日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

AKB総選挙が音楽業界をダメにする

2012-06-08 | ビジネス
このところ、販売やら価格やらサービスやらに関連するネタで気になることがいくつかあるので、何回かに分けてお話しします。まずはAKB総選挙関連の話から。AKBの良い悪いは関係なくて、総選挙の結果はもっと関係なくて、秋元康氏が企画しているというこの大成功したビジネスモデルもここまでくるとどうなのかと、そんな観点での一考察です。

この総選挙。前々からCDの大量買いはどうなのとか、投票権欲しさに無駄になったCDを捨てるのは問題だとか、いろいろ言われています。昔からこの手の話はよくあって、古くは仮面ライダーの「ライダースナック」。同封のライダーカードが欲しくて、カードだけ抜き取るとお菓子は捨てちゃうなんてことが社会問題化しました。その後の「ビックリマンチョコ」同封のビックリマンシールなんていうもの、同じ類の「事件」でした。

古くはグリコのオマケに端を発したと思われる“オマケ戦略”は、商品の本質的な魅力を分からない子供相手に、オマケを付けることによって付加価値を生み出し、トータルでより素晴らしい商品として見せることで販売数を伸ばすという戦略であるわけです。ライダースナックもビックリマンチョコも基本は同じ。スナックの味やチョコの味で勝負ができず、仮面ライダーやビックリマンのキャラクター力を借り手もまだ足りない、そこでさらにプレミアム感を生むようなオマケをつけようと。売らんかなのメーカー側に悪気はないのですが、全部揃うまで買い続けさせかつ射幸心をあおるやり方は子供相手にいかがなものかと批判を受けたわけです。

しかし今回のAKBがそれら過去の「事件」と決定的に違うのは、主なる商品販売対象が子供ではなく大人であるという点。大人相手ですから先のような批判は当たらないわけです。ですから「捨てるのはいかがなものか」は、捨てる本人がモノを粗末にすると言う観点で批判はされても、販売側は責められるべきではない。現に、子供相手では批判されるオマケ商法も、いわゆる“大人買い”を狙った大人向けオマケ付き菓子の類がたくさん出ているわけですから(私も昔のフォークソングCD付菓子とか、海洋堂のフィギュア付菓子とか、はまって散財したものがいくつかあります)。これらが全く批判にさらされることがないのは、まちがいなく自己責任が問える大人ターゲットの販売戦略であるからです。

ではAKB総選挙商法に問題があるとすればどこなのか。私が思うのは、メインの商品が音楽であるという点にこそ大きな問題があると思っています。食べ物の場合、仮にオマケ目的であったとしても、食べようと思えばすべて食べられるわけですから心がけさえあるなら無駄にはならない。現に、私もフォークソングCDやフィギュア目的で買ったお菓子は全部食べました。でも、音楽はどうでしょう。確かにCDはどれも聞くことができますが、全く同じCDを何十枚もあってもどれもみな同じ音が出るモノであり、それを複数あるいは大量に買わせるようなビジネスが、そもそもビジネスのあり方として正しいのか否かこそが問題なのかなと(人にあげればいいんだという言い訳もなくはないですが)。

秋元さん側に言わせれば、「複数枚の購入は想定してない」という言い訳があるのかもしれませんが、それはおかしい。現に過去何回かの総選挙において同じことが繰り広げられているのであり、私が掲げたような問題点を問題視しているのであれば、「一人複数票の投票は無効」等の新たな取り決めをすればいい。それをしないということは当然一人複数枚購入を「よし」としているわけです。私はこの複数所有することでその商品自体が購入者側に何のプラスも生まないモノに対する、複数購入の容認あるいは推奨ともとれるやり方はビジネスモデル構築上のモラルとしてどうなのかなと疑問に思うのです。

本来ならば投票権を多数欲しい人間に便乗でCDを売るのではなく、投票権そのものを販売すればいい。こんなおかしな“オマケ戦略”でCDの販売枚数を稼ぐなどと言うビジネスモデルこそ、音楽業界の“やってはいけない”ではないかと思っています。まあそんな純粋な音楽ソフト売り上げではない数字を元に、レコード大賞などを授与した業界そのもの自体が、“やってはいけない”の固まりなのかもしれませんが。音楽産業低迷下での苦肉の策であることは百も承知ですが、お役御免で捨てられる大量の総選挙がらみCDの絵を見るに、CD販売を回復させ音楽ファンを呼び戻すという観点からはむしろ逆効果であると思います。

レコード会社も秋元氏発案の音楽を見下すオタク的ビジネスモデルの言いなりになるのではなく、一部のファンによる大量買いと言う自体を重篤に捉え、音楽そのものを大切にした自己の業界の“あるべき”を真剣に考えるべきではないのでしょうか。