日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

<音楽夜話>「ハラッド/原由子」~洋楽ファン必聴、珠玉の“昭和歌謡ポップ”

2010-07-25 | 洋楽
はじめにお断りしますが、私は桑田佳祐とサザンオールスターズは特に好きではありません。彼らのデビュー間もない80年代初頭は目新しさやオリジナリティにも富んでいて、3枚目のアルバム「タイニーバブルス」あたりは「こりゃスゴイぞ」と新しい時代の到来を感じたりしたものです。ところがその直後からビリージョエルやらリトルフィートやらの洋楽の焼き直し路線がすっかり定着して魅力が急激に失せたというのか、まあそれならホンマもんの洋楽を聞いた方が数段良いというわけで、積極的に聴きもしないが嫌いもしない存在になったわけです。そんな私が今、桑田佳祐の細君でありサザン紅一点である原由子の最新ベスト盤を聴いて「これはいいぞ」と図らずもはまっています。

収録曲の大半は桑田佳祐の作であり、原のソロと“サザンの原坊”のものとの混ぜ混ぜベストなのですが、全体を通した感触は単にボーカルの違いにとどまらない「サザンのアルバムとは明らかに違う」といった印象なのです。繰返し聴いてみると、桑田が歌うサザンのナンバーとは確実に一線を画す何かがあり、それはサザンの初期にみられた他にないオリジナリティとも相通じるコンセプチュアルな魅力が感じられるのです。これはなぜなのでしょう?その解答へのヒントはレコード会社のHPに掲載された、本ベスト盤リリースに合わせた桑田のインタビューにありました。

彼が言うには、原由子に歌を歌わせたのは件のアルバム「タイニーバブルス」収録の「私はピアノ」が初めてだそうで、そのキッカケは意外な理由によるものでした。「勝手にシンドバッド」の“色物”イメージを珠玉のバラード「いとしのエリー」で払拭しつつ世間にそのただならぬ実力を知らしめ、次は〝歌謡曲〟をコンセプトにした新展開を思いついていたものの、“ロックバンド”サザンのイメージでこれをやっていいものかと悩んだ挙げ句に出た苦肉の策が「そうだ!原由子に歌わせよう」だったというのです。そして生まれたのが「私はピアノ」だったそうです。これはザ・ピーナツとクレイジー・キャッツをイメージして作ったと本人が語る、まさしく“ネオ60年代歌謡曲”の真骨頂なのです。

ご存知のように「私はピアノ」は高田みづえ(旦那の元大関若島津は最近暴力団問題がらみでTVで見かけます)のカバーで大ヒットし、桑田佳祐の“ネオ歌謡曲”路線は見事に市民権を得ます。この後は桑田本人もサザンで“昭和歌謡ポップ”を時々歌う事になるのですが、この路線の本家本元は原由子であり、実は不定期に出される原由子のソロ作品やサザンで原由子がリードボーカルをとるナンバーは、基本的にこの路線を踏襲しているのです。当然、ここいらは桑田の計算し尽くされた戦略なのでしょう。プロデューサーとしての桑田佳祐の才能に脱帽といった感じですね。何より桑田本人が歌うよりも原が歌う方が、この路線に限っては断然ハマリ役なのですから。その辺は彼が一番よく分かっているハズです。原独自の“ヘタウマ”さ加減が、実に昭和の歌謡曲っぽくて心地よい訳です。

もちろん大半の曲を書いている桑田の作家としての才能には感心しています。サザンで自身のボーカル用に作る曲の大半は洋楽の焼き直しであり、そのサンプリング的才能は立派ではありますが洋楽ファンの食指は決して動きません。ところが、原用に作られた楽曲は基本ベースを昭和歌謡におきつつ、アレンジや演奏得面で日本の歌謡曲が歴史的に影響を受けてきたであろう洋楽のスタイルを絶妙にかぶせることで、単なる昭和歌謡の焼き直しでなはいオリジナリティあふれる“昭和歌謡ポップ”に仕立て上げているのです。これはもうサザンナンバーよりも数段ハイテクニックの、ある意味芸術的とも言える作風であると思います。一例をあげれば、「恋はご多忙申しあげます」は歌謡曲をシュープリームス的モータウン風味に仕上げていますし、「ハートせつなく」は大瀧詠一も真っ青のフィル・スペクター風(元ネタは明らかに「ビー・マイ・ベイビー」)歌謡曲なのです(まんま歌謡曲の「そんなヒロシに騙されて」みたいな、全くつまらないものも中にはありますが…。だいたいサザンの名義のモノはイマイチなモノが多いです)。

原由子の音楽はサザンの添え物的に扱われがちで、今回のように全時代的にまとめて聞く機会なんてほとんどないですから、ほんと新発見でビックリでした。サウンドやアレンジを含めて本家サザンよりも数段おもしろいと、サザンファンではない私は書かせていただきます。洋楽ファン必聴。個人的には、現在最高にフェバリットなアルバムです。