世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

戦略・戦術の僅差が明暗を分けた衆院選!?

2005年09月15日 | Weblog
自公民の底辺部への徹底浸透の不備が明暗を分けた。反自公民の一途な心底からのリベンジの持続で徹底最深部への見えざる情熱・ルサンチマンの浸透が有権者の心の琴糸に触れ揺り動かし明の結果を導いた。そして組織力のフル動員――社大、民主、連合、一部の自民・公明、無党派層、無関心層――までも取り込んだパッション・情熱の差が明暗を分けた。のるかそるかの必死の体制(体勢・態勢)が功を奏したのである。体制に呼応しない沖縄独自の自前のオリジナル課題を中央に直談判する。系列化の波に乗らない、動じない、中央に右顧左眄しない地方性を強調し、レアな生もの、としての主体性を発揮した。その帰結が民心を捉え結果を引き出し勝利に結びついたのである。他方、敗北の辛酸を嘗めた自公民体制は中央や組織力に甘んじ中央に寄り掛かって期待し過ぎた。ある種の安堵感があった。その間隙を突かれた結果が敗北の真因である。前回の選挙後からの次期(今回の選挙)選挙までの<足で稼ぐ地道な努力>が功を奏したし、片方は、それが足りなかったのが不本意な結果を招いた。猛反省すべきである。次期選挙戦が既に始動している、という。沖縄の長年の懸案・課題<基地の撤去・対外移設、縮小等>を選挙の結果に反映させるべきである。選出された選良は大胆果敢に、その事を直訴或いは政策の容で実現させるべきである。対外政策の日本の縮図、沖縄が真の主体性を発揮し中央をも揺り動かす起爆剤となる事が<沖縄の使命であり宿命>である。米軍再編の世界的軍事戦略のこの機を最大限に活かし所属政党で主体性を発揮すべきである。県民は、その事を悲願として選良を選んだのだ。他都道府県との鮮明な違いを再認識して中央で活躍してもらいたい一念である。今回の選挙の結果を踏まえての一県民としての悲願・切望を御願いする次第である。・・・


沖縄のカジマヤー(97歳のお祝い)

2005年09月14日 | Weblog
97歳になったら・・・<カジマヤー祝い>。旧暦の9月7日に行われる。真っ赤なちゃんちゃんこを羽織、大きな風車を手に持ってド派手なオープンカーに乗り(昔はトラックの荷台にひな壇を作って利用していた)、地域をパレードして沿道から祝福を受ける、というのが正しいカジマヤー祝い。”カジマヤー”の始まりの説は色々あるが、有名なのは次の2つになる。よく聞くのは、97歳も生きたのだから、風車を持って童心に返り、余生を楽しんでください・・・という意味を持つもの。もうひとつは、お祝いではなく模擬葬式として、死装束を着せ、七つの『カジマヤー(十字路)』を巡っていた慣わし、からきたという説。・・・生、死、そして死んだ後の祖先を深く崇拝する文化が根強い沖縄の土地で生まれた、とても意味深い神聖なお祝いのような気がする。世界で最も長寿の地域として、各国から研究者が集まり調査をしているという記事を、ときどき地元の新聞で目にする。長寿の理由は、食塩摂取量の低い食生活にあるとか、カルシウムを多く含んだ水にあるとか、楽観的な人柄にあるとか色々らしいが・・・毎年97歳、<カジマヤーの祝い>を迎えるお年よりは100人以上。トーカチ祝いは数えることに意味がないほど多くいらっしゃるようである。つい、先だっての9月24日は旧暦の8月8日、<トーカチ祝い>の日であった。遠い親戚の<おばさん>のトーカチ祝いがあって(知り合いにお年よりが多い場合は、その家々をはしご、してお祝いに駆けつる)、お祝いの席で琉舞(沖縄の伝統的な踊り)を踊って祝福する。「おばさん(本来なら<おばあさん>と呼ぶべきだが、88歳といってもぴんぴんしていて若いのであえて<おばさん>呼んでいる)すごく喜んでいたさぁー」と。お土産の重箱と一緒に、次のように記された紙が、あった。  「米(ユニ)のトーカチや  切り升(マシ)どやゆる  盛着(ムテイ)のカジマヤ  ゆう願げさびら」日本語に訳すると・・・88歳のトーカチ祝いは、ちょうど、まだ升のすりきりぐらい、だけど、もっと長生きして今度は升に、こぼれるぐらい盛って大きいカジマヤー祝いしようねー(おじぃ、おばぁ長生きしてよぉー)・・・という意味。(詠み人知らず)
(参考資料・・・沖縄関連ネットより)


