日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

経営のトリセツ80~織田信成選手の“靴紐”に見る「危機管理」の誤り

2010-02-23 | 経営
バンクーバー冬季オリンピック男子フィギュア・スケートの織田信成選手、ショート・プログラム終了時点で4位につけメダルの期待もされていながら、フリー演技で演技中に靴紐が切れるアクシデントに見舞われました。結果彼は転倒の憂き目に会い、演技は一時中断。靴紐を変えて演技続行となったものの減点の影響は大きく無念の7位に終わりました。アクシデントの直後には、オリンピックという最大目標の舞台でなんとついていない不運であることかと思われたものの、試合後のインタビューで分かったことは「すでに一度切れてた靴紐を、無理に結びつなげて演技に臨んだ」という意外な事実でした。オリンピックという大舞台でなぜそのような選択を彼のコーチは許したのかということが、この話を聞いた私には大きな疑問として残されました。ここには、企業管理者であったならやってはいけない「リスク管理」に関する重大な教訓を含んでいると思うのです。

マネジメントにおける「リスク管理」とは、リスクの存在を察知した時に「いかにそのリスクを低減するか」であります。すなわち、ポイントのひとつは「リスクの存在を認識すること」であり、いまひとつは「そのリスクを(ゼロにできなくとも)できる限り最小化すること」なのです。織田選手のケースで言うなら、試合前にすでに彼のシューズの靴紐は一度切れていた訳であり「リスクの存在を認識すること」はできていました。しかしながら、切れた靴紐を無理に結びつなぎ合わせることは「そのリスクをできる限り最小化すること」にはなりませんでした。彼の弁によれば、「靴紐を新しいものに変えて結びなおすことで、靴を履いた時の感触が履きなれた感触から変わってしまうことを避けたかった」とのことですが、それはより小さな別のリスクに目を奪われて最も大きなリスクを最小化することができなかったことなのです。

演技をする選手自身の気持ちを考えれば、織田選手の靴紐を変えなかった選択はうなずける部分も多分にあるのですが、選手をマネジメントする立場のコーチの判断としては明らかに誤った「リスク管理」をしてしまったと言えると思います。織田選手は「ショックで言葉にならない。悔いが残る試合になってしまった。自分の責任です」と試合後、あふれる涙をぬぐいました。しかし本当の責任は彼にあるのではなく、リスク対処に関する彼の判断の誤りを正せなかった管理する立場のコーチにこそあるのです。スポーツの場面であれば「悔いが残る」の涙で済む話ではありますが、これが企業ビジネスの世界では企業の存続にかかわることもあるわけで「悔いが残る」では済まされないのです。

企業における織田選手のケースと同じような事例は、プレーヤーである担当者が、業績進展にばかり頭がいってしまい、マネジメントの立場から見た場合業務上のリスクを甘く見た行動を選択しようとするケースです。経営者および管理者は、業績を上げることにばかり気を取られることなく、常に担当者とは違うトータル・マネジメントの立場から考えて「リスクの存在を認識すること」「そのリスクをできる限り最小化すること」に腐心しなくてはならないのです。経営者や管理者が担当者と同じ立場でリスクを軽く見ることはもはや「ギャンブル」に他ならず、「ギャンブル」はビジネスの世界ではスポーツ界とは比較にならないレベルで取り返しのつなかいことになりうるということを、バブル期をはじめとしたビジネスの歴史は如実に物語ってもいるのです。