日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

経営のトリセツ87~岡田ジャパンに見るマネジメントとリーダーシップの問題点

2010-06-12 | 経営
サッカーワールドカップ南アフリカ大会が開幕したようですが、今回はいつになく日本チームに対する世間の期待感は低く、国内的にはどことなく盛り上がりに欠ける大会であると言う気がしています。原因は岡田ジャパンにあり?岡田ジャパンの何が問題であるのか、マネジメントおよびリーダーシップの観点から少し考えてみます。

<問題点その1>岡田監督の人選
そもそもオシムジャパンとしてスタートした今大会に向けた日本チームでしたが、オシム氏は生死の境をさまようほど重篤な病に倒れ、急遽監督就任を要請されたのが全日本の監督経験のある岡田氏でした。これを受けた本人に責任があるか否かは別として、過去にワールドカップ初出場を果たしたとはいえ、世界を相手に全く太刀打ちができなかった岡田ジャパンですから、日韓大会では決勝トーナメントまで駒をすすめるにまで進化した今の日本チームを率いる指導者として果たしてどうなのか、という問題があります。

例えて言うなら、未上場時代に会社の売上を伸ばして上場に向けて貢献した雇われ社長が上場を機に一度退任、何年かのちに上場を続けるその企業のトップの急な辞任により再登板し会社の舵取りをさせると同じです。未上場時代のその会社と上場して世間の荒波にもまれた後の企業とではまったく状況が違います。その会社に対する予備知識があるからなどどいう点はプラス面よりもむしろ過去の今とは違う状況での成功体験が邪魔になることの方が大きいのではないかと思うのです。この点は今さら言っても仕方ないですが…。

<問題点その2>ビジョンの設定
岡田ジャパンの今大会の目標は「ベスト4」。これには誰もが首をかしげたくなるのではないでしょうか。確かにお隣のライバル韓国は日韓大会でベスト4入りを果たしており、何が起きるかわからない大舞台で全く可能性ゼロではないとは思いますが、普通に考えると今の日本サッカーが「めざす姿」=「ビジョン」としては妥当であるとはおよそ言い難いのではないと思います。企業でもそうですが、普通の町工場の社長が「3年後には世界一の製造業をめざす」と経営ビジョンを掲げたとしたら、夢のある企業とはなるでしょうが社員も応援団であるステークホルダーも、現実味の薄い目標にはむしろ力が入らずシラケムードさえ漂ってしまうのではないでしょうか。

企業においても期限を決めた中期的なビジョンや「めざす姿」では、それを起爆剤として推進力に換えるためには、夢を語るのではなく頑張れば実現可能であると構成員やその他ステークホルダーが思えるモノである必要があるのです。今回の岡田ジャパンにおいても全く同様であると思います。代表選手委一人ひとりは、予選リーグの3チームがすべて自軍よりも上位ランキングであるが故その実力を認知し決勝トーナメントに残る事さえ至難の業であると自覚をしているでしょうし、見ているサポーターのほとんどが選手がそう感じているであろうことを分かってしまってもいるのです。だとすれば、今の段階での「めざす姿=ベスト4」はほとんど実感がなく、まさに“絵に描いた餅”状態であるでしょう。ビジョンはその達成時点で次なるビジョンに書き替えてもかまいません。今は「日本サッカーの威信にかけて予選リーグ突破」ぐらいが妥当なハズで、「ベスト4」目標はマイナスにしか働いていないと思います。

<問題点その3>岡田監督の大舞台におけるリーダーとしての資質
リーダーはいろいろな場面や、組織がおかれた状況において必ずしも一定のキャラクターがベストであるとは言えません。しかし今のただでさえ競合3チームとの予選リーグという厳しい環境下にあり、これを乗り越えていくにはムード作りによって持てる力100を120や150に持ち上げることがリーダーには求められているのです。そんな環境下で求められる資質は、「明るさ」に他なりません。「元々暗い人に無理でしょ」と思われる方もあるかもしれませんが、リーダーとは与えられた役割であり「演ずることができなければリーダー失格」なのです。リーダーのリーダーシップの取り方が醸し出す雰囲気ほどチームを変えられるものは他にはありません。何をおいても今は“明るく”です。