沖縄民話「トーカチ(88歳)の由来」

2005年09月13日 | Weblog
沖縄では、60歳で「還暦」、88歳で「トーカチ」と呼ばれる<米寿のお祝い>、97歳になると「カジマヤー(風車)」のお祝いをする。今回は「トーカチ(米寿)」のお祝いの由来についてお話します。■八つで死ぬ運(米寿祝いの由来)■【本部町】昔、とても丈夫な八歳になる男の子がいました。ある時、天から神様が白髪のお爺さんの姿で降りて来ると、その男の子の手を捕まえて、「おまえは、体も丈夫だが八つまでの命と決められているんだ。」と言うと、神様を祀っている山の方へ歩いて行きました。子供は、急いで家に帰るとお母さんも驚くほど大きな声でうわぁうわぁと泣き出しました。「どうした、誰かにいじめられたの。怪我でもしたの。」と聞くと、子供は「いいえ、今、白髪のお爺さんから、お前の寿命は八つまでしかないと言われたんだ。」と答えました。お父さんは、男の子から話しを聞くと、急いで馬に乗ってそのお爺さんを追いかけました。しばらくして追いつくと、お父さんは馬から降りて地べたに手をつけてお願いしました。「私の息子の寿命は八歳までだそうですが、助けて下さい」。白髪のお爺さんは、知らん顔して通り過ぎて行きました。すると、お父さんはまた馬を走らせて、その人を追い越すと今度は地べたに頭をつけてお願いしました。「どうか、お願いします。一人息子の命をもう十年でいいですから延ばして下さい。」と、お父さんが言うと、「そうか、それでは何月何日にお酒とご馳走を持って天の神様にお願いに行きなさい。」とお爺さんは答えました。その日になると、お父さんはとびきりおいしいお酒とご馳走を重箱いっぱいに詰めて持っていきました。寿命を決める神様は、友達と夢中になって碁を打っていました。人が傍らにいることも気がつかないのでお父さんは持ってきたお酒とご馳走を差し出し、二人の前に置きました。すると、二人の神様は酒を飲みご馳走を食べました。しばらく経って、碁の勝負が終わったので、お父さんは、「私の息子は今年で八つになります。天では八つまでの寿命と決められているそうですが、後十年でもいいですから、息子の命を延ばして下さい。」と、お願いしました。「人間の寿命というのは生まれた時に決まっているから変えることはできない。しかし、私たちは碁に夢中になって酒やご馳走をたくさん食べてしまった。これは困った。もう一度男の子の命を延ばすことを考えてみよう。」お父さんは、何年延ばしてもらえるのか心配していると、「それでは、上に八と書いてやろう。」と息子の寿命が書かれている所に、八の字を書き足しました。お父さんは、八歳にもう八歳足したのだから息子の寿命が十六歳までと思っていると、この男の子は、八十八まで長生きしました。こんなに寿命を延ばしてもらって大変うれしいので、それから八月八日には八十八歳のお祝いの斗掻(トーカチ:米寿のお祝い)を盛大にするようになりました。これは、八八歳の祝いを八十八と書くと米の字になるので米を計る時に使う竹の斗掻(とーかき)に因んでいるということです。付則:沖縄に関する有益な情報及び教育的記事は一般に広報したいと思い、転載させていただきました。当民話は、沖縄国際大学文学部 遠藤庄治教授のご厚意により再掲載させて頂いております。その転載・複写、一部引用等の二次利用は、教育目的、学術的な研究目的、啓蒙的な意義のある活動(営利を目的としないもの)において自由に可能です。・・・



時代の臭覚を先取りした天才の勝利!?

2005年09月12日 | Weblog
真っ当な政策論の展開で国民に披瀝しての論争が欲しかった。結果論である。中身4割、外面は6割が時代の流れであり趨勢である。新党結成に象徴される態様は古き伝統的日本の有り様であり体質の露呈と世間の一部か或いは一般は観たのである。半世紀前に習得・形成された倫理観・道徳観、その時の最先端の術を身につけた成熟の体で現代の直近の課題解決を試行しようとしても時代が許容しない。現代の若年のフレキシブルな瑞々しい感性が勝利の方程式を導く。その時代感覚、時代の臭覚に長けていたのが小泉首相であった。日本の将来の命運をも決する重大な局面で壮大な一大実験を試行したのである。そして的中した。称して小泉流とか小泉劇場、小泉マジックに陥った、とか日本中が催眠術に罹ったとかと悲憤慷慨し吹聴したのである。・・・敗戦の弁である。何か空しい響きさえ感じ、黄昏時の老人の呟きを聴く思いがした。弁解・弁明の敗戦の弁である。選挙中・選挙後も中身のないパフォーマンスと揶揄されたのだが一枚も二枚も小泉首相は役者が上手だったのである。時代を先読みした鋭敏な臭覚の勝利である。爾来の玉虫色の、なあなあ主義の一族郎党的あるいはボスの親分肌の御仁の指令で纏まる日本的”和”に左右される時代は既に過去のもの、となったのである。ある識者は今後の日本は自滅の道を一直線に辿る、と断言するのだが296とか327の選良の意味するものが何を内実としているのか、単なる催眠術に罹った、では済まされない。国民の厳粛な審判であり結果は尊重されるべきである。翻って論議を十分に尽くして、しかる後、結論を出すべきである、とか審議未了とか審議を尽くさず短兵急に結論を出す小泉流は阿片である、とかと集中砲火を浴びせた。ドイツ流に良く考えて後に行動に移すべきである、とかイギリス流に歩きながら考えてから行動に移す、とかと百花繚乱である。スピードが事を制する昨今はイギリス流の”歩きながら考えて行動する”が時代にマッチした最善の解決策である。慎重審議も場や事例によっては採択されるべきであるが一刻を争う世界の趨勢に伍していくには小泉流が支持され、よりベターな選択肢だったのである。その帰結が今回の選挙の内実である。一考を要する今後に注目したいものである。



