日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

昭和49年村田クンの教え 9~英国音楽とアルフレッド・シスレー

2010-02-28 | その他あれこれ
ある日村田クンは授業が終わると「上野に行こう」と誘ってきました。

私「上野?なにかおもしろいものでもあるの?」
彼「いいもの見せてやるよ。いいからついてきな」
私「何?何?」
彼「いいから、いいから」
私「???・・・」
彼が目指した先は上野の森の美術館でした。上野の美術館なんて記憶では小学生の頃、親に連れられて一度来たっきり。それも子供心にはやたらに退屈な出来事で、確か館内で早々に飽きてしまってろくすっぽ展示物も見ずにその場で親父に怒られ、退屈で二度と行きたくないという思いだけが残ったという冴えない思い出でした。

私「えーっ、絵を見るのかよ?あんまり好きじゃねーな絵は」
彼「いいから見てみろよ。絵画も音楽も、アーティストの感性が作り上げた素晴らしい世界だぜ。音楽好きのお前が絵画を愛でないというのは、論外だぜ」
私「いゃー、違うんじゃないそれ。絵は音が出ないしさ」
彼「とんでもない、一番音が出てるだろ。頭の中でだ。どんな音がするかはその人間の教養次第だけどな」
私「…、何の展覧会?」
彼「シスレーだよ。印象派の大家だ。心洗われるぜ。いいからいいから、まず見てみ」

当時の私はシスレーはおろか印象派すら知らなくて、「海外の“絵描き”=油絵=花瓶に入ったバラの花の絵」みたいな十羽ひとからげの捉え方しかできない無知な状態でした(「花瓶に入ったバラの花」というのは、恐らく父に連れられて見た子供時代の展覧会の絵がそんなものが多くて退屈した思い出から来ていたのだと思います)。なのでその時の私は珍しく「俺、外で待ってるから、一人で行ってこいよ」などと、けっこう中に入るのを渋って抵抗したと記憶しています。当時でたぶん500円程度の入館料だったのでしょうが、限られた小遣いの使い道としてはもっと他に有益なものがあると思ったのでしょう。

仕方なく言われるままに中に入って見始めると、「花瓶に入ったバラの花」の類は全くなくて、ほとんどが風景画でした。それも、大半は「空と川と緑と人」。作風は全く違いますが、子供の頃の切手集めから派生した浮世絵趣味があった私には、この風景画はけっこう響くものがありました。大好きな広重の「東海道五十三次」に描かれた未知の風景とその中に生きる人たちの生活に関し想像を掻き立てられるのと同じ感覚を、その時感じていたのです。村田クンもあんなに入館を渋っていた私が、すっかりシスレーの絵に見入っているのを見て、けっこう不思議そうにしていました。

彼「なんだ、結局気に入ったか?」
私「うん、実は浮世絵が好きでさ、なんか共通点あるかなとか思ってね」
彼「浮世絵?そりゃ違うな。ま、いいけど、人それぞれだからな。どうだ音楽聞こえるだろ?」
私「そうだね。エルトン・ジョンかな」
彼「おー、それは正解かもよ。シスレーはフランス印象派だけど、イギリス人だからな。何気にイギリスっぽいところが良いわけさ。ブリティッシュ系の音が聞こえてきたら、けっこう分かっている感じかもな」
私「村田クンは、何が聞こえるわけ?」
彼「絵にもよるけど、今日はストーンズの「レット・イット・ブリード」とかだな」

絵の楽しみ方を知らなかった私にとっては、かなりエポック・メイキングな出来事でした。家に帰ってからパンフレットを買わなかったことを後悔して、その週末再度シスレー展に足を運んで、奮発して買い逃したオールカラーのパンフレットを調達しにいくほど気にいっていたのです。「お土産のパンフレットや絵ハガキは、色的に本物の再現ができていない金儲け商売だから、買うなよ!」と言われていたので、再度出かけてパンフを買ったことは彼には内緒でしたが。その後、高校、浪人時代は時々家でブリティッシュ・ミュージシャンのレコードをかけながら、横になってこの時のパンフレットを眺めてはあれこれ想像を巡らしてしたものです。