岡田監督を見る限りどうでしょう、今は「明るさ」と正反対の印象があるのですが違いますか。笑顔を心がける、大きな声で話す、言いたい事を歯切れよくハッキリものを言う、いいものをほめる…、これらはすべて「明るさ」を作るリーダーシップの要素ですが、岡田監督にどれほどのものが当てはまっているでしょうか。「演ずる」とは性格を変えることではなく、それらを実践することです。例え負けても、暗くなる選手を明るく元気づけ自信を持たせるのが監督です。負けると一緒に暗い、ではダメです。負けた日に「私、続けていいですか?」などとおうかがいを立てたそうですが、そんなの論外です。まず自分をポジティブに持って、若い選手を明るく引っ張っていく、今の時点でできる最大のリーダーシップ発揮法はこれしかありません。すぐにでも実施して欲しいですね。


下馬評では「1勝もできずに日本は敗退」と言う声がもっぱらですが、まだ決まったわけではありません。岡田監督が少なくともできることは、「ビジョン」の再設定と今求められるリーダーシップ(とにかく「明るさ」)の発揮によりチームを鼓舞する事です。そのすみやかな実行により下馬評を覆す活躍を期待します。頑張れ!ニッポン!

私利私欲に基づく“国会会期延長綱引き”の不毛

2010-06-10 | ニュース雑感
国会会期の延長をするか否かを巡って、連立与党内で綱引きが始まっています。

国会会期延長論者は、支持団体である全国特定郵便局長会に「今国会中での郵政法案成立」を約束した亀井静香国民新党代表、一方の会期延長せず即時閉会、早期参院選投票を訴えるのは今回の参院選で改選期を迎える民主党議員たちです。亀井氏の狙いが当然、参院選に向けた支持団体の票固めにあるのは見え見え。一方の民主党参院選議員はと言えば、これまた菅新首相の就任による思わぬ与党の支持率急上昇を受けてこの支持率が下がらぬうち国民の審判を仰ぎたいという、至って自己中心的な理由によるものなのです。

亀井氏などはこの民主党改選参院選議員の動きに、「支持率が高いうちに選挙をやって入ろうなんて奴は、はじめから選挙に出なさんな」などと吠える始末です。「選挙前のドサクサで重要法案をろくな議論もせずに押し込んで、特定団体の利益誘導により選挙の票稼ぎをしようなんて弱小政党は、はじめから選挙に出なさんな」とそのまま言葉を返してやりたいところです。そもそも選挙目当てに会期の綱引きをするなんぞは論外中の論外ではありますが、天に唾するようなことを平気でのたまうようなこの政党代表はホントどうかしています。こんなものが一国の大臣のイスに座っていること自体がおかしいわけで、早いところ大臣も代表の座も降りて、議員バッジも外して、一国民の視点に戻って頭を冷やしてこいと国民は選挙で力強く「NO」を突きつけるべきではないでしょうか。

ただ、亀井氏も民主党参議院議員も“目クソ鼻クソ”な訳で、そもそも“会期延長”議論の論点が誤っている点を、マスメディアは声を大にして訴え世論の焦点を正しい場所へ導かなくてはいけません。私利私欲に立脚し論点を誤った議論は、何の正しい結論も産み出しません。会期延長の必要性はどこにあるのか、会期延長で郵政法案を押し込むことが正しい道筋であるのか…。むしろ、選挙を前に新首相の所信表明演説と代表質問だけで本当に事足りるのか、またぞろ噴出した「政治とカネの問題」疑惑は徹底議論しなくてよいのか、等々こそ会期延長の要否で議論されるべきであり、一政党や一部議員の選挙目当ての綱引きは切り捨てるべき論点であることを力強く語って欲しい訳です。

郵政法案に関しては、毎度繰り返し申し上げていますが、とにかく時代逆行の既得権擁護の悪法の姿を今一度白日の元にさらして、現法案を早期に廃案に追い込むことが第一。その上で参院選後に、私利私欲に走る政治家を外し、改めてどうすることが国民経済にとってプラスになるのかを軸に据えた正しい議論をじっくり時間をかけて行い、国家的損失発生の回避をはかって欲しいと切に思います。

増税策議論の前に、政治と行政の“努力の見える化”を

2010-06-08 | ニュース雑感
“脱小沢効果”は大したもので、予想外に国民の期待感が高まっている管内閣がスタートします。本内閣の注目点のひとつには消費税の増税を柱とした我が国の財政再建にいかに着手するかがあります。この点のすすめかたに関連して、マネジメント的視点から少しお話します。