稲盛和夫氏の哲学「人は何のために生きるか」

2005年09月11日 | Weblog
読解した断章の梗概を以下に連続して提示します(終章)。

第二十一 私の歩んできた道
13歳の時に結核を患い死に掛けていた時に「生長の家」の本に出会った。稲盛家が結核一家で氏も死ぬものと近所では囁かれていた。そのとき隣の奥さんが「生長の家」の谷口雅春氏の「生命の實相」という本を貸してくれた。その中に「心に描いたとおりに結果が現れる」、自分の周辺に現れる現象は心に描いた結果である、と教えていた。不幸も結核も心の反映だ、と。・・・氏は「やましいことを思ったことなどないのに」と矛盾を感じながら病床で必死に想念した、という。子供の時に「世のため人のため」が善き想念で最高のものだ、と考えたらしい。死の恐怖を感じながらも、その時の考えは現在まで続いている、という。爾来、何か悪い事があれば自分の想念が間違っているからと思う様になった、という。自分だけ良ければ、という煩悩になやまされた事もあったが乗り越えられた。心の中の「一人の自分」が制してくれた。大学に入って一時、迷う事があったが子供の頃の「善き事の想念」で、それも克服できた。社会人になってからも仏教に親しむ様になっていた。幼少の頃から「善き事の想念」の実践を心がけていたので本屋でも自然と仏教関係の本を手にする様になった。平成9年に得度して仏門に入った。一人の老師との出会いがあったからだ。京セラの頃の知人の因縁で出会えたのである。縁あってかその擔雪老師の在家の後見人になった。そして禅宗に傾斜していった。稲盛氏の生家は「浄土真宗」の西本願寺派であったが擔雪老師の影響で臨済宗妙心寺派の方々と交流しているうちに禅に惹かれていった。八十歳の擔雪老師は普段は無口で抹茶を啜りながら泰然自若としての日常である。稲盛氏の十五年前の印象深い出来事は京セラのファインセラミックスの人工膝関節の許認可を得ずに販売した事でマスメディアから集中砲火を浴びた時の事、擔雪老師に事の成り行きを説明し教えを乞うた。擔雪老師は「それはしようがありませんな。稲盛さん、苦労するのは生きている証拠ですわ。災難に遭うのは、過去につくった業が消えるときです。稲盛さん、業が消えるんですから、喜ぶべきです。いままでどんな業をつくったかしらんが、その程度のことで業が消えるならお祝いせんといかんことです」・・・まさに「積みし無量の罪滅ぶ」と、白隠禅師「坐禅和讃」にあるように説かれた。それは稲盛氏を立ち直らせるには最高の教えだった、と述懐された。「生まれてから20年間は社会に出る為の準備期間、20歳から40年間は社会で働く期間。60歳から80歳までは死出の旅への準備期間で仏教の勉強に充てる。80歳で肉体の死を迎えるにあたり新しい心の旅――魂、意識体の旅――が始まるから、その準備と考えた、と。しかし60歳では、まだ第二電電の仕事で超多忙を極めていて得度出来なかった。65歳で、やっと得度できた。その頃、<胃がん>が発見され手術で完治する。何の動揺もなかった、とおっしゃる。氏の信仰・信念は肉体の死は魂の死ではない。死は意識体の旅立ちでしかなく魂の死ではない、と固く信じているからである。氏は生命の不滅を信じ魂は永遠だと確信していらっしゃる。得度の後も仏の教えに従い世のため人のために尽くし自分の心を高めていきたい、と自己の信念を披瀝された。・・・読後感、先達の智慧に学び益々心身の陶冶と知性の磨きに精進せねば、と改めて心を洗われた思いがした。



