日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

2016年オリンピック招致、日米惨敗に思う

2009-10-03 | ニュース雑感
2016年のオリンピック開催地を決めるIOC総会がコペンハーゲンで開かれ、最終候補地に残っていた東京は2回目のセレクションで落選、悲願のオリンピック開催はなりませんでした。

昨夜は遅くまで、生中継での投票の様子をテレビで見入っていた人も多いことと思います。私も、自らのビジネス・チャンスという考え方も含めて、2016東京開催にテレビの前で期待を寄せていた一人ですが、昨晩の結果を見て立つべき時ではなかったとつくづく感じさせられました。開催地に選ばれたリオデジャネイロは南米ブラジル「リオのカーニバル」で有名な大都市です。南米での初開催となるオリンピック開催権の獲得は、今後の世界の大きな流れを暗示していると感じさせられるものでもありました。

昨年6月の1次選考時点での順位付けでは、東京が1位、マドリードが2位、シカゴが3位、リオは4位通過という、1次選考通過4カ国中最下位でした。しかもリオは、同じ立候補地であったカタールのドーハよりも点数が低く、ドーハが開催日を10月にしていたことから繰り上がり4位での予選通過だったのです。日本のその頃の世論は、「ロンドン大会の次に連続ヨーロッパ開催はないから、ライバルはシカゴ。シカゴを地元とするオバマが大統領になったら手ごわい」というものでした。ところが1年後の昨日、最終選考投票の蓋を開けてみれば、シカゴは真っ先に脱落。そして続いて東京が落選して最終的にドン尻一次通過のリオが勝つという、1年前の予想からは到底考えられない展開となったのです。

米国はオバマ大統領夫妻が、日本は鳩山総理が応援スピーチに駆けつけての惨敗ですから、この結果分析は重要なレビュー作業であると思います。ポイントは昨年6月以降の世界の流れを変える大事件、米国発のリーマン・ショック。この事件を抜きに今回の結果は語れないと思います。この事件が、世界の見方、価値観を大きく変えたとは言えないでしょうか。今回のオリンピック開催地選びを見るに、リーマン・ショックは単に世界経済への下方圧力を投げかけただけでなく、東西冷戦時代を経て独裁色を強めた米国中心の資本主義自由経済の行き過ぎに対する反省を促すとともに、世界覇権における新旧交代を意識づける事件でもあったと思えてならないのです。

世界的にみて圧倒的な知名度と存在感を誇るオバマ大統領が、生スピーチをしてこの惨敗なのです。日本のマス・メディアは昨日の最終プレゼンテーションへのオバマ氏の登場を「脅威」として取り上げ、アメリカをリオと並ぶ最有力候補として書きたてました。日本ではマスコミまでもが、いつまでもアメリカ中心世界の“幻想”動かされていたのです。しかしIOC委員の価値判断は違いました。キーワードは「覇権交代」。G8からG20への時代の移行は、決して経済の世界だけの話ではなかったのです。第二次大戦後、東西冷戦の時代からアメリカの“腰巾着”と見られてきた日本も所詮は旧勢力であり、世界的見地で物事の判断を求められるIOC委員は、世界GDP第1位、第2位の“経済大国”よりも、世界の次代を担うBRICsの中心都市リオデジャネイロを選択したと思えるのです。

オバマ大統領は昨日のスピーチの中で再び「チェンジ」をキーワードとして口にしていましたが、皮肉にも今回の「チェンジ」は自らの国アメリカの世界覇権交代に向けた「チェンジ」の象徴になってしまったのかもしれません。一方東京は、2020年オリンピック立候補をするか否か今後議論がなされるのでしょうか。私は今回の東京の敗因はアメリカの惨敗を見ても分かるように、一般に言われている「ロビー活動の出遅れ」「切り札不在」といった、低次元の問題に帰結できるような生易しいものではないと思っています。仮に2020年に向け再立候補をするとしても、我が国のマスメディアも含めて「チェンジ」をキーワードとする世界の時代の風を読み違えたままの再立候補では、今回と同じ轍を踏むことになるのではないかと思うのです。