日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

経営のトリセツ7  ~  「ほめる」の効用

2007-10-04 | 経営
最近もよく目にしますが、ビジネス雑誌に定期的に取り上げられているテーマに、効果的な「人材管理」「組織活性化」の手法としての「ほめる技術」があります。

これって何をいまさらの話題でもあるのですが、昔から言われて続けていながらたびたびクローズアップされるのは、どうも日本の指導者にはかなりできていない部分であるからのようです。
仕事柄いろいろな会社を見てきて思うのは、コミュニケーションが悪い会社の共通点として、「経営者や幹部社員がほめ下戸(ゲコ)」または「ほめ下手(ベタ)」という点があげられることです。

使い古された言いかたですが、ほめられて悪い気がする人はあまりいないはずです。ほめることそのものにコストがかかるという会社も普通ないと思います(ほうびをあげるは別にして。言葉だけでほめるというならタダですからね)。
なのにほめない、ほめられないのはなぜなんでしょう?

米国あたりの有能な企業経営者や経営幹部は、直接、間接問わず実によく部下やスタッフのことをほめると聞きます。同時に、上司から部下へ「THANK YOU!」「SORRY!」が、日常語として当たり前に使われています。

この日米の違いはなんでしょう?
もしかするとこれは、根本的な西欧との文化の違い、具体的には宗教的背景の有無にあるのかもしれません。
米国はもちろんキリスト教文化です。日本は無宗教的国家とはいいながら、根底には至極東洋的な仏教あるいは儒教に根ざす考えがあるように思います。
すなわち、「偉い人は偉いのだから偉そうにする」のが東洋的であり、「偉くても偉くなくても、神の元では平等」というキリスト教的考えとは、全く違う土俵に立っているように思います。

キリスト教文化の国家では、生活の中に常に「THANKS GOD!」とか「GOD BLESS YOU!」などの慣用句が使われ、神の元で平等な者同士、お互いに感謝しあったりはげましあったりが当り前の中で育ってきています。
ところが、東洋では「偉い人」は偉そうな威厳を保つために、目下の人間に安っぽく「謝ったり」「お礼言ったり」するのは好ましくない、と妙な風習があるように思えるのです。したがって「ほめる」というのも肝要ではない、古くから「偉い人」は黙って威厳を保つがよし、という暗黙のルールがあるようにさえ感じます。

でも、「偉ぶって」ふんぞり返っているのは“仕事の頭数に入らない昭和の社長像”です。今どきの社長さんは、“社長と言えども頭数のうち”の時代ですから、社員とのコミュニケーションは、社長の立派な役割であり仕事です。
「黙っている」だけならまだしも、ひどい例になると、「怒る」「しかる」「怒鳴る」ばかりで、ついぞ「ほめる」のを聞いたことがないという社長さんもいたりします。「怒る」「しかる」「怒鳴る」だけでは、コミュニケーションになりません。「ほめる」の実行は、下から上へ「うれしい」気持が帰って来やすい一番のコミュニケーション手段だと思います。

「自分はほめるのが苦手だなぁ」とお感じの社長さん、あるいは幹部社員さん。
もしあなた自身が本当にほめることが苦手だとしたら、まずご自身の組織内で上の者が下の者に対して、「ありがとう」「ごめんなさい」がちゃんと言える風土にあるか、それを確認してそこからご自信が率先して実行してみてください。

先ほど、米国の会社では、上司から部下へ「THANK YOU!」「SORRY!」が、日常語として当たり前に使われている、と言いました。
実は、会社の中で上司から部下へ「ありがとう」や「ごめんなさい」が、堂々と口にされている会社かどうか、という点は社内コミュニケーションの善し悪しを判断するかなり重要なポイントになったりしているのです(「ありがとう」は言っているけど「ごめんなさい」言ってないな、というのじゃダメですよ)。これって先の「ほめ文化」が定着しているかどうかとの相関性がかなりあるんですね。

社長自身が実行したら、他の幹部社員にもそれをごく自然にさせるように仕向けてください。それが定着する組織になれば、自然と社長をはじめ皆のコミュニケーションが円滑になり、「ほめること」も抵抗なくできる組織になると思います。

トップの影響力は組織内において強力です。社長の「心からのほめ言葉」や「心からのありがとうやごめんなさい」の一言があっさり組織風土を変えるきっかけになった、などいう話も複数聞いたことがあります。
組織内人間関係の円滑化や組織の活性化は、意外にこんなことからはじまったりするものなのです。


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