地区の大掃除に駆り出され、寒い中で窓拭きや
ら、障子張りやら、その後忘年会ですっかりお
疲れだ。飲み放題と言っても、そんなに量飲め
ない身からすると、さっさと終わった方があり
がたい。食べ物も、数より質にしてほしいのだ
が、この手のものではそれも不可能。一番良い
のは忘年会そのものをやらないことだ。
で、そんな忘年会で、退職した人間がひとりい
て、初めてその人の興味の対象を知った。夢と
しては、地域のタウン誌のようなものを作り文
化的なものを発信して、少しでも地域を活性化
させたいというものであった。そんなことに関
心があることは知らなかったので、早速いろい
ろ細かいことを聞いた、というよりこちらが話
したというのが事実だ。かつて、地元のタウン
誌(今は消滅)に関わってた身としては(4ペー
ジほど担当していた)、いろいろ具体的な話を
出来るのだ。経営的にはどうなのかとか、タウ
ン誌が行き詰る原因になることは何かとか、如
何に維持するのが大変であるかということを話
した。しかし、それは普通の雑誌として存続さ
せる時の話で、そういう形以外でやるのは非常
に意味のあることである、とけしかけるのは忘
れなかった。何故かというと、家族には猛反対
されているということだったから。
別の形というのは、自分の作りたいものを、制
約無しに(スポンサー絡みのない)できるもの
を目指す。当然印刷会社に発注するなどという
のは無理だ。基本的には、全て自分でやり、経
費のかからない方法でしかも、体裁の整った形に
する(写真も多くイラストも入れ)。如何にも
の手作りは、はっきり言って学校新聞のような
もので、今ひとつ垢抜けないので、その点は割
り付け方とかそれなりに工夫してとか、いろい
ろ具体的なものになってきたが、まだ本人がや
るとは言っていない。しかし、協力する人間は
いるから(私ともう一人絵の得意な人間がいる)
今がそういうチャンスかもしれないし、知的刺
激のためにも必要だし、何より文化の活性化の
ためにもと、今一度焚き付けた。果たして今後
の展開はどうなるだろう。