フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月24日(日) 小雨のち曇り

2016-04-25 01:52:25 | Weblog

8時半、起床。

朝食前にDVDを「TSUTAYA」に返却に行く。

パチスロ店の前に開店を待つ人の列が出来ている。開店直後に入った方が有利なことがあるんだうが、日曜日の午前中から「勤勉な」人たちであるといつも感心する。皮肉を言っているのではない。遊ぶのも本気でやらないと面白くないのだと思う。

トースト、目玉焼き、ウィンナーソーセージ、サラダ、紅茶の朝食。午前10時のブランチ的朝食だ。

 遅い昼食はインスタントラーメン。「phono kafe」で購入した玄米ラーメン(味噌味)。

夕方、ちょっと散歩に出る。すでに雨は上がっている。

駅前広場のこの大きな木は雀たちの止まり木になっている。

西口の駅前のメインの商店街は「サンライズカマタ」だが、その横にあるのがサブの商店街「サンロードカマタ」だ。「日の出」と「赤道」。

「テラス・ドルチェ」はサンロードカマタにある。

ブレンドコーヒーを注文。テーブルはほとんど空席だが、ついさっきまで客がいたのだろう、コーヒーカップやお皿が片付けられないまま置かれている。日曜日の午後6時のカフェの光景だ。

帰宅途中に「phono kafe」に電話をして、マフィンが残っているかどうか尋ねる。残っていれば夕食のデザート用にテイクアウトするつもりだったのだが、売り切れだった。残念だが、お店のためにはよいことである。

夕食はハンバーグ。

キノコと和風デミグラスソース。

『ゆとりですがなにか』第2話(録画)を観る。今期のドラマではこれが一番。

2時、就寝。


4月23日(土) 晴れ

2016-04-24 09:09:04 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ(鶏のササミ)、紅茶の朝食。

雑草の中から突然(気づかなかっただけだが)高層ビルのような雑草が伸びてきた。

昼食は妻と「phono kafe」に食べに行く。一度、電話をしたときは満席だったのだが、少しして、ダメもとで覗いてみたらちょうどテーブルが1つ空いていた。

空いた席には森のクーナがいた。私が里子に出した二人だ。すっかり「phono kafe」の子になったようだな。

私はおにぎりセット、妻はご飯セットを注文。

薩摩芋のきな粉サラダ(左) ごぼうのフリット(右)

ごぼうのフリット(左) ベジミートの唐揚げ(右)

揚げ茄子とプチトマトと新玉ねぎの柚子酢サラダ

丘ひじきと長ひじきの胡桃ソース

「phono kafe」を出て、妻は買い物、私は「あるす」へコーヒーを飲みに行く。 

ヒナゲシの咲く遊歩道。

すでに花びらを落としたものも目立つ。

ケシの花のクローズアップ。

雑草のクローズアップ。

普段と違う倍率で見ると(脱現実)、草間彌生的なシュールな世界が広がっている。

「あるす」に行く前に花屋に寄って行く。

さまざまな紫陽花の品種が並んでいる。

これも紫陽花ですか?

はい、「ダンス・パーティー」という品種で、人気があるんですよ。

これをください。

昨日は「あるす」のマダムの誕生日だった。花は誕生日のプレゼント。

75歳のお誕生日おめでとうございます。4月22日は「よい夫婦」の日ですね。

ご主人の誕生日は11月27日。私の妻の誕生日の一日前である。次の誕生日で83歳になられる。

それにしてもこの「ダンス・パーティー」、紫陽花とは思えない花ですね。

梅雨の季節を代表する花に「ダンス・パーティー」とは素敵な名前だ。人生は雨の上がるのを待つためにあるのではない。雨の中で踊れ。

モカを注文。

おつまみをサービスしていただく。

庭の花を瓶に差してテーブルにもってきてくださった。黄色いのは山吹ですね。

コーヒーを飲み干すと紅茶を供された。ありがとうございます。

穏やかな口調で話すお二人を見ていると気分が落ち着く。ここでは時間がゆっくりと流れている。

しかし、いかにゆっくりであれ、時間が止まっているわけではない以上、遠からずこの穏やかな世界にも終わりが訪れるだろう。

そして私は今日のこの穏やかなひとときを思い出すことだろう。

さて、そろそろ失礼するとしよう。

どうぞお元気で。また来ます。

夕食は焼き魚(かます)、玉ねぎと卵の味噌汁、サラダ、ご飯。

とろろ汁。

空豆。

私は空豆は皮の付いたまま食べるが、妻は皮は残す。お互い自分が正統派だと思って譲らない。

深夜、映画『岸辺の旅』をDVDで観る。3年前に失踪した夫(浅野忠信)が妻(深津絵里)の元に帰って来る。しかし彼はすでに死んでいるのだ。夫は妻にその事実を告げ、二人で旅に出ようと言う。それはこの3年間、彼が妻の元に帰り着くまでに、立ち寄って、しばらく滞在した町を再訪し、お世話になった人たちにもう一度会う旅だった。ある町では彼は新聞販売店で働いていた。規則正しい生活はいいよと夫は言う。また別の町では彼は中華料理店で働いていた。手先が器用で餃子作りが上手だった。ある村では彼は村の子供たちの勉強を見てやったり、大人たちに相対性理論の話をしたりしていた。妻は夫の知らなかった一面を知ることになる。同時に、妻は夫に見せなかった一面を見せることにもなる。そういう不思議で魅力的な物語。

