松坂のときも同じ感想しかもてなかったが、それにしてものダルビッシュの大金である。凄い凄いと人は言うが、それはダルビッシュという人間が、野球の世界では商品価値があるという意味で、特別優れた人間であるという意味ではない(野球に興味がなければ尚更)。言うなれば、サラブレッドに高額が付いた、というのと同じだ。が、何を言っても僻みになるのでそこは触れまい。気になるのはその背景にある構造だ。現地でも大喜びのような報道をしていたが、その大喜びの張本人を見ると、昨日の本ではないが、どうしても「貧乏大国アメリカ」という現実を考えてしまう。つまり、貧乏人が支えるプロスポーツという現実だ。
貧乏人のなけなしのお金が高額のプロスポーツ選手を養っているという構造を、彼らは熱狂という代償で支えている。これは、貧困層の不満を適度にガス抜きして社会を揺るがす力にならないようにという、一部の大金持ちが仕組んだ仕掛けである、とどうしても考えざるを得ない。ヨーロッパであればそれはサッカー。結果、貧乏人はいつまでいっても貧乏人のままで、大金持ちは益々大金持ちとなり、この構造は強固なまま保たれる。貧乏人が唯一這い上がれる方法は本人がそのプロスポーツ選手になること。何十万分の一の人間がつかむそれをアメリカンドリームという。ハリウッドも同じ構造だ。
それぞれの世界で実力があれば、当然上を目指し、結果高額な年俸を得るというのは市場経済の世の中では当然のことだが、世の中適度というものもあるだろうと思ってしまうし、ここまで来るとその構造そのものが問題であると思ってしまうのだ。
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