管首相は以前から消費税増税による財政再建をことあるごとに持論としてきています。消費税の増税に関しては、もはや我が国の財政立て直しの観点からは避けて通れないということは、今では識者の多くが認めるところであり、増税策そのものを取り上げて悪政の施策とする論調はもはや少数派になっているように思います。問題はその実施時期といかに国民の納得を得て踏み切るか、でしょう。この点こそが新首相の腕の見せどころであると個人的には考えています。現時点で漏れ伝え聞く限り、管首相は「次回の衆院選までは消費税の増税は行わない」と話しているそうです。ということは裏を返せば、「次の衆院選では、消費税増税が争点となる」と言っていることであり、次の衆院選で民主党が勝利するためには、それまでの間にいかに消費税増税に関して国民を納得させるような動きあるいは姿勢がとれるか、にかかっている訳です。

増税は国民の誰しもが「できることなら勘弁して欲しい」と思っている訳で、それを納得させられるか否かはいかにして「政治も行政もそこまでがんばっているならやむを得ない…」と政治および行政が国民にアピールできるかでしょう。言い方をかえるなら、“努力の見える化”をしっかりはかっていくことにかかっているのです。すなわち、財政再建に向けた財政のムダの削減努力を、明確に“結果として見せる”事です。そうです、“結果として見せる”とは事前に消費税導入検討に向けた“目安の見える化”をすることに他なりません。重要なことは、目標の計数での設置(目標の見える化)を明確に行い、目標の達成ができたなら実行するとの約束を事前に示す事なのです(期限を区切った目標の達成を、組織内提案の受け入れ条件とするやり方は組織マネジメントにおける常套手段です)。

具体的には、増税を国民に了解してもらう条件として金額を示して「財政のムダ遣いをまず○○兆円削減させます。その上で消費税の増税をお願いします」というやり方をとることです。国民が決して歓迎しない「増税」を納得させるには、「国の失敗を国民負担と言う形で押しつけている」という意識をいかに払しょくするかにかかっている訳で、押しつけイメージではなく「国も反省し、目一杯努力をしている。だから国民にも協力をお願いしたい」という姿勢で「増税」への理解を広げる以外にないと思うのです。日本の近代政治の歴史を振返ってみても、「増税策」への理解を得られず支持率を下げ選挙で負け失脚を余儀なくされた政権は数多く存在します。それらは全て、政治と行政が自らの努力を怠り「財源確保から増税が必要」という“負担押しつけ型増税案”による失策であったのです。「増税」に対する「国民の納得」は、「論理」だけでは決して得られないモノなのです。

民主党政権は財政再建策の目玉として「事業仕分け」を実行しています。現時点では「事業仕分け」に強制力がない現状もあり、仕分け結果が実際にどれだけの予算削減につながったのか明確でないイメージなのですが、「仕分け」以降の予算削減確定スキームもルール化および“見える化”をして、しっかりと削減努力を国民に提示する必要があると思います。新政権が次期衆院選後に消費税増税を検討したいなら、まず今は上記削減確定スキームのルール化をしたうえで、参院選マニフェストでは「財政再建のために、天下り、官の既得権ビジネス等あらゆる官のムダ遣いにメスを入れ、予算ベースで××年△月までに○○兆円の財政のムダ削減を実現させます。その実現を条件として景気回復もにらみつつ消費税増税を俎上にあげます」という約束を明確にすべきであると思うのです。

「官のムダ遣いと増税の歴史」は、「政治と行政の国民への負担押しつけの歴史」でもあるのです。この姿勢を根本から変えない限り、「増税」は財政再建の観点からどんなに必要な状況であろうとも、政権維持にとっては今後も“鬼門”であり続けるであろうことを新政権は肝に銘じ認識するべきであると思います。

「70年代洋楽ロードの歩き方13」~グラム・ロック3

2010-06-06 | 洋楽
さて、一般的にグラムロックと言えばTレックスとともに必ずその名が出てくるのがデビッド・ボウイです。私は彼自身は正確にはグラムとは一線を画していると思うのですが、彼の周辺からグラム臭はかなり強烈に匂っていましたし、その流れで彼とその仲間が周囲に与えたグラム的影響はかなり大きなものがあったように思います。

