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こんな文章(その8)

2021-08-16 07:02:16 | 歴史

③ 稲作道具の伝搬

稲作道具としては、学び舎で唯一出てくる「石包丁」。                    

こんな文章で書かれています。

「石包丁は朝鮮半島で発掘されたものと同じ形です。稲作の技術や種もみ・道具をもった人たちが、朝鮮から海をわたってきました。

この人たちは、九州北部に住みついて、ムラをつくりました。その後、稲作は各地に広まっていきました。」

とはいえ、水田稲作の時期、ほぼ朝鮮、北九州同じ時期、さらに道具の石包丁も同様の形状となると、朝鮮渡来と考えるよりも、

中国から同時期に と考える方がより納得できる感じです。

実際は他にもいろいろ道具ある様で、それを考えると、やっぱ本流は ってことになるが、それでは面白くない!

歴史に面白さ考えてはいけませんが、公のモノではないため、好きに書けます、個人ブログ。

そこの所、それなりに証拠も添えて ってことで考えます。

 

石包丁に関するネット情報では、

石包丁は比較的何処にでもある材料から製作可能であったため、初期の稲作文化においては広く利用されています。

中国では仰韶文化、龍山文化の遺跡から出土する。

これらの時代って何時?

仰韶文化:中国の黄河中流全域に存在した新石器時代の文化である。仰韶文化の年代は紀元前5000年~3000年あたり、今から5000~7000年前になる。

龍山文化:中国北部(華北)の黄河中流から下流にかけて広がる新石器時代後期の文化である。黒陶が発達したことから黒陶文化ともいう。

時代は、紀元前3000年~紀元前2000年頃と、今から4000~5000年前にあたる。

黄河中~下流となれば、稲作と云うより畑作での利用? これが4000年以前に使用されていた ってことに。

稲、畑作、場所等、ちょっとこの石包丁も問題ありそう?

 

朝鮮半島では、無文土器時代の遺跡から出土し、畑作の伝播に伴い、半島を南下したと考えられる。

無文土器時代:朝鮮半島の考古学的な時代区分で、紀元前1500年~300年頃(3500~2300年前)にあたる。

この時代の典型的な土器が、表面に模様を持たない様式(無文土器)であることから命名された。

朝鮮半島でも、この包丁畑作由来? 稲作以前からの道具の様です、当然か!!

 

日本では半島対岸の北九州の貫川遺跡から、この石包丁出土しています。これが日本最古と云われています。

時代は、縄文時代晩期前葉~中葉の黒川式土器段階にあたるとのことで、今から3300~3000年前になるのか?

朝鮮半島出からの出土少し早い様ですが、どちらにしても概ね3000年前に出土しています。

中国で約4000~5000年前に作られ、朝鮮、日本(北九州)で約3000年前に使われたって感じかな、この石包丁。

朝鮮からの伝来が主流の様ですが、石包丁の分類どんなものでしょう?

こんな図見つけました。

 

                                                        

 

石包丁もいろんな形状がある様で、それからの伝搬経路といった図になります。

形状からは、中国になく朝鮮、日本にのみある形のモノある様です。

中国においても黄河、長江で独自の形状、黄河から長江に伝来した訳でもない感じです。

経路からは朝鮮→北九州がやっぱ妥当なのか?

日本最古の水田がある北九州の菜畑遺跡、そこで出土している石包丁、ちょっと特殊な形状、こんな形。

これは出土例が少なく「外溝刃半月形石包丁」とも呼ばれている。

この形状のモノ、朝鮮にも僅かある様で、朝鮮からの伝来では との考え強い。

 

                            

 

中国にこの形状あれば良いが、残念ながらみたいです。

しかも他形状も、朝鮮独自のモノある様で、日本にもそれが と。

となれば、やっぱ石包丁、朝鮮からが主流に。

道具とそれに関する耕作物、同時に伝来が一般的かな?

 

道具等から見ると、稲作は朝鮮伝来?

 

 

 

 

                         

 

コメント
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