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 清朝(当時の中国王朝)は、1799年、アヘン貿易を禁止する命令を出します。インドからアヘンを積んできた外国商船は、禁制品を直接陸揚げすることはしませんでした。海上に停泊しているアヘン専用の貯蔵船にアヘンを積み降ろし、合法品だけを積んで、入港したといいます。アヘンは中国側のアヘン輸入業者が取りに来ます。アヘン戦争の始まる頃には、海上に20艘ほどの貯蔵船が停泊し、アヘン2万箱ほどが貯蔵されていたようです。

 欽差大臣に任命され広州に着任した林則徐は、1839年2月4日、外国商人に洋上で貯蔵しているアヘンの提出を命じます。4月6日までにおよそ2万箱のアヘンが外国商人から清朝側に引き渡されたと言われます。その3分の1の7000箱がジャーディン・マセスン商会が提出したものだったそうです。

 アヘンは珠江河口の虎門の海岸で処分されることになりました。アヘンの処分を外国人に見せて、アヘン貿易禁絶の断固たる態度を示すためであったろうと思われます。


(中国文化研究院のページにある「虎門銷煙」の記述です。)

 アヘンは海岸近くの高台に作られた一辺が50メートルほどの正方形の池2つで処分されました。大量の塩を溶かし込まれた水の中にアヘンを数時間浸して、その後に石灰を入れて混ぜることでアヘンを変質させて、海に流しました。アヘンの処分に伴う煙は遠くからも見えたと言われています。海上を航行する外国商船からも見えたことでしょう。このアヘン処分は3週間ほど続いたようです。

 香港歴史博物館には、この「虎門銷煙」のミニチュアが置かれています。より具体的にこの作業をお知りになりたいのであれば、「謝晋」監督の「鴉片戦争(1997年公開)」をご覧になることをお勧めします。



 イギリスとの友好関係を維持したいのか、共産党政権にとって清朝期の出来事は大きな意味を持たないのか、香港が「歴史の証拠品」の収集を怠ったのか、どんな理由かはわかりませんが「香港歴史博物館」の「アヘン戦争」に関する展示物の少なさには不満を抱きました。この画面に収まっているのが展示物のすべてです。



(注) 北京の天安門広場にある中国革命の英雄を記念するために建てられた碑、「人民英雄紀念碑」の台座部分には、「虎門銷煙」(林則徐の広東省虎門でのアヘン焼却、1839年)、「金田蜂起」(太平天国の乱の契機、1851年)、「武昌蜂起」(辛亥革命の契機、1911年)、「五四運動」(1919年)、「五・三〇事件」(労働者のデモにイギリス軍が発砲、1925年)、「南昌蜂起」(国共内戦の始まり、1927年)、「日中戦争」(1937年開戦)、「長江渡江戦争」(中国共産党の勝利を決定的にした、1949年)のレリーフが彫られています。

 広東省東莞市虎門鎮解放路には、「鴉片戦争博物館」と「林則徐記念館」があります。アヘン戦争の研究者ならば、必ず訪れる必要のある場所でしょうが、そうではない私が行こうとすると、妻「あみ」に確実に反対されるでしょう。香港歴史博物館が「阿片戦争及び香港の割譲」のコーナーを拡充してくれることを強く望みたいところです。

 香港歴史博物館の詳細は、「香港歴史博物館では-「香港・マカオへ」9 」という記事をご覧下さい。

 本文の記載は、白帝社の中国歴史人物選「林則徐」(奈良女子大学現副学長「井上裕正」著)に基づいています。

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