彼がグラムと言われ始めたのは72年のアルバム「ジギー・スターダスト」から。前作の「ハンキー・ドリー」までは、「スペース・オディティ」のヒットで語られる“一発屋”的フォーク&ロック・シンガーだったのです。なぜそんな彼がグラムと言われたか、それは音楽的に大きな転換をはかった72年のアルバム「ジギー…」のリリースとその直後に行われた彼のバックバンド、スパイダーズ・フロム・マーズとのツアーにおけるきらびやかな衣装と、センセーショナルなステージングによるところが大きかったのです。その音楽的転換こそが、グラム的エレクトリック・サウンドへの大きな移行であり、その演出を陰で支えたのは誰あろう、スパイダーズ・フロム・マーズのリーダーでギタリストのミック・ロンソンその人だったのです。(写真右、左がボウイ)

ミック・ロンソンは70年の「世界を売った男」からボウイのアルバム制作にかかわりましたが、アレンジを含めて本格的にその強烈な個性を表に出したのは「ジギー…」からであり、ボウイのグラム的大ブレイクのきっかけの半分は間違いなく彼の才能によるところであったのです。ステージでの二人のカラミは見るモノを虜にするほどの妖艶さに満ち溢れていました(この頃のボウイのイメージを映画で再現したのがグラムロック全盛期を扱ったフィクション映画「ベルベット・ゴールド・マイン」です。ボウイとロンソンのカラミをモチーフにしたシーンも出てきます。グラム・ファン必見です)。ボウイが73年にジギーの封印を宣言しロンソンと別れた後は一気にグラム色が薄れる訳で、実はマーク・ボランに対するもう一人の“グラムの雄”はボウイではなくミック・ロンソンであったと言っていいのではないかとさえ思うのです。

「ジギー…」は、5年後に滅亡の危機を迎えた地球に降り立った宇宙人であるジギー・スターダストを主人公としたいわばロック・オペラ的コンセプト・アルバムであり、どちらかと言えばキンクスやザ・フーにこそ同じ発想を見出せる、およそグラム・ロックとは異質の芸術性を感じさせるブリティッシュの香り漂う作品なのです。それほど作りこまれた作品と主演のボウイをサウンド面からグラム・ヒーローに仕立て上げた張本人がミック・ロンソンです。彼自身も、この後にかなりグラムなソロ作を制作しています。彼2枚目のソロ「プレイ・ドント・ウォーリー」がそれです。そして、ボウイとともに他のアーティストのプロデュースも手掛けており、そのギターサウンドが生んだ流れがグラム・ロックのひとつの大きな流れにもなっているのです(このあたりは次回詳しく)。その意味で、グラム・ロック形成におけるミック・ロンソンの功績の大きさは今一度見直したいことろです(残念なことに彼は肝臓癌で93年に他界しています)。

<70年代洋楽ロードの正しい歩き方~グラム・ロック3>
★デビッド・ボウイ&ミック・ロンソンのグラム・ロックを正しく聞く作品★
①「ジギー・スターダスト/デビッド・ボウイ」(Tレックスやスレイド等と比べ圧倒的に芸術性の高い名作です)
②「アラジン・セイン/デビッド・ボウイ」(①の続編的アルバム。ロンソンのアレンジが冴えるグラムの傑作)
③「ピンナップス/デビッド・ボウイ」(ボウイのグラム期最後を飾るカバー集。ロンソン・アレンジで名曲の数々を)
④「プレイ・ドント・ウォーリー/ミック・ロンソン」(ボウイの元を離れてリリースしたソロ第2作。ボウイの曲も)

<解説>
ボウイの①②は超定番です。グラムのきらびやかさは当然あるものの、グラムと呼ぶにはあまりに芸術性の高いアルバムです。③はフーやフロイド等の作品のカバー集ですが、ロンソンが入っているのでここまではグラムに分類されてよいと思います。①②の前作「ハンキー・ドリー」および次作「ダイヤモンド・ドッグス」までをグラムとする向きもあるのですが、「ハンキー…」はややフォークっぽさの漂う“グラム前夜”的印象、「ダイヤモンド…」はコンセプトこそ「ジギー…」の“二匹目のドジョウ”作品ですがやや黒っぽさが出てきていて、むしろ“黒”を求めてアメリカへわたり制作したその次の作品「ヤング・アメリカンズ」につながる部分の方が彼のキャリア上はスッキリと分類できると思います。
ロンソンは④の前に1作目のソロ作「十番街の殺人」をリリースしていますが、こちらはグラムと言うよりもギタリストおるいはアレンジャーとしてのロンソンが前面に出ている印象です。④は取り上げられる機会が少ないですが、確実にグラム・ロックの傑作アルバムに入る1枚であり、グラムファンなら絶対に落とせない作品です。
余談ですが、本文中にも登場した映画「ベルベット・ゴールド・マイン」はグラム・ロック期のボウイをモデルにした映画であり、登場人物がそれぞれ実在の誰をモチーフにしているか等を考えながら楽しめる点からも、グラムファン必見です(監督の好みでグラム・ムーブメントがややうがった捉え方になっている点は気になりますが…)。

