ホテルやレストラン等の中でも所持品は身につける、体から離さないようにする等の注意が必要です。

 イタリアは、最低限の収入を満たしていない、定住地がないなどの「犯罪に走りやすい」ロマ人をルーマニアなどに国外追放する準備を進めているようです。人種差別はよくないことです。差別する者はいつ立場が逆転して差別される者になるか分かりません。それほど危うい行為なのです。「被害者」になる前に「加害者」にならないことです。「差別」は非難されるべきだという共通理解を作っておくことです。

 しかし、「治安」が維持されることも一つの「価値」です。この問題はどこに落ち着くのでしょう。妻は、2度目の「イタリア家族旅行」をフランスに入ってイタリアに移動するというプランで練っています。美術に興味を持った健人に「ルーブル美術館」を見せてやりたいのだそうです。その意味では、安全な「パリ」は望ましいことです。しかし、窃盗の5分の1がロマ人の仕業だとしても、残りの5分の4は誰の仕業?

               (この項 健人のパパ)


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 国立情報学研究所の「デジタル台風」から、2010年9月3日16:20JSTの記事を引用します。

 台風9号(MALOU)が日本の南で発生しました。この台風は台風7号の経路の若干南側を並行して、ほぼ似たような経路を進むとの予報が出ています。太平洋高気圧の縁を吹いている南寄りの風に載って移動するため、5日前と太平洋高気圧の勢力に変化がなければ、2つの台風は同じコースを進むことになります。

 日本では、台風が発生した順に、気象庁が台風番号を付けており、台風は通常はこの台風番号で呼ばれます。これは韓国でも同様なのです(例えば、제9호 태풍、第9号颱風 と呼ぶ)がそれにアジア名を付け加えることもあります。アジア名は、米国とアジア各国で構成された台風委員会によって定められたもので、全部で140個あり、140番目の「サオラー(Saola、ベトナム語)」まで使用されると最初の「ダムレイ(Damrey、カンボジア語)」に戻ります。2000年に始まった命名法ですが、現在は2周目に入っており、例えば、2010年台風9号は、105番目のマカオの言葉で「めのう(瑪瑙)」を意味する「マーロウ(Malou)」です。

 アジア名は、1 カンボジア、2 中国、3 北朝鮮、4 香港、5 日本、6 ラオス、7 マカオ、8 マレーシア、9 ミクロネシア、10 フィリピン、11 韓国 、12 タイ、13 米国、14 ベトナムの順で付けられています。2010年の台風で言うならば、6号は「ライオンロック(Lionrock、香港の山の名、102番目、韓国語で音訳:라이언록)」、7号は「コンパス(Kompasu、日本命名でコンパス座、103番目、韓国語で音訳:곤파스)」、8号は「ナムセーウン(Namtheun、ラオスの山の名、104番目、韓国語で音訳:남테운)」、9号は「マーロウ(韓国語で音訳:말로)」と言うことになります。


 出典:日本気象協会

 今年は台風が集中的に発生しており、6号は8月28日18:00に、7号は8月29日12:00に、8号は8月30日12:00にと毎日発生していました。第7号颱風(제9호 태풍)「コンパス」は9月2日早朝、韓国北部の京畿道に上陸し、横断して、江原道の海上に抜けました。「京畿」とは、「都とその周辺の地域」すなわち「首都圏」を指します。

 台風9号は近年では非常に珍しい、典型的な「風台風」で、ソウルなど首都圏を通過する際、強風でさまざまな被害をもたらしました。首都圏には、韓国の人口(4,800万人)のおよそ半数の2,000万人が住むといわれ、台風が上陸した午前6時35分ごろから、およそ2時間にわたり、2002年の台風15号(アジア名:「ルーサー(Rusa)」。64番目だったが、甚大な被害をもたらした台風だったので、64番目は「ヌーリ(Nuri)」と名前が変更になった」)による被害の記憶(韓国を縦断。死者209名、行方不明者37名。また、住宅1万7,000棟以上、農地4万ha以上が浸水。被害額は約5兆ウォン)により、強い恐怖を感じたと言います。



 しかし、台風7号は当初の予想よりも速度が速く、内陸にとどまった時間も短かく、また、過去の台風のように大雨をもたらさなかったことで、幸いなことに被害は広範囲の停電、鉄道の運行見合わせ、航空便の欠航など最小限のものだったと言います。それでも、強風による人的被害はあり、強風で飛んできた木や瓦が頭にぶつかり死亡した人など5人が亡くなりました。

 日本列島は猛暑に苦しんでいます。雨も関東地方などでは降りません。気象庁は9月3日、専門家を交えて検討する「異常気象分析検討会」を開き、気象統計の開始(1989年)以来113年間で最も厳しい暑さの夏となった原因について、次のような見解を示したと言います。

 「エルニーニョ現象や偏西風の蛇行など複数の要因が重なり異常気象となった。北半球中緯度全体の気温が高かった上、日本付近に背の高い高気圧が居座ったことで、極端な高温になった。」

 最大風速が18m/s程度で、風速15m/s以上の強風域の大きさが半径200km以下の台風が足早に雨をもたらしてくれ、農作物にとっては慈雨になり、気温が少しでも下がるなら、、、。台風の被害、酷暑の被害、農業被害(沖縄県農林水産部は9月2日、台風7号による県内農林水産業への被害総額をおよそ2億4000万円と発表しています。その殆どが強風によるサトウキビの折損・倒伏)、少しは欲しい雨。近年は異常気象のせいで、「適度」ということのない気象になってしまいました。

                (この項 健人のパパ)

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