世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

稲盛和夫氏の哲学「人は何のために生きるのか」(19)

2005年09月05日 | Weblog
読解した断章の梗概を以下に連続して提示します。

第十九章 「共生と競争について」
狩猟採取の時代は共生の思想を持っていて「愛」がキーワードだという。愛には二つの側面があり「普遍的な愛」と「自己愛」がある、と氏は指摘する。普遍的な愛は自然界から教えてもらった、ともいう。自己愛が肥大化すると他者に害を与える。結局、自己も滅びる。その事は自然から学んだのである。例としては焼畑農業が典型的な例で森林を伐採して農に勤しんだ為、収穫は増えたが土地は疲弊し再生能力を失い収穫量も激減し自滅の道を辿る事になった。この様に自然に「生きること」を通して自然から学び「共生という生き方」を自然に実践する様になったのである。自然界全体を見ると<普遍的な愛>によって共生が存在するが<自己愛>が強くなり過ぎると自滅の道を辿る場合がある。バッタが好例(事例は省略)で自己愛が過大になると、その種は死に絶えてしまう。自然界は元々「普遍的な愛」に包まれている。その為に「共生」が基本となっている。・・・弱肉強食ではなく「適者生存」が自然の掟である。動物界、植物界でも生きるためには必死で競争して食の獲得に奔走する。結果として自己や同属以外を滅亡に追いやる事が発生する。それは自然の掟として最低限の認知事例だという。普遍的な愛の範囲内の出来事で「適者生存」の範疇に入る、と氏は持論を披瀝する。<共生の愛>の結果の一途な生き方の帰結である。動物も植物も生きる為の最低限の食を得る為の行為で、必要な糧しか獲得しないのである。自己の生命維持の為には自己愛は必要不可欠なものである。自己も他者も共に生きる方途を推進するのが共生の本来の在り方である。敷衍して人間社会での企業競争も同じである。自企業も他企業も共に共存するのが自然の掟に適うやり方である。自己の会社の事だけ考えて利益追求のみに狂奔しては、いずれ破滅する。共生という自然の掟に反するからである。顧客、従業員、株主等、会社を取巻く人々が喜んでくれる会社経営に勤しむ事が結果的には社会全体の利益に繋がり会社の発展に繋がる。勤労の結果として得た利益は納税という容で社会に還元し貢献して、初めて役立つのである。一業界のみの護送船団方式の同業者のみが、うまくいっても利益を享受する顧客には害を及ぼす事にもなりかねない。要約すると本来<競争>も<共生>も他者を認め多様性を認めた前提の上に成り立つのである。それで初めて共生も競争も社会全体に繋がり繁栄するのである。




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