安田記念

2010-06-05 | 競馬
東京春のGⅠシリーズ最終戦はマイルの王者決定戦安田記念GⅠです。

人気は前哨戦マイラーズカップ勝者①リーチザクラウン、2連勝で自力強化の⑰ショウワモダン、唯一の国内GⅠ馬⑧キャプテントゥーレあたりです。

古馬路線のここは「GⅠ理論」の出番です。GⅠ勝ちは⑧キャプテントゥーレ、2着は①リーチザクラウン②スマイルジャック⑨スーパーホーネット⑬マイネルファルケ⑮トライアンフマーチです。香港勢④フェローシップ⑤サイトウィナー⑩ビューティフラッシュはすべて香港GⅠ勝ちの実績ありで、今年のメンバー構成なら侮れません。

とりあえず外国馬は分からないので、国内馬の評価から。上記GⅠ実績馬からの軸選びをします。ここは今一度高校の1年後輩矢作調教師とその秘蔵っ子⑨スーパーホーネットになんとしてもGⅠを勝たしてやりたい!との心情的理由で⑨が軸です。勝った08年の毎日王冠で死闘を演じたウォッカがアイルランドで受胎したとのニュースが入ってきました。ここは「俺はおまえの分までまだ頑張っているぞ!」とあの日と同じ同じ東京の舞台で栄冠をモノにして欲しいものです(この馬の安田記念とのあまりの相性の悪さは気になりますが…)。

相手筆頭は⑮トライアンフマーチ。母GⅠ桜花賞馬キョウエイマーチはマイルの鬼でした。GⅠ3着のある⑱エイシンフォワード、左回りマイルがベストの②スマイルジャック、唯一のGⅠ馬横山典の⑧キャプテントゥーレ。単騎逃げなら粘る⑬マイネルも要注意。香港勢の④⑤⑩は時計勝負は疑問も雨で渋れば出番あるかも。①リーチザクラウンの前走はスローペースの展開に恵まれた印象。追いこんで2着の⑮トライアンフマーチよりも評価は下がります。

後輩応援で玉砕覚悟の⑨からのワイドで。
後輩応援馬券抜きなら、断然前走が強烈だった⑮トライアンフからの流しです(⑮-⑱が本線)。

春の東京最後のGⅠ、なんとか頑張りたいですね。(今週も引き続き1枠(①リーチ②スマイル)は要注意?)

菅新首相誕生雑感

2010-06-04 | ニュース雑感
本日、民主党政権の新たな首相として菅直人氏が選出されました。

菅氏はその至って短気な性格から“イラ菅”と言われ、一国の首相として心配な点は多々ありますが、立候補し選ばれた以上はその職責に恥じない自覚をしていただけるものとひとまずはニュートラルな視点で受け止めているところです。そこでまず何をすべきかです。企業経営でも同じですが、前経営者が失策により失脚をした場合は、何よりもまずその原因究明と再発防止策策定に徹底して腐心する必要があります。今回の失策は、権力の二重構造とできないことの安易なぶち上げです。まずはこの2点で、徹底した再発防止をはかることでしょう。今度「またか…」と言われるようなら、今度こそ国民はソッポを向いたまま戻ってはこないでしょう。

