日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

増税が増税を生み、東電は益々開き直る、という悪法案

2012-03-29 | ニュース雑感
消費税増税法案が、30日に閣議決定され国会へ提出されることとなりました。いよいよ首相“不退転の決意”による増税に向けて本格的に動き出すことになったようです。

今の我が国の国家財政における危機的な状況や、将来にわたる福祉財源の確保等を考えたときに、もちろん増税の必要性は十分認識をしております。しかし、まず国としてどこまで努力するのか、「ここまで国も努力をするので国民の皆さんもご協力いただきたい」という姿勢がなぜとれないのか、その点がただただ理解に苦しむところです。

民主党内では現在、実質経済成長率を導入条件として付加するか否かが議論の焦点となっているようですが、それよりも先に議論すべきは増税実施条件としての歳出削減目標の設定です。そもそも増税議論が巻き起こり始めた頃には、まず国が歳出削減の努力姿勢を示し目標を掲げてそれを達成すること、それこそが何よりも求められていたと記憶しています。

「増税の前提は歳出削減」という議論がなされていたハズであったのに、いつの間にか消え失せてしまい(事業仕分けも着地が見えぬパフォーマンスに終始)、政治家と官僚が自らの努力を放棄し導入の可否を実質経済成長率議論に委ねる議論にすり替わってしまったのではないでしょうか。増税の前に歳出削減!基本に立ち返って再度真剣に議論すべきはこちらであると思います。

企業経営において会社が財務的に窮地に立った場合にも、従業員負担となる従業員給与に手をつけるのは最後の手段とされるのがセオリーです(賞与は、業績反映が基本であり、そのカットは別問題)。まずは、具体的な目標をもった経費の削減が最優先されます。その削減が実現されなお支出を削るべき危機的状況にあるのであれば、やむを得ず従業員負担に手をつける、これが責任ある経営者のやり方です。いきなり、従業員のクビを切ったり給与の一律カットを行ったりすれば経営に対する信頼感は損なわれ、求心力は急速に衰えて企業は衰退の一途をたどることになるでしょう。

国も同じこと。私は増税の問題では何度も何度も同じことを訴えかけていますが、5%の増税をするのならまず国は例えば1~2%相当分の歳出削減を3年後までに実現し、その実現を増税の条件とする。民間では当たり前に目標に対する達成を持って、次のステップに進むというやり方がなぜできないのか、です。国の努力があってはじめて、「国もここまでがんばっている。我々国民一人ひとりが増税の負担をするものやむなし」と、増税への理解が得られるのではないでしょうか。

1~2%分を削減でねん出しなければならないとなれば、議員報酬や文書費見直しや公務員宿舎の取り扱いなどに関しても、もっと真剣な取り組みが求められるハズです。現状は、言ってみれば当事者の危機意識があまりに希薄であり、それが国民に伝わるからこそ「増税の必要性は理解できるが、今の国の姿勢を見るにどうも納得がいかない」ということになるのだと思うのです。

それと、この1~2%削減がバッファとして必要な明確な理由が別にあります。1%で2兆円の税収増、5%で10兆円の税収増とまことしやかに言われてもいるのですが、ここには大きな落とし穴があるのです。仮に5%の増税をしても、少子化や高齢化による国民消費支出の減少や、生活必需品への軽減税率導入等により実効の増税幅は5%よりも1%以上低くなるのは確実なのです。

もしそうなるなら、当然さらなる増税議論が巻きこるのは確実であり、5%増税で見込んだ効果を達成せんがために、「さらに2%の増税にご理解いただきたい」なんて首相のお願いが出される絵ずらが浮かんでくるではないですか。将来に誤った方針によるツケを残さないためにも、バッファづくりは絶対に必要なのです。

さらにこれとは別にもうひとつ、国の削減目標達成を増税の条件としたい理由があります。それは、国が自己努力もしないでたまりにたまったツケを平気で国民負担と言う形で一方的に押し付けようとするから、東京電力もまた同じようなやり方を平気でするのではないかということです。資産売却、給与見直し等の自己努力の目標設定すらせずに、「我々も削減努力をしますので、値上げにどうかご協力を」と言われても、誰が「ハイ、そうですか」と納得しますか。

東電のいい加減な姿勢は、国のいい加減な姿勢の“写し絵”であると思えてなりません。昔から人材教育において、「部下は上司の背を見て育つ」と言います。上司がだらしなければ、部下は「俺だけしっかりする必要はない」と思いだらしなく育つのです。国民の不満がおさまるどころか“火に油状態”の東電の姿勢を一新させるためにも、国がまず“上司”として範を示す必要性を強く感じています。今の国と東電の連動性を見るに、国が“無責任増税”に踏み切るなら東電のやり方は何を言っても変わりようがないなと、改めて思わされる訳です。

危機的財政の抜本改革と福祉財源確保に向けて増税の方針を決めることは結構です。ただ一方的に国民負担を強いるのではなく、国の歳出削減努力を数字で表しそれを増税の条件とする、責任ある政治とはそういう確固たる姿勢を国民に示すことなのではないでしょうか。東電の問題は増税議論の枝葉かもしれません。しかし増税法案国会審議においては、今更ではありますが、この「財政支出削減条件クリア」をセットにした増税方針をなんとか議論の土俵にあげてもらいたく切に望む次第です。歳出削減実現を条件としない増税は、「国のやってはいけない」であると思います。