燻し銀の如く輝く名もなき「庶民史」

2005年09月10日 | Weblog
――ふんしどぅくる「勝山の里」――
沖縄県名護市勝山区(旧屋部村)の歴史、名所・旧跡・史跡、産業等を纏めた「勝山誌」が発刊され地域の足跡を残す事になった。勝山の集落は明治期の廃藩置県後に首里の士族が地方下ちした、本元のの端っこの離れに形成された当時としては新しい集落であった。その様に形成された集落を沖縄(旧琉球)では「屋取」(やーどぅい)と言った。”武士は食わねど高楊枝”を地で行く誇り高き士族が形成したであった。その沖縄版である。誇り高き彼等はコツコツと原野を開墾し田畑を造成した。明治期以来、困難をものともせず開拓して来たのである。その足跡を後代に残そうと当の有識者は東奔西走し調査して集めた資料を纏め今回2回目の改訂版の運びとなったのである。初版は1,978年に発刊され主として「戦前を中心」にまとめられた。2回目の今回は戦後の歴史と史跡・名所旧跡等の文化財、今、旬の特産のシークァーサーや潜在的愛食者のヒージャー(山羊)で有名な<勝山>の現状も紹介しようと意欲的に編集された。初版を基に約5ヶ月の月日をかけてまとめた。特に今回は異色版として「分村」、「沖縄戦の記録」、「山紫水明のトレッキングコース」、「住居や記念碑」、「名木記名の集落地図」などと、より良い豊富な内容に仕上がっている。更に子供のために分かりやすい見出しで読みにくい漢字にはルビを振った。尚、「勝山誌」のタイトルは当の先輩の真栄田義孝氏が作詩した『勝山小唄』の「勝山ぬ里や ふんしどぅくる(風水所)」から採択した。編集委員長の真栄田氏は「南向きの集落で、水も出る沖縄一住みやすい風水所の案内本として普及してほしい」と語った。勝山のシンボル<嘉津宇岳>(旧屋部村)は名護市の「21世紀の森公園」を抜けると穏やかな風景が広がる。そんな自然豊かな場所に聳えたっている。400m級の山は沖縄本島では大規模なもの。ハイキングコースもあり、登山客も多く訪れる。その麓には、<たんかん>や<シークヮーサー>、<ゴーヤー>など数多くの沖縄独特の青果が栽培されている。そんな内容も収録されている。・・・
付則:同本はカラーA4判で30ページ。一部500円で2,000部発行。問い合わせは勝山公民館、電話 098-53-8336・・・
(参考資料 沖縄タイムス2,005年9月4日朝刊・・・沖縄関係事項で有益と思う広報及び宣伝等も拙者の任意で選択した・・・)



子供の為の「国会の機能」と「衆議院の解散」

2005年09月09日 | Weblog
去る8月8日に衆議院が解散され総選挙が行われることになった。通常国会の会期は8月13日までだったが解散で参議院も閉会となり会期は終わった。それで国会の機能は基本的に終了し審議中の議案も廃案となった。廃案になった議案は再度、提案しなければならない。憲法の規定により解散の日から40日以内に総選挙を行い、30日以内に首相選挙を行う「特別国会」を開かなければならない。今回は投票日が9月11日になった。あと2日後だ。だから10月10日までに「特別国会」を開かなければならない。「衆議院議員」は解散により身分を失い、「前議員」となる。日本国憲法では「大臣=閣僚は国会議員の中から半数(過半数)を選出しなければならない」と定められている。但し「内閣(政府)の大臣」だけは首相選出の「特別国会」までは引き続き仕事をしなければならないので身分はそのまま「大臣」となる。解散中に緊急事態が起こった場合は参議院に「緊急集会」を開くよう求める事が出来る。例えば災害発生時の自衛隊の出動や世界的異変に対処する為の「緊急集会」や選挙後の国会開催まで待てない「重要事項の議決」を必要とする場合等は開ける事になっている。過去の例では1,952年~53年に2回開かれている。「中央選挙管理委員会の委員の任命」と「期限切れになる法律」の期間延長を決めた。但し、この例は応急措置的なものなので緊急集会で決めた事でも次期国会を開いた後、「衆議院の同意」を得なければならない。解散される前の継続審議が決まっていた法案でも廃案になる。参議院は解散がないので審査はできそうだが解散後は審査は行わないという「議院運営委員会」の取り決めがあるので審査は出来ない事になっている。尚、関心を持ってきた無党派層、無関心層等(投票に行く人)の為に今回の選挙の仕方の解説をしておく。2つの票のうち1つは小選挙区の「候補者名」を書く。もう1つの票には比例代表用の票で「政党名」を書く。私達の将来が掛かっています。是非、投票に行きましょう。