「権力の二重構造」に関しては、昨日の代表選出馬会見で「小沢さんにはお休みいただくのが、本人のため、党のため、国民のため」と言っておりましたからスタート段階ではひとまずクリアです。問題はこの後も“小沢臭”を徹底的に排除できるかです。昨日も申し上げましたが、“小沢臭”とは田中角栄直系の「既得権擁護」「数の政治力学」「選挙至上主義」に他なりません。来るべき参院選に向けて、いかにそこの方向転換をはかれるか、それが勝負になるでしょう。そのためにはもちろん、実のある政策を国民の前に提示できるか否かにかかっています。まず眼前の具体的課題で言うなら、理にかなわない「既得権擁護」と「選挙至上主義」からの法案化で、「数の政治力学」の象徴たる強行採決を強行した郵政法案をどう扱うかです(「小沢=亀井=斎藤元大蔵次官・現JP社長→昭和的既得権擁護トライアングル」路線との決別がはかれるか否かです)。とりあえず今の段階では、参院での採決を選挙後に先伸ばしし、十分な国民的議論を尽くすのが正しい道筋ではないでしょうか。

「できないことの安易なぶち上げ」とはまさしく普天間問題を指しているのですが、この問題に限らずこれを機に衆院選時のマニフェストについて徹底的な見直しが必要であると思います。政権交代前と後では課題に対する理解の度合いが変わるのは、ある程度はやむを得ないことです。また1年の時間の経過の中で我が国をとりまく状況も当然変化するわけです。企業の中期計画においてもその進行管理においては「1年ごとのローリング」ということも必要な対応である訳で、むやみやたらにマニフェスト実現ありきで盲目的に動くことが国民の利益になるとは限らないのです。必要なことは、見直しをする際の“理由の見える化”であり、国民への説明と一定の理解を得た上での見直しは積極的にやるべきであると思います。

いずれにしましても、菅新政権が今までの失政を正し、国民に対してどんな前向きな政策を提示してくれるのか、関心を持って見守りたいと思います。

首相辞任の後始末とマスメディアの責任

2010-06-03 | マーケティング
ipadのお話にからめて民主党のブランド戦略に触れたとたん、鳩山首相が辞任しました。いきなり余談ですが、テレビで自民党の石破氏が「亀は千年、鶴は万年、鳩は1年」とか言っていてちょっとおもしろいと思いましたが、この日のために相当前から仕込んでいたのでしょうか?でも地味でした(ホント今や“地味党”ですね)。小泉さんが言ったらもっと迫力をもって見る人に突き刺さるんだろうなと思わされました。それがまさに「ブランド力」なんですけどね。

さて、鳩山さん最後の最後に小沢さんを道連れにして“親指ポーズ”。やりますね。「やればできるんじゃん」と思いました。前回書いたように、民主党のブランド力向上によるイメージ・アップはすべて小沢一郎その人の進退にかかっている訳で、鳩山さんの“道連れ作戦”は正しい判断であり、ここまではひとまず正しい方向に進んでいると言っていいかと思います。問題はこの先です。「次」に真っ先に名乗りを上げたが管直人氏。この人、私が以前から申しあげているようにとにかく短気、関西風に言えば“イラチ”ですから危険この上ないのですが、まぁ本人が「やりたい」と言っている訳ですからやむなしとしても、いかに小沢色を払しょくできるか、すべてはそこにかかっていると断言できます。

鳩山氏が身を呈して“道連れ自爆”をしてくれたわけですから、ここで管氏が小沢氏に媚びたのでは何にもならない訳で、民主党のイメージもブランド力も全く向上どころか、さらに地に落ちることになる訳です。鳩山氏が辞任表明の際に「クリーンな政治、クリーンな民主党づくり」とその目指すブランド・コンセプトを明確に表明した訳で、今を逃したら民主党のブランド再生はほぼ絶望的であると言わねばならないでしょう。繰り返しますが、とにかく誰が「次」をやるのかはどうでもいいことで、小沢色の一掃が出来るか否か、すべてはそこにかかっているのです。

メディアもだいたい似たようなトーンで書きたてていますが、ここまで小沢氏に政権政党を独裁化し牛耳らせてきた責任の一端はマスメディアのこれまでの報道姿勢にもあることを忘れてはいけません。とにかく、「小沢怖し」の姿勢から小沢氏に対する会見質問は常に及び腰(だいたい小沢氏の会見では質問は1社1問までとの制限があるのですが、これを文句ひとつ言わずメディア側ものんでいるんですから信じられないです)、すべて小沢ペースでのマスメディア操作へ迎合し書くべきことも書かない他社にらみの姿勢を続けてきました。小沢陣営の取材拒否をチラつかせた実質言論統制に、今こそ勇気をもって対抗すべきなのです。

