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ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

詩の秋

2007年10月19日 | 芸術


一年で、一番厭な季節が今頃だ。
秋になりきったとも言えず、さりとて間違っても晩夏
ではないし、しかし、体はまだ夏の暑さを記憶してい
る。
要するに、中途半端な時期なのだ。
だから余計に寒さは感じる。
体がまだ、冬に向けての仕様になっていないから。
完全に紅葉にでもなれば、視覚的にも秋であると納得
でき、「ああ秋だ」ということになる。
そうなると、小津の「晩秋」でも観て黄昏るか、と一
つの流れが出来上がり、気分が体と同調し、良い具合
になるのだ(50%嘘)。

トンボも少なくなり、夏の勢いがなくなっている。
日に反射する羽の色が小麦色に輝く。
羽ばたきがすくなくなり、一瞬スローモーションであ
るかのような錯覚を覚える。
子孫を残す最後の仕事も終え、後は死を待つだけ。
その証を見せ付けるかのような光の反射。
死と生の戯れ。
ふと、眼を道端に向けると、羽が取れたノシメトンボ
の乾いた屍骸。
季節は秋である。

いやあ、作ってしまった。
詩のようなものを。
何故このような事態に至ったかというと、このところ
スポーツネタが続き、ちょっとネタ切れというか、書
く事が思いつかない、と書き始めたら、手が勝手に動
いて自然に出来てしまったのだ。
というのは、真っ赤な嘘で、無理無理作ったというの
が本当のところ。

一般的に、秋というのは詩の季節だったような。
どうもそれは、寂しさを感じる季節、或いは憂鬱に襲
われる季節だから、であると思う。
その気分に任せ何か書けば、それが詩になる、と言い
たいところだが、果たしてそうだろうか。
そもそも、詩とは何か。
詩情というのは分かるが、詩情をこめたものが詩であ
るかとなると疑問だ。
歌謡曲の詩も詩であるとなれば、間違いではないが、
そんなことはスタローンの「ランボー」は許しても詩人
の「ランボー」は許さないだろう。

実は、「詩集」というものを読んだ事がない。
正直なところ、詩の面白さが分からない。
だから、どういった詩が本当に良いものなのか、今ひ
とつ見当がつかない。
世の中に広くある、少女趣味、或いは感傷的なひどい
ものは分かるが。
今でも、ポケットにさりげなく「リルケ」「中原中也」
などがあると、ちょっと格好良いということになるの
か。
少なくとも昔はそうであった、ようだ。
そんな事はどうでも良いが、この先も未知な世界であ
るのだろうことだけは、多分間違いない。
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