稲盛和夫氏の哲学「人は何のために生きるか」

2005年09月08日 | Weblog
読解した断章の梗概を以下に連続して提示します。

第二十章 「足るを知る」ことについて

京大の霊長類研究の第一人者の故伊谷純一郎先生の話。・・・チンパンジーの研究のためにアフリカの山に何ヶ月も滞在するらしい。その時の原始狩猟民族の集落での経験した話では狩に出かける時に一族の男が総出で弓矢を手に出かける。誰か一人でも一頭の獲物を捕ると、その日の狩は終わり。集落に帰って獲物を解体して一族で分け合う。仕留めた男が一番いい肉を家族向けに取り血縁の濃い順に親、兄弟・姉妹、義理の親・・・とお裾分けしていく。末端では肉片も小さくなっていく。伊谷先生は「もっと捕ってたらふく食える様にしたらいいのに」と言うと、「いや、村の掟に反する。昔からの慣わしだ。」といったと言う。欲望の赴くままの乱獲は野生動物の減少を招き何れ食糧難になり自滅の道を辿る事になる。彼等は本能的にその事を知っていたのだろう、と。又チンパンジーの社会でも言えるという。普段は木の上の生活だが、たまに地上に降りて来て動物を倒し肉食する。一頭を仕留めると狩を止めて居合わせた全員で肉食する。原始狩猟民族もチンパンジーの社会でも自分が生きる為に欲望を抑え自分を取巻く環境との共生を図る知恵を持っている。アフリカには現在でも原始的な焼畑農業を営む部族がいるが伊谷先生達が立ち寄るとご馳走を出して歓待するという。以前フランスの調査隊が何日間か逗留した時もご馳走を出して歓待したが自分たちの食料が欠乏し食糧難に陥ったという。「何故そんな事をするのか、食料はどの位作っているのか」、と聞くと「一年間食べられる分しか作らない」と言ったという。「それなら訪問者に食べさせたら足りなくなるに決まっている、少し余分に生産したら」と言うと「それはできない。の神様が許さないからだ。」と酋長は答えたそうだ。・・・焼畑農業を営む彼等は肥料を使わずに毎年生産する。例えば10年単位で一定期間そこに住み生産し生活する。又別の土地で焼畑農業を営み生活する。10回位の循環で最初の土地に戻って来る頃には最初の森は鬱蒼とした森林になっている。文明を享受しない原住民の生活の知恵である。森の再生能力を超えて森を焼き払わないのである。今は、ひもじい思いをしても厳格にルールを守り続ける。その原住民の姿に触れ伊谷先生は、いたく感服されたという。「共生」の生き方が遺伝子的に彼等にインプットされ脈々と受け継がれているのであろう、と。森羅万象が未来永劫に生き続けていく為には「足るを知る」事が不可欠である事を原住民の掟からもいえるのではなかろうか、と指摘される。翻って科学が発達し豊かな生活を享受している先進諸国の私達は欲望の赴くままに満たされない現状に不満を抱いて生活している。私たち日本人は、もう十分に豊かになっている。そろそろ「足るを知る」の実践と「共生の思想」を持もって物質的のみならず精神的にも豊な社会を築いていけるはずだ、と伊谷先生の実践と経験から学んだ事を氏の信念として披瀝された。


沖縄那覇首里の「大アカギ」の学術的考察 

2005年09月07日 | Weblog
首里城跡南面にある首里金城町は首里金城町の石畳(琉球王朝時代の武家屋敷地帯で幅4mほどに石を敷き詰めた長さ0.3Kmの舗装道路)で知られています。石畳道から少し離れた内金城嶽境内に現存する6本のアカギは、推定樹齢200~300年、樹高約20m、目通り幹周り4m以上ある樹で、地際の根張りの姿や枝張りなどに独特の迫力があり素晴らしい樹です。アカギは琉球列島に分布するトウダイグサ科の半落葉高木で沖縄では普通に見られる樹木です。第二次世界大戦前までは首里城内及び城外周辺にもこのようなアカギの巨木が成育していましたが、戦争でほとんどが消失してしまい、このような巨木群が人里にみられるのはここだけだそうです。この地は拝所として保護されているほか、大アカギは国の天然記念物に指定されている。アカギはインド、東南アジア、中国、沖縄の熱帯から亜熱帯に分布するトウダイグサ科の半落葉高木。1属1種。大きなものは直径1m、高さ30mに達する。大きな3出葉を互生し、葉柄や主脈は赤みを帯びる。花期は春。雌雄異株で、葉腋に淡黄色の小さな無弁の花が円錐花序をなしてつく。果実は球形で直径1~1.5cm、渋味があるが食べられる。また若葉も食べられる。材はビショップ・ウッド と商業上は呼ばれ、暗赤色の心材は堅くて重く、また湿気に強いので、家具や楽器などの美術材として、紫檀の代りに用いられる。ベトナムや沖縄では並木として植栽される。根や茎の樹皮、葉は薬用にされることがある。
(所在地:沖縄県那覇市首里金城町三丁目{参考資料:那覇市教育委員会}