国民が求めているのは選挙優先の薄汚れた政治はないはずですし、クリーンな政治を実現するためには「既得権擁護」と「数の政治力学」と「選挙至上主義」を身上とする田中角栄直系の小沢政治との決別をマスメディアは力強く連呼する責務があると思います。民主党のブランド・イメージの向上は我々にはどうでもいいことではありますが、鳩山氏が口にした「クリーンな政治の実現」は政治家として正しい見識であり、マスメディアにはこの言葉を重く受け止めその実現に向けて今自分たちが何を主張すべきか分別ある報道を期待します。まずは、政権政党の独裁統治からの脱却と郵政法案成立の参院選後先送り再審議、個人的にはこの2点の行方を注目して見守りたいと思っています。

ipad雑感&政局雑感

2010-06-01 | その他あれこれ
このところ連日、ipadのNEWSと鳩山政権を巡る政局のNEWSを目にしない日はないです。

ipadはその影響力のすごさに驚いています。先行の電子ブックリーダーであるアマゾンのキンドルが日本に上陸した際にはまったく動じなかった各業界が、ipadの日本販売開始とともに一斉に大騒ぎ。電子書籍の販売スキームに関しても様子見を続けていた出版各社や、対著作者ビジネスとしてアップルと購買者の間に入ってんニュービジネスの構築をもくろむ新興勢力各社も上を下への大騒ぎを展開しています。これはすごいことです。ipad、いやアップルの存在感に世間は完全に動かされている、そんな印象すら受けています。

世界最大の電子書籍所有販売企業であるアマゾンがキンドルで動き出した時にはダンマリだった世の中が、少なくとも電子書籍に関するなら圧倒的にアマゾンに劣っているアップルのipad上陸で大騒ぎになる、それだけipadが魅力にあふれていると言う事ではないでしょうか。すなわち、いかにソフトである電子書籍化されたデータの数があろうとも、それを読むハードに魅力がなければ電子書籍の流通は促進されないということであり、ipadがいかに消費者にとって魅力的に映るものであるのかを、日本中が実感した結果としての大騒ぎなのだと思うのです。

前回にこの話を取り上げた時にも述べていますが、ipadは決して目新しい電子機器ではなくて、基本はipodの大型版(3G機能が搭載されている点からipodとiphoneの中間製品とも言えます)であり、これまでipodやiphoneを使ってきた人にとっては、機能そのものからは決して驚きの新製品ではないのです(PC視点、キンドル視点から見れば十分驚きですが…)。そうやって考えると今回のipad登場は、大きさをノートPC並みにしたことで取り扱い用途の拡大や購買層の拡大がなされた訳で、ある意味“コロンブスの卵”的な製品展開であったとも言えるのではないかと感じています。

仮にそうであったとしても、ここまで大きく世間を動かしているモノはアップルのブランド力に他なりません。そのブランド力の源は、スティーブ・ジョブズCEOの“こだわり”であり、その“こだわり”から発せられる“アップルらしさ”が、「何か起きる」「世間を動かす」「時代を変える」的なイメージを世の人々に与え、大きなうねりを作りだしている訳です。ipadがそのルックス、商品パッケージ、販売店舗の店構え…、すべてがその“らしさ”にあふれ、アマゾンでは決してなし得ない「購買者無言の支持」を取りつけているが故の大騒ぎなのです。

翻って政局。ここでもやはりブランド力の問題は大いにあると思います。特に今の時代のようにに国民の大半が「どこが政権をとっても変わらない」と感じている時には、ブランド力は強力な差別化の手段になる訳です。「鳩山首相が辞めないと参院選は惨敗する」と民主党の参議院議員の皆さんが大騒ぎしているようですが、私はそれは違うと思います。なぜなら自己主張の少ない鳩山首相は、少なくとも今の民主党のブランド形成に関与している割合が小さいからです。では、民主党のブランド力強化策のカギはどこにあるのでしょう。

政権の座についてからの民主党ブランドは小沢幹事長の言動が大きく影響しているように思います。選挙対策でスポーツ候補擁立やら郵政法案可決やらいろいろと策を講じているようですが、それらを操るご自身の“こだわり行動”こそが今の民主党ブランドを形成しているのであり、その身の振り方が選挙戦に向けた一番のブランド力向上策であると言う点に気づかれていないとするなら、それこそが致命傷になると思うのですが…。