日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

<音楽夜話>>「消えた名盤100 」を追え!

2008-02-23 | 洋楽
以前ブログに書いた雑誌「レコードコ・レクターズ(以外レココレ)」の特集、「70年代ロックアルバムベスト100」に関連して、選考に対する私の不満を埋め合わせてくれるような特集が、同じ発行元の姉妹誌「ミュージック・マガジン(以外MM誌)」で組まれました。

その名も特集「消えた(?)名盤100(ロック編)」と言うものです。高橋編集長の曰わく、「(今の)ロック名盤は、セレクションが精錬されている。固まりすぎているような気がしてならんのです。ロックという音楽を最初に知った時の、大人でヤバくてワケ分からなくて、めちゃめちゃカッコいい感じが薄くなっているような気がします。ヤングたちがみんなロックを聞きながら世相を憂いていたとか、『ペット・サウンズ』やヴァン・ダーク・パークスを部屋にこもって聞いていた、という訳ではないのだから」。

昨年夏に「レココレ」に取り上げられた拙文では、分量の問題もあって言及できなかったものの、まさに私の言いたかったことは高橋編集長のこの言葉の真意と共通するものでした。私は、そのアルバムがリリースされた時代の、受け手へのインパクトや時代への衝撃度といったものを、基準にすべきであると思いますし、その意味では「レココレ」のベスト100リストは、特定のベスト100選定評論家の至極恣意的かつ歴史的後追い評価が色濃く影響を及ぼしており、「好ましくない」と申し上げたのでした。

すなわち、ベスト100に好きなアルバムが入っているかどうかの問題ではなく、70年代に大きなインパクトがあったフリートウッド・マックやクイーンやキッスが、今の世間的評価はともかくとして、一枚も選ばれていないベスト100なんて、70年代を語っていないと思い同誌宛原稿を寄せた訳なのです。

音楽界の情報は、昔に比べようもなく世間に氾濫しています。そのため、生半可な情報ではプロの評論家が素人との差を見せにくくなっているために、選者各氏は各人なりの07年のポジショニングでもっともらしく“専門家”を感じさせる選出基準で「名盤」を選んだがために、私のようなリアルタイム70年代体験者には実感の薄いベスト100になってしまったのだと思います。

その辺のところは、MM誌今回の特集内対談で萩原健太氏がズバリ言ってます。「選ぶ人は“俺はこれ聞いてるんだ、偉いだろう”みたいなセレクトをしちゃいけないと思うよ」。ほんと同感です。評論家のポーズづくり目的のベスト100が、その時代を体現しているとはどう考えても思えませんね。

その点、今回のMM誌の特集は潔い!この「消えた(?)名盤100」特集には、本当に溜飲が下がる思いです。シカゴ、アリス・クーパー、ロギンス&メッシーナ、ボズ・スキャッグス、フォリナーなどなど、100枚に選ばれた1枚1枚に、思わず「そうだった、そうだった」と、まさに70年代が音楽的にどういう時代だったかが、本当に実感を持って思い出させてくれる見事な特集です。

間違いなく、私の投書をはじめとしたレココレのベスト100論争を受けて企画された特集ですね。その意味では本当に嬉しく思います。前回のレココレのベスト100に、どうもしっくり来ないものを感じていた皆さん、ぜひこのMM誌3月号を読んで、一緒に真実の70年代を実感しましょう。