子供の観た天然記念物「金城町の大アカギ」

2005年09月06日 | Weblog
「古い大木が、いまにも倒れそうだなあ」。その様な感じを受けます。石畳を少し降りて左に曲がった所に大アカギがあります。少し暗くて淋しい所ですが緑で包まれていて、とても良い所です。この大アカギは、高さ15メートル、太さ1メートル40センチもある大きな木です。近くには太さ92センチの、<クワノハエノキ>があります。<アカギ>と<ハエノキ>と合わせて7本もの大木が生えています。この木々は石灰岩の崖の湿った所に生えているので成長が早いのです。この地域のアカギは、およその木の年齢が200年~300年くらいです。戦争が激しかったという、この首里城近くに戦前そのままの植物がよく今まで残っていたものだと、不思議に思いました。樹木の下には<ヤマイモ>、<クワズイモ>、<ノカラムシ>、その他いろいろな植物が生えています。この様な自然を大切に保護し天然記念物に対する考えを、もっともっと、みんなに知ってもらう様に、わたしたちは、努力しなければならないと思いました。昭和47年5月15日に国の天然記念物に指定されました。(6年C子)

金城町の大アカギのように、あらゆる自然界の生物は、きびしい条件の中でも自分たちの種族を絶やさない為に一生懸命に生命の維持をしているのです。わたしたち人間は文化が進んでいくにつれて自然の尊さ、すばらしさを忘れてしまいがちですが、もう少し自然に対する思いやりの気持ちがほしいと思います。(母 B子)

『学習の手引き』・・・このアカギは南方が発生の起源です。タカトウダイ科の仲間に入ります。石灰岩の崖などの湿った所に、よく生えます。沖縄には、ここの他にアカギの群生は、どこにありますか。又その特徴なども調べてみましょう。



稲盛和夫氏の哲学「人は何のために生きるのか」(19)

2005年09月05日 | Weblog
読解した断章の梗概を以下に連続して提示します。

第十九章 「共生と競争について」
狩猟採取の時代は共生の思想を持っていて「愛」がキーワードだという。愛には二つの側面があり「普遍的な愛」と「自己愛」がある、と氏は指摘する。普遍的な愛は自然界から教えてもらった、ともいう。自己愛が肥大化すると他者に害を与える。結局、自己も滅びる。その事は自然から学んだのである。例としては焼畑農業が典型的な例で森林を伐採して農に勤しんだ為、収穫は増えたが土地は疲弊し再生能力を失い収穫量も激減し自滅の道を辿る事になった。この様に自然に「生きること」を通して自然から学び「共生という生き方」を自然に実践する様になったのである。自然界全体を見ると<普遍的な愛>によって共生が存在するが<自己愛>が強くなり過ぎると自滅の道を辿る場合がある。バッタが好例(事例は省略)で自己愛が過大になると、その種は死に絶えてしまう。自然界は元々「普遍的な愛」に包まれている。その為に「共生」が基本となっている。・・・弱肉強食ではなく「適者生存」が自然の掟である。動物界、植物界でも生きるためには必死で競争して食の獲得に奔走する。結果として自己や同属以外を滅亡に追いやる事が発生する。それは自然の掟として最低限の認知事例だという。普遍的な愛の範囲内の出来事で「適者生存」の範疇に入る、と氏は持論を披瀝する。<共生の愛>の結果の一途な生き方の帰結である。動物も植物も生きる為の最低限の食を得る為の行為で、必要な糧しか獲得しないのである。自己の生命維持の為には自己愛は必要不可欠なものである。自己も他者も共に生きる方途を推進するのが共生の本来の在り方である。敷衍して人間社会での企業競争も同じである。自企業も他企業も共に共存するのが自然の掟に適うやり方である。自己の会社の事だけ考えて利益追求のみに狂奔しては、いずれ破滅する。共生という自然の掟に反するからである。顧客、従業員、株主等、会社を取巻く人々が喜んでくれる会社経営に勤しむ事が結果的には社会全体の利益に繋がり会社の発展に繋がる。勤労の結果として得た利益は納税という容で社会に還元し貢献して、初めて役立つのである。一業界のみの護送船団方式の同業者のみが、うまくいっても利益を享受する顧客には害を及ぼす事にもなりかねない。要約すると本来<競争>も<共生>も他者を認め多様性を認めた前提の上に成り立つのである。それで初めて共生も競争も社会全体に繋がり繁栄するのである。




小泉首相への”造反語録”を検証する! 

