日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

またひとつ消えた“昭和の星”~藤田まことさんの訃報に思う

2010-02-18 | その他あれこれ
突然飛び込んできた藤田まことさんの訃報、とても寂しいですね。

役者として印象深いのはやはり「必殺仕事人」ですが、僕らの世代は「藤田さんと言えば日曜日のテレビ」という印象がとても強くて、「スチャラカ社員」や「てなもんや三度笠」は、白黒テレビを囲む昭和の一家団欒を象徴するような番組でした。今思えば何のことはないドタバタ喜劇でしたが、面長な顔をいろいろ変形させて笑いをとる人なつっこい表情が何とも印象的でした。若かりし頃の藤田さんは、「仕事人」の中村主水とはまた違った魅力に溢れていたのです。特に「てなもんや」は、番組冒頭の寸劇の後必ず「あたり前田のクラッカー」の決め台詞で落とすシーンが見たくて、子供の頃毎週欠かさず楽しみに見ていました。今も続く私のダジャレ好きのしょうもない性分は(もはや単なるオヤジ以外の何モノでもありませんが)、あの時のあの台詞に由来しているように思います。

忘れられない藤田さんのもうひとつの顔は、“歌手”藤田まこと。大阪の歓楽街十三(じゅうそう)ではたらく女性の日々を歌った昭和46年のヒット曲「十三の夜」(あまりに印象的なサビの歌詞からタイトルを「十三のねえちゃん」だと思っている人が多くいます)は名曲です。実は作詞も作曲も藤田さんご自身で、元祖シンガー・ソングライターの趣?ホントいい曲で、藤田さんのソフトな歌声がまた素晴らしいのです。子供心には「♪ねえちゃん、ねえちゃん、十三のねえちゃん~」というくだりが面白くて気に入っていたのですが、大人になってからよくよく聞いてみると、けっこう哀愁ただよう大阪の水商売の女性への応援歌だったりして、藤田さんのやさしさあたたかさが何気にうかがわれる点がなんとも素敵です。やさしい人だったのですね、藤田さん。またひとつ我々を育ててくれた昭和の“親父世代”が消えていく寂しさを禁じ得ません。

心よりご冥福をお祈り申しあげます。


★「十三の夜」 作詞作曲/歌  藤田まこと

梅田離れて中津を過ぎりゃ思い出捨てた十三よ
女一人で生きていく 娘ちゃん娘ちゃん十三の娘ちゃん
涙をお拭きよ 化粧くずれが 気にかかる
庄内離れて みくにを過ぎりゃ ネオンうずまく 十三よ
やけに淋しい夜もある 娘ちゃん 娘ちゃん 十三の娘ちゃん
くじけちゃいけない 星に願いを かけるのさ
園田はなれて神崎川過ぎりゃ 恋の花咲く 十三よ
やがていつかは結ばれる 娘ちゃん 娘ちゃん 十三の娘ちゃん
「モスリン橋」を今日は二人で渡ろうよ