日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

東電支援を決めた全銀協会長の“エルピーダ発言”に感じる違和感

2012-03-16 | ニュース雑感
今朝の新聞を流し読みしていて「オヤッ?」とに目止まったひとつの記事。「国のエルピーダ支援 全銀協会長『続けるべきだった』」(日経新聞9面左隅囲み記事)。銀行団は同社の突然の更生法適用に“寝首をかかれ”大量の不良債権発生となったわけで、表向きはその“恨み節”なのかなと読み流してもいいのですが、それ以上の違和感を瞬間的に感じたので昨日の会見の内容をネットで検索してみました。

するとやっぱり、ありました、ありました。「銀行団東電への追加支援決定」というお話が、同じ会見で永易全銀協会長の口から出されていました。エルピーダは御承知の通り、09年同社が国産半導体危機を迎えた折に、“日の丸半導体を守れ”と国が一民間企業に再建支援の手を差し伸べた異例の案件であり、銀行団も国の支援を背景に同社に対する金融支援を続けて来たのです。この流れを見るに、09年時点のエルピーダを囲む状況は現状の東電非常にを囲むそれに非常に近いものを感じます。

そうです、恐らく永易会長の「東電支援決定」の発言とエルピーダに関する「国は支援を続けるべきだった」は“セット販売”だったのではないかと。国が東電への出資をする大前提は、金融団の支援策を背景とした同社再建計画の提出にあるわけで、銀行団はここで東電をつぶされて大量の不良債権をかぶることになったらたまったもんじゃないと、背に腹は代えられぬ的な判断で東電支援を決めたのでしょう。一般に言われている追加支援は、1兆円規模の追加融資です。

しかし銀行団は、この先エルピーダのケースと同じように、国が支援を投げ出していつ同じように「破たん」の憂き目をみるか分からないのではないかという心配が頭から離れないわけです。そうなれば東電の借入規模はエルピーダの比ではありませんから。今回追加の1兆円はドブ入り、今の融資残高プラス1兆円もの不良債権がこの先1~2年後に発生するなんてことになったらとんでもないと。エルピーダの質問が出されたついでにこれ幸いと、しかしながら過去の自己の立場も考えた“やんわり政府批判”を口にしたのではないかと言う感じでがして、なんとも嫌な印象を受けたわけです。

私は元金融機関の人間ではありますが、今回の銀行の姿勢は何か違うのではないかと思っています。エルピーダと東電は、同じ民間企業であっても全く性格を異にする存在であると思います。それはすなわち「公共性」と言う観点です。半導体価格がどうなろうがそれは一国民の生活レベルに即直結する問題ではありません。しかし東電は電気の恩恵を受けない国民生活はあり得ないという我が国の現状の中で、東電の無理な延命的再建計画進行に加担することは、電気料金の値上げや原発の再稼働など、国民生活に大きな影響を与えかねないことに力を貸すことでもあるのです。しかも、トップの言動にみる厚顔無恥の東電文化を容認してきた、「貸し手責任」も存在するハズです。

金融機関も同じ公共的色合いを強く帯びた民間企業であり、今最優先で考えるべきは、自行の融資が不良債権化することを避ける方策ではなく、社会正義の立場で考えて東電の再建計画を支援することが正しいのか否かではないのでしょうか。もちろんこれは個別行レベルで結論を出せる問題ではないのかもしれません。ならばこそ、全銀協と言う業界団体が存在するわけで、業界として東電支援を社会正義の立場から議論し結論を明確に示すことこそが求められているのではないかと思うのです。

「東電の再建は支援します」でも「エルピーダの二の舞は勘弁してね」。そんな自己の利益だけを考えたコメントを公共的色合いの濃い民間企業団体の長が、公の場で公言するのは昔同じ団体に所属していた人間から見ても、なんとも恥ずかしい限りであります。せめて、東電の再建支援の理由が、どう社会正義の観点で判断した上での結論であるのか、その部分だけでもしっかりと話すべきなのではないでしょうか。それも言えない、すなわち社会正義の視点での判断もなしに東電支援を決めたのであるなら、銀行界は過去に受けた自己の公的支援の問題に対しても明確な理解ができていないということにもなり、これは業界として猛省を促されるべき問題であると思います。