2005年09月04日 | Weblog
選挙公約は膨大な「政策綱領」をベースに”政権公約”に纏めて公表する。しかも党首討論から各党の政策責任者の討論まで制限された時間内に国民に訴えなければならない。所詮、舌足らずにならざるを得ない。意のままにならないもどかしさから、つい心外なフレーズを頻出する。言葉尻を捕られてマスコミの餌食になる。政策担当者が応答し弁明すると明快な答弁になるのだが・・・。メディアのスクープ性の恰好の材料になる。主なフレーズを挙げてみよう。
●「全国38万人(非常勤パートが10万人以上いるので実質20数万人)の国家公務員が郵便局で仕事をしている。警察官より自衛隊員より多い。こんなにたくなんの公務員でなくては仕事ができないのか」と言うフレーズに・・・メディアの反応は外務省職員数とも比べ郵政民営化が行革の観点から効果的と言いたいのだろうが、身分が公務員という以外、まったく共通点がない業務の比較がどこまで説得力を持つのか?と疑問を呈する。
●「民営化すればすべてばら色のような幻想を与える」と野党は批判する。
●「郵政民営化は経済活性化の手段だ。経済発展なしには戦略的外交も進まない」と言うフレーズには失笑を買った、と言う。(日本記者クラブでの党首討論から)
●「靖国問題がなければ日中はうまくいくとは思っていない」のフレーズには真正面からの回答を回避していると批判する。
●「12月の状況を見ないと分からない」・・・にはイラクの自衛隊派遣の再延長の是非の問いへの答弁に言葉を濁している、と轟々たる非難の集中攻撃。
●「いちいち選挙の争点にするよりも、どういう政権になっても維持できるような制度にしていこうという協議をしっかりするのが大事」のフレーズには国民の関心の高い年金問題を争点にしない態様に野党は論戦を拒んだ、と息巻く。
●「人生いろいろ、会社もいろいろ、候補者もいろいろ、政党もいろいろ」と又しても謝罪をせず再度口にした、と野党は呆れ顔の体。
●「民主党は民間にできることは民間に、と言っておきながら、なぜ郵政民営化に反対するのか」、「一部の公務員の既得権や身分を守ってくれという人に政界が牛耳られてきた」とのフレーズには、得意の民営化に特化していくのが常套手段だと野党は息巻いて攻撃する。その他云々。・・・思うに政権(担当)政党の責任の重さを背負っての詳細・微細な何百時間という膨大な論議を重ねて練り上げた政策に少々の欠陥は有るにしても上記の<迷フレーズ>の数々に明快な名回答が出来るはずがない。日本国民全体の責任を直に背負っている<責任政党>と野党的身軽さで論じるスタンスに国民は凝視して審判を下すはずだ。面白おかしく言葉尻を捉えての批判批評?は評論家や識者を自認する方々に任せておけばよい。類稀に観る非凡さを堅持した小泉首相の政治姿勢、<初志貫徹>に軍配は挙がるものと思う。




小泉流「男の美学」を検証する!

2005年09月03日 | Weblog
マスメディアの威力は絶大である。テレビ受けするパフォーマンスを心得て登場する人と、そうでない方との差は暦然としていて大きい。何れにせよ小泉首相はメディアの使い方がうまい。10の内9が同じで、礼儀としての聴衆の面前での正装の出で立ちで臨み、1人だけラフなクールビズで現れる。どちらに異色性があり近親感が持てるのか・・・人それぞれだとは思うが感覚的・フィーリング的に観るのが大半だと思う<特に無関心層には>。・・・兎に角、聴きたいくらい面白い。話術にも長けていて聴衆を惹きつける魅力がある。他の候補は正攻法で<政策本位>で必死に訴えるが又かと醒めた眼で観てしまい縁故・支持者以外、聞き流してしまい、耳を傾けようとしない。面白くないのである。国民の生活が懸かっている死活の問題に何たる的外れな言辞だと非難されそうだが現代の世相は、そうはみないのである。視聴覚の言動での訴力が全てを制する。小泉流が受けるのも彼独特の奇人、変人を逆手にとりフルに活用しているからである。小泉一流の”男の美学”を如何なく発揮しているのである。小泉劇場とか小泉マジックとか言われているが、むしろ「小泉美学」である。現世相は他とは一風変わったアルファを求めている。時代を先読みし時代を味方にしての最大限の活用を図っているのである。自己を演出する術を心得て今回の選挙に臨んでいる小泉自民内閣の前途は合従連衡の兵どもより一歩秀でている。政界は一歩先は闇、今日の友は明日の敵、昨日の敵は今日の友、カオスの世相を反映した起伏・変転の世界に、どう審判が下るか戦後自民政治の総決算的、今回の選挙は異色ある結果として歴史に刻まれる事であろう。善政、悪政の何れかを担って戦後政治史に刻まれる政治家は小泉首相以外には見当たらない。有り体に言えば<大物政治家>が見当たらないのである。それだけ政治家が大衆化した証左であろう。翻って今回の衆院解散、総選挙を算術的に観ると成立させるべき<法案>を先延ばしにした、その期間を時給にして算出する総金額は莫大になる。750億円(今回の選挙費用)の税金の無駄使い以上の金額になる(某シンクタンクの試算)。そういう眼で観る今回の選挙は現代版「関が原の合戦・決戦」とも準える国民の審判が、どちらに軍配を挙げるのか10日間の成り行きを観つめていきたいと思う。
付則:民主政治が根付いた国家は<政策本位>の政治が本来の姿である。が・・・



ショウ・コスギ氏の”生き方”に賛同・讃辞!

