静聴雨読

歴史文化を読み解く

私のバックボーン(近現代外国人編)

2010-09-21 07:25:09 | 歴史文化論の試み
私の歴史文化論を支えるバックボーンを、現代日本人と近現代外国人に分けて紹介していますが、今回は、19世紀以降の近現代外国人に絞って、影響を受けた人、ためになった人、気になる人を10人挙げたいと思います。並びは生年順です。

(1) ヘンリー・D・ソロー(1817-62)
近代の歴史文化に対して深刻な懐疑を抱き、その思索を日記や紀行文などで表現した19世紀アメリカの思想家です。後述のウィリアム・モリスとともに、「ソローとモリス-共通する側面」と題するコラムで紹介しました。
http://blog.goo.ne.jp/ozekia/e/5612eda87827e744eb57e71d867eb1b4

(2)ドストエフスキー(1821-81)
とても読んで面白いロシアの大小説家です。長編が多いのですが、彼の長編小説をスラスラ読めるかどうかが、身体と精神の健全さの「リトマス試験紙」になっているように思います。私は、小沼文彦訳で読みました。

最近、亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟」(古典新訳文庫、光文社)が話題を集めました。「BIBLOSの本棚」に置いていたのですが、すぐに誰かに求めていかれました。新訳の玩味はしばし「お預け」です。

(3)ウィリアム・モリス(1834-96)
モリスは、生涯の前半では、画家の道を捨て工芸家になることで深刻に悩み、妻とダンテ・ガブリエル・ロセッティとの間でやはり深刻に悩み、生涯の後半では、社会主義グループ内の抗争や覇権争いに深刻に悩みました。
しかし、彼の生涯は悲劇性を伴いません。そこが気に入るところです。
 http://blog.goo.ne.jp/ozekia/e/5612eda87827e744eb57e71d867eb1b4   

(4)魯迅(1881-1936)
近代中国が外国の列強の植民地になってしまったことを強く悲しみ、その憤りを文学と評論で表現したのが魯迅です。

現在の上海・魯迅公園は、お年寄りと熟年おばさんの社交場となっていて、中国将棋(象棋)指す人たち、ダンスに興じる人たち、などが見受けられますが、そこから、19世紀後半から20世紀にかけて、独立の精神を自虐的に訴えた魯迅の面影を探すことは難しいようです。

(5)ベルトルト・ブレヒト(1896-1956)
ドイツの劇作家です。近代演劇を超越した劇作法を何に例えたらいいのか、と考えるのですが、あるいは日本の能に類似点を見出せるかもしれません。

「場の聖ヨハンナ」「おさえればとまるアルトゥーロ・ウィの興隆」「コーカサスの白墨の輪」などを日本の新劇の劇団が演じるのを観ました。いずれも新劇くささに染まってはいますが、ブレヒトの象徴性・狂気性などはひしひしと伝わってきました。ブレヒトは間違いなくシェークスピア以来の演劇の鬼才です。

(6)ジャン・ポール・サルトル(1905-80)
大学生になってから、人文書院から出ていたサルトル全集をよく読みました。主に、小説・戯曲・評論で、哲学にまでは及びませんでした。「存在と無」・「弁証法的理性批判」などは読み残しです。また、フローベール論「家の馬鹿息子 全3巻」は読む機会はないでしょう。

知識人の政治参加・社会参加(アンガージュマン)がもっともわかりやすいサルトル像ですが、晩年のマオイスム(毛沢東主義)への傾倒は理解を超えています。  

(7)ジャクソン・ポロック(1912-56)
アメリカの即興主義の画家です。
大きな画布の上にまたがって絵具をたっぷり含んだ絵筆を自在に振り回すポロックを写真で見ましたが、そこから生まれる絵はみずみずしい精気をたたえています。本当に奇跡のような画家です。

ポロックの画法が誰から受け継いだものなのか、また、誰がそれを受け継いだのかわかりませんが、少なくとも、アンディ・ウォーホルとは異質だと想います。つまり、ウォーホルにある一種の「てらい」はポロックにはありません。

(8)マルグリット・デュラス(1914-96)
現代フランスの小説家で、映画のシナリオや監督、戯曲なども手がける多才な人です。私の最も好きな作品は「太平洋の防波堤」で、十代に過ごしたベトナムでの経験を織り込んだ小説です。
「愛人」が大ベスト・セラーになりましたが、その背景にあるのが若い男との性愛であることはよく知られています。彼女は齢を重ねてからアルコール中毒に悩みました。

実は、デュラスとサルトルには共通点があると私は考えています。
・アルコール中毒(デュラス)と大食い(サルトル)
・異性との交遊ぶり
・戯曲への偏愛ぶり、など。

(9)ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927-2007)
アゼルバイジャン(旧ソ連)出身のチェリスト・指揮者。
今年4月に亡くなった際に、ブログに以下の追悼文を載せました。
 http://blog.goo.ne.jp/ozekia/e/a9eb73184c2d0dee6edf331f5c6cd67b

ロストロポーヴィチは、はっきりとした日付を覚えていませんが、1959年(昭和34年)ごろ、レニングラード交響楽団のソリストとして、初来日しました。指揮者も記憶にありませんが、東京・新宿のコマ劇場で公演したことは覚えています。私は、そのコンサートを聴いています。誰かから入場券を譲ってもらったのでした。ロストロポーヴィチの演奏した曲目も定かではありませんが、懐かしい思い出です。

(10)フランソワ・トリュフォー(1932-84)
映画人から一人挙げるのはなかなか難しく、ヌーヴェル・ヴァーグの代表としてトリュフォーを挙げることにしました。ジャン・リュック・ゴダール、クロード・シャブロルと並んでヌーヴェル・ヴァーグの旗手といわれますが、三人の映画手法はまったく異なります。ゴダール=破壊的・前衛的、トリュフォー=伝統継承的かつ前衛的、シャブロル=伝統継承的かつ家族的、という違いがあります。

トリュフォーの映画では、カメラは流れるように、シークエンスも流れるように、主題も家族・仲間・同志などが多いのが特徴です。代表作を一作だけ挙げるのは難しく、「突然炎のごとく」「アメリカの夜」「ピアニストを打て」「華氏451」などみな傑作です。
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以上、近現代の外国人で、影響を受けた人、ためになった人、気になる人を10人挙げました。私の思想形成のバックボーンとなっている人たちです。 (2007/11)




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