日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

〈70年代の100枚〉№89~モータウンの歌姫“脱モータウン路線”の傑作

2009-10-25 | 洋楽
ダイアナ・ロスの登場です。ダイアナ・ロスは60年代に一世を風靡したモータウン・レーベルの女性コーラスグループ、シュープリームスのリーダーとして活躍。70年のグループ脱退後はソロとして、モータウンを代表する女性シンガーの座を確立します。そして、73年の№1ヒット「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」あたりを機に、スティービー・ワンダーが「迷信」で人種ボーダーレス路線を突き進んでいくのと時同じくして、“ブラックORホワイト”を意識させないアーティストへの変貌の道を歩み始めました。

№89  「ダイアナ・ロス/ダイアナ・ロス」

75年にリリースされたこのアルバムは、「タッチ・ミー…」でのボーダーレス路線を確実に一歩も二歩も進めた内容になっています。何といっても奮っているのは全米№1ソングのA1「マホガニーのテーマ」。「ビリーホリディ物語」に続くダイアナ主演の映画のタイトル・トラックでもあり、作詞はキャロル・キング最初の夫であるジェリー・ゴフィン、作曲は「タッチ・ミー…」と同じマイケル・マッサーです。マイケル・マッサーは、ダイアナの「タッチ・ミー…」で頭角を現したソングライターであり、この曲の大ヒットにより超売れっ子ライターへとステップ・アップを果たします。ちなみに、80年代にホイットニー・ヒューストンのデビュー当時を曲作りの面で支え、スターダムに押し上げたのも彼でした。「マホガニーのテーマ」は、そのマイケルが何度も何度も映画を見返して、入念に作り上げたというだけあって、「タッチ・ミー…」に負けない美しいメロディと重厚な曲展開が見事な名曲です。日本では、ロバータ・フラッグの「やさしく歌って」と並んでコーヒーのコマーシャルで有名なあの曲です。

このアルバムには、もう1曲№1ヒットが収められています。それがA3「ラブ・ハング・オーバー」です。これは当時、ファンクとブラックの融合やビージーズの路線変更等でブームになりつつあった70年代ディスコ・ミュージックをいち早く取り上げたもので、ある意味彼女の“脱モータウン路線”を最も象徴していると言えるのかもしれません。その他アルバムからは、これもまたマイケル・マッサーのペンによるA2「I Thought It Took a Little Time」とB2「One Love in My Lifetime」もスマッシュ・ヒットを記録し、合計で実に4曲ものヒット曲が立て続けに誕生したのでした。アルバムは、ポップ・チャートでの最高位は5位。自身の名前をアルバム・タイトルに据えたのは、この作品に対する自信の表れだったのでしょう。彼女にとってソロ独立後最大のヒットアルバムとなったのでした。

ダイアナ・ロスが今もなお、モータウン出身の黒人アーティストとしては、スティービー・ワンダーと並んでボーダーレス的な意味合いも含め、別格的なポジションを得ているのは、まさに70年代当時のモータウンの枠を飛び越えた大活躍があればこそでしょう。中でも2曲の全米№1ヒットを擁するこのアルバムは、彼女にとってはまさしくマスター・ピースと言うにふさわしい1枚であると思います。しかしながら本作、現在は本国でも廃盤です。コモドアーズの時にも触れましたが、ブラック系のアーティストは70年代の名作が復刻されることなく、ベスト盤でお茶を濁されるケースが多いように思います。どうもまだアメリカの根底に根深い人種差別意識があるように思えるのは、私だけでしょうか。