2005年09月02日 | Weblog
昨日9月1日のNHKのテレビを観た。ハリウッド・アクション・スターのショウ・コスギ氏の対談だった。司会との遣り取りのトークで軽快にテンポよく進行した。全体的な印象はポジティブなプラス思考で語る氏の話術に吸い込まれて聞き入った。長年、アメリカ生活をしているだけあって積極思考で情熱的に語られる。聴いていて心地よい。兎に角、夢がある。どんな困難に出会っても夢を捨てるな。ネバーギブアップで突き進め、と信念に裏打ちされた持論を展開された。単身アメリカへ乗り込んで幾多の困難に出会いながらも自己の課題を一つずつ克服し夢への実現に向かって邁進した。日本での大学受験を断念、そして単身渡米、アメリカへ。武道、空手の修行に努め励みながら道場を開き普及にも努める。大学卒業と同時にハリウッドのアクション・スターへの道を一直線に直走る。日本武道のアクションが映画画面いっぱいに展開され不動のアクションスターの地位を得る。ショウ・コスギの名声は一気に高まる。自己の夢の実現の成果である。子育て、教育の在り方等も話題に上り多義に渡り、いよいよ佳境に入る。甲子園優勝校の体罰問題にも触れ氏の教育信念をも披瀝した。曰く。アメとムチの使い分け、どんな状況・場面でアメなのか、どんな状況に遭遇した時にムチなのか、その使い分けが大事だと言う。日本の親御さんは、その事が曖昧だと言う。父が叱れば母は静かに冷静に見守る。・・・経験や体験に裏打ちされた開陳には説得力がある。視聴者の反応も良く、全国から賛同の電話が局に殺到した。教育や子育てに悩む日本の現実を観る思いがして胸が痛む。ショウ・コスギ氏の明快な回答と心地よいテンポの応答に視聴者は賛同したのだろう。圧巻はガン患者への対応・姿勢だった。ガンを忘れるくらいに一番やりたい事、好きな事に熱中する事。明るくポジティブに一途に取り組む事。ガンに罹っている暇なんかない、と思う位に熱中する事だと言う。明るい展望ある言辞に勇気づけられた事であろう。私も視聴しながら賛同したし讃辞を送りたい衝動に駆られ雑文をしたためた次第である。


党首討論を拝聴しての率直な感想!

2005年09月01日 | Weblog
率直な感想を述べたいと思う。政権政党として任せられない野党及び脱党・新党組の論調に疑問を呈したいし辟易もした。予想された事ではあるが十年一日の如く同じ論旨論調である。曰く。100パーセント反対、と陳述する。百害あって一利なし、と公言する。苟も選挙で選出された公僕が国民の為にならない百害を政権公約するとは考え難い。プライオリティが本末転倒しているとか、もっと優先すべき最重要な政策があるのではないのか、との論調だったら理解できる。真っ向から完全反対のオンパレードか反論、陳述では視聴者が困惑する。政策争点が年金、税制、医療、社会保障等と全般に及んでの論争を何故しないのか、――国民のアンケートでの結果でも年金が筆頭で「郵政民営化」は4位である。何故に「郵政民営化」一本に絞るのか、国民の切実な問題に耳を貸していない、との反対の論旨である。どの問題一つを取っても国民には切実な問題ばかりである、と言う。・・・自民・公明党以外の野党等の言い分も理解できる、が民主党、社民党、共産党、国民新党、新党日本、大地、無所属等は、どの党も総花的で政策の羅列としか思えない。政策の論点・焦点が、はっきりしない。外交、拉致問題も含めて総花的でありすぎる。マニフェストたる政権公約なるものを掲げるなら最重点政策は、これとこれであるとか、この一点だけは是非、実現したい、とかと示してくれたら判りやすい。今回は、どう観ても考えても「郵政民営化」一本に絞った小泉に勝ち目がある。白か黒か、どっちなのか、との問いかけに分かりやすさを感じる。ある識者は小泉劇場とか小泉マジックに罹った、と表現する。髪を振り乱してのクールビズの出で立ちの演説も功を奏している。好感の持てる演出もボディートークも庶民的で近親感がある。感覚的、ムード的な一面もあるが観ての感じや声質にも大いに左右される。生真面目一本では通用しない等、と知るべきである。先だっての米国の大統領選での先例がある事も承知のはずだ。・・・重要政策課題は郵政民営化以外にも山積しているので他の政策も考えるべきだとの本筋論をいうが、あの無関心層が関心を持ち始めた事を考え合わせるとインセンティブが那辺(奈辺)にあるのかも一考したい、と思うのだが、どうだろうか。政策論議だけでは最早、振り向いてくれない時勢である。・・・