日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

原辰徳監督に学ぶ危機管理の“やってはいけない”

2012-06-21 | 経営
また週刊文春のスキャンダル報道。プロ野球読売巨人軍の原辰徳監督が、過去の女性問題で脅され暴力団関係者に1億円を支払ったと(スポニチ・アネックスに詳細:http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/06/21/kiji/K20120621003509320.html)。当ブログでは本件を、企業経営者が外部の人間から脅しを受けた場合を想定してのケーススタディ素材として取り上げます。

なにより一番大きな誤った行動は、脅されて金品の要求に応じている点です。読売巨人軍は、文春の報道に対して「原監督の支払いは認めたが、反社会的勢力との認識はなかったと説明(スポニチ・アネックス)」したそうですが、一般的に反社会的勢力とは暴力団とその関係者のみを指していうものではありません。暴力団に加えて「暴力団に準ずる者のほか、暴力的または不当な要求行為等により市民社会の秩序や安全に脅威を及ぼす団体または個人等」というのが、その正しい定義であるのです。

すなわち、原監督が過去の女性問題をネタに特定の者から脅され現金を要求された時点で、その相手は完全に「反社会的勢力」にあたるわけです。それに対していとも簡単に、現金を渡してしまうなどというのはバカ丸出しですし、「反社会的勢力」への資金供与という明らかなコンプライアンス違反行為であるわけです。加えて原監督の昨日の現金を支払った理由として、「不安を感じた一方、私を助けてくれるのだとも解釈し」というコメント自体も、弁護士に作文してもらった苦しい言い訳にしてもおよそ常識外なわけです。

さらにこれに対して昨日、原監督の進退への影響を問われた白石オーナーは「これによって彼の監督としての職責が問われることは、今のところ考えておりません」と話したいうのだから、呆れてしまいます。実際に更迭するか否かは別の問題としても、少なくとも「反社会低勢力」への資金供与が明確である時点で、「更迭なし」を断言するオーナーも悲しいほど非常識なレベルにあると言わざるを得ないでしょう。これまたバカ丸出しです。

これがコンプライアンスと言う言葉が存在しなかった大昔の問題であるのならいざしらず、恐喝事件の発生が06年、球団への恐喝で事件が球団の知るところとなったのが09年だそうですから、本人も球団も時代錯誤な本当にアホみたいな対応をしてきたわけです。「反社会的勢力」からの不当要求を“助け舟”と思ってカネを渡す非常識、それを人の上に立つ監督がおこなうという重大なコンプライアンス違反行為を不問に付すと即時判断する経営の非常識、巨人軍の非常識は今に始まったことではないのかもしれませんが、呆れてモノが言えないレベルにあるようです。

では、原監督はどうするべきだったのか。金品の不当要求を第三者から受けた段階で、それは恐喝罪と言うれっきとした犯罪であり、即刻警察に連絡をし対応を仰いで犯人を逮捕⇒検挙すべき問題であったわけです。企業もいつ何時、特に周囲から調子がよく見えたりすると、このような恐喝を受けないとも限りません。確かに、恐喝相手が握っている情報が経営者個人や会社にとって「汚点」となるようなものであるのかもしれませんが、とにかく困ったら隠さないこと、「正直が一番強い」ということを常に肝に銘じて正しい行動をとって欲しいと思うところです。一度要求に応じれば、味をしめて恐喝を繰り返すのが「反社会的勢力」の特徴でもあります。絶対に不当要求には応じない、勇気を持つことが大切です。

やや余談に流れますが、昨日原監督は「ファンの皆様へ」というコメントと同時に、「清武さんへ」と言う前球団代表あてのメッセージも公表し、その中で何ら根拠を示すことなく情報漏えいは清武氏が犯人であるかのような言い分を展開しました。その真偽はともかく、かつこれが原監督本人の意思によるものであるか否かも定かではありませんが、最初にも申し上げたように悪いのは「不当要求に誤った判断でカネを渡した原氏自身」であり、そこを詫びながらも情報の漏えいがどうとか責任転嫁をして、問題をすり替えようとするなんぞは卑劣の極みです。企業が不祥事発覚時に、情報を持ち出しし通報した元社員の責任追及を公に糾弾するようなもので、世間からは逆に非難の嵐となること確実です。

いずれにしましても原監督、過去の行動選択の過ちに加えて今回もまた余計なひと言を繰り出したことで、“男下げまくり”だけは確実な情勢です。企業が“男下げまくり”になったら破たんは確実です。「迅速な対応」「正直が一番強い」「人のせいにしない」は、不祥事発生時の企業対応の大原則であることを、この機会に他山の石として再認識しておきたいところです(家庭内における問題発生でも基本は同じです)。