静聴雨読

歴史文化を読み解く

世界史像の組み換え・1

2011-11-04 07:00:40 | 歴史文化論の試み

(1)世界史とは

私の高等学校の社会科では、日本史と世界史とのどちらかを選択し、地理と政治・経済とのどちらかを選択するようにカリキュラムが組まれていたように記憶しています。今になって思えば、地理を除く日本史、世界史、政治・経済はいずれも必須ではないでしょうか? 授業時間の制約から、このような科目選択制が敷かれていたのでしょう。

日本史と世界史に限っていっても、どちらも、知識として身につけておきたい教科でした。私は世界史を選びました。日本史が、細かい歴史的事実(年号も含めて)の暗記を求めるのに対して、世界史は、もう少し広い視野に立って歴史を俯瞰する訓練ができるのではないか、というのがその理由でした。さらにもう一つの要素が私を世界史に駆り立てました。それは、簡単にいえば、ヨーロッパへの憧れ、でした。

もちろん、世界史ですから、古代オリエントから始まり、連綿と続く歴史文化を跡付けるのは当然です。ギリシア、ローマの地中海世界からヨーロッパへと、歴史文化をたどるのは、いわば、「定番」です。中世以降は、ヨーロッパが主役の座に座り、産業革命からフランス革命へと、近代化への道をたどるのが、世界史のハイライトでした。

しかし、他にも、イスラム社会の興隆と衰退や、インド・中国の文明の興起、ラテン・アメリカの勃興、アメリカの独立と強大化など、「世界史」には、採り上げなくてはならない要素が多くあります。それらをすべて採り上げるには、時間が足りません。ここでも、時間不足のせいで、世界史=ヨーロッパ史のように思い込まされたフシがあります。もっとも、ヨーロッパへの憧れに身を焦がしていた生徒には、それで何ら不満はありませんでした。 

(2)一つの世界史像

さて、私が志望することにした大学には、ヨーロッパ中世史の大家が何人かいました。それらの先生の出題する入学試験の「世界史」はユニークなことで知られていました。

先生方の編んだ「高校世界史」の教科書があり、高校の先生からそれを見せられ、入学試験の「世界史」の「傾向と対策」に励みました。その教科書を見て、驚いたのは、中世史に割くページが多いのです。

その大学の過去の「世界史」の入学試験問題を見て、さらに驚きました。それを思い出しながら、再現してみます。

「問い。次の文章を読み、具体的史実に照らして、100字以内で、解説せよ。『地中海を挟み、長らく対抗していたイスラム勢力とキリスト教勢力の関係は、15世紀を迎え、ようやく一つの決着を見た。』」

この文章を読み解くことが求められています。
一つの答えを示すと:
「地中海沿岸からヨーロッパ南部を侵略したイスラム勢力に対して、11世紀以降数次の十字軍を中東に派遣するなど、キリスト教勢力が反攻に転じ、ついに1492年、スペインのグラナダ城を開城させ、イスラム勢力からのレコンキスタ(国土回復)を実現させた。」

こういう問題が10問(か15問)出るのが、この大学の「世界史」の入学試験問題でした。

このように、史実を読み解く力を高校生に求めるのはいかがなものか、という批判もあったようですが、この問題が、唯一の「解答」を求めているのではなく、いろいろあり得る「解説」を求めているのだとすれば、今時の「マル・バツ」式問題や「穴埋め」問題よりもはるかに歴史理解の深さを測るのに適していたように思います。  

(3)フランス近代史

話戻って、高等学校の世界史の授業では、1789年のフランス革命から始まり、ナポレオンの登場、二月革命、七月革命、パリ・コンミューンと続くフランス史は息継ぐ暇もないほど劇的な場面に満ちています。このフランス近代史を学ぶ過程で、近代史のダイナミズムに触れました。

フランス革命が掲げた「自由(liberte)・平等(egalite)・友愛(fraternite)」の理念が、モンテスキュー・ヴォルテール・ルソーなどの18世紀啓蒙主義に淵源を持つものであることや、新興ブルジョワジーが貴族階級に取って代わったのがフランス革命の意味であることを知って新鮮な驚きを覚えました。

没落する階級と興隆する階級の力学を理解するには、高校の世界史の教科書だけでは物足りなく感じ、副読本も読みました。それが、次の2冊です。

シェイエス『第三階級とは何か』、昭和25年、岩波文庫
カール・カウツキー『フランス革命時代における階級対立』、昭和29年、岩波文庫

このような学習を通じて、フランス革命とは、新興ブルジョワジーが貴族階級を駆逐するものであると同時に、新たに、新興ブルジョワジーと「第三階級」との対立の幕開けを宣言するものでもあったことがわかりました。「第三階級」とは、農村の小農民・都市の低賃金労働者・小規模自営業者などを併せた呼称です。

フランス革命の掲げた「自由・平等・友愛」の理念のうち、「自由」はブルジョワジー主導の民主主義によって実現を見ました。それに比べ、「平等」と「友愛」については、ブルジョワジーと「第三階級」との対立を解決しない限り、誰の眼にも見えるものにならないわけです。

この点を鋭く衝いたのがバブーフの一派でした。
フランス革命後のジャコバン党の独裁政治が倒されはしたものの、新興ブルジョワジーと「第三階級」との格差は広がる一方でした。これに危機感を抱いたバブーフの一派は、「平等」を掲げて、「第三階級」の地位向上を企てましたが、敢え無くその狙いはつぶされました。「バブーフの陰謀」と呼ばれる事件です。

「バブーフの陰謀」に関する日本語の文献は次の通りです:
柴田三千男『バブーフの陰謀』、岩波書店
平岡 昇『平等に憑かれた人々-バブーフとその仲間たち-』、岩波新書

長らく気になりながら確かめられなかったバブーフの一派の思想を、今年になって、ようやく知ることができました。平岡によれば、バブーフの一派の思想は、主にルソーの『人間不平等起源論』と『社会契約論』に拠ったものであり、いずれも小農民出身の論客による、新興ブルジョワジーと「第三階級」との「平等」を目指すものであり、カール・マルクスより以前の初期社会主義の萌芽であったそうです。

「平等」を目指す運動は、以後、19世紀から20世紀にかけて連綿と続きますが、なお、解決することなく21世紀にまで持ち越されています。わが国でも、鳩山内閣が公表したわが国の「貧困率」の高さが衝撃を与えました。突然、バブーフを思い出したのも、そのようないきさつがあってのことでした。 (2010/3)



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