3時、就寝。


4月22日(金) 晴れ

2016-04-23 10:52:32 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ、紅茶の朝食。

お昼に家を出る。

昼食はメキシコ家庭料理の「ハリスコ」で。メキシコ人の母親(マリアさん)と日本人の夫との間に生れた娘さん(エリさん)の二人でやっている店である。「お久しぶりですね」とエリさんに挨拶される。エリさんとは10日ほど前に「phono kafe」で顔を合わせているのだが、お店に来るのは半年ぶりくらいだろうか。

四元豚と野菜のソテーとメキシカンライス。

エリさんは今日はお店が終わったら、久しぶりに「まやんち」へ行ってみようと思っているんですと楽しそうに話していた。それを聞いていたら私も「まやんち」へ行きたくなった。

というわけで食後に「まやんち」で一服。苺のロールケーキとポットの紅茶(東方美人)を注文。 

苺のロールケーキも桜スイーツも間もなく終了。次の季節限定メニューはなんですかとカナさんに尋ねたら、店主のまゆみさんがわざわざテーブルまでやってきてくれて、スマホの写真を見せながら、説明してくださった。まだお店のブログで発表されていないので、詳しいことは書けないが、初登場のお菓子もあるようで、楽しみである。

大学へ。

東京駅の地下改札付近はちょっとポストモダン的だ。

三井住友海上の広告。「初めて、という不安。ここから始まる、という希望」。この春卒業した彼らは「社会人」になじめているだろうか。

キャンパスのスロープの脇の空き地に植えられたツツジがこれから見頃を迎えるだろう。

伊藤比呂美さんのワークショップが5月13日(金)の午後にあるのか。面白そうである。

5限はゼミ。4年生(4名)のゼミ論のテーマの発表。3年生のGW明けからのテキスト講読・報告のグループ分けも行う。

6限(7限も)は高田馬場の韓国料理の店でゼミのコンパ。

昼はメキシコ料理、夜は韓国料理と辛辛の一日だ。

参加者は4年生15名(3名欠席)、3年生19名(全員)。

 

私は全員の名前をすでに覚えたが、学生同士はまだまだのようである。だから教室でもコンパの席でも名札を胸い付けている。早く名札が必要でなくなるようにしてください。

私は3年生がいるあたりに座って、彼女らの恋バナに耳を傾けたが、ここでも二極化という現象が観察された(笑)。

 

GW明けからゼミは本格的に始動します。

11時、帰宅。

武蔵村山さんは昨日のブログをご覧になったようで、メールをいただいた。鶴見から国立の方へ引っ越されたとのこと。国立、いい街じゃなですか。私は知り合いの画家さんの個展や一橋大学に用事あってたまに行きます。国立でおすすめのカフェといえば、「無伴奏」と「ロージナ茶房」でしょうね。いずれそこでお会いする機会もあるかもしれませんね。お時間があるようでしたら、どうぞ蒲田へもお越しください。


4月21日(木) 曇りのち雨

2016-04-22 12:09:17 | Weblog

7時半、起床。

トースト、炒り卵、サラダ、紅茶の朝食。

囲碁の井山裕太6冠が挑戦中の十段戦5番勝負に3-1で勝ち、7冠を達成した。将棋界では1996年に羽生善治が7冠を達成したことがあるが、囲碁界では初である。すべてのタイトルを同年度に手中に収めるためには抜きんでた実力の持主であるということだけでは不十分で、強靱な体力と精神力が求められる。1つのタイトル戦は5番勝負ないしは7番勝負で、一局と一局の間隔は一週間程度で、かつタイトル戦同士が同時期にできるだけ重ならないように配慮されているから、7つのタイトルは一年間に隙間なく配置されることになる。つまり7冠を制覇しようとする者は常に大きな緊張感の中で一年を送ることになるわけである。これはもう人間業とは思えない。

9時半に家を出て、大学へ。

2限は院生の研究指導。

昼食はおにぎり2個。

3限は大学院の演習。Sさんが中国に帰省したときのお土産をみんなでいただく。受講生6名中4名は中国からの留学生であるから、彼らにはおなじみのお菓子だが、私は初めて食べた。

今日、初めて知って驚いたのだが、中国の小学校には図書室というものがないそうである。中学も高校も同様であったという。4人がそういうのだからそれが普通なのだろう。街中の図書館の数もきわめて少ないそうである。では、本は身銭を切って買わないとならないわけ?と尋ねたら、そもそも読書の習慣がなかったとのこと。学校の勉強が忙しくて読書(教科書以外のもの)をしている時間はなかったそうである。読書だけでなく、スポーツや趣味の時間もなかたったそうである(学校の体育や音楽や美術の時間は数学などの時間に回されることが常だった)。恋愛をしている時間もなかった(そもそろ恋愛は禁止事項であったという。芸能人みたいだ)。だから大学に入ってから自由を満喫しているという。そ、そうだったのか。

演習が終わってみんなが去ったあとのテーブルの上。カルガモの親子の散歩のようである。

同僚の村松先生から新著をいただいた。どうもありがとうございます。

村松聡・松島哲久・盛永審晋一郎編『教養としての生命倫理』(丸善出版)

5限は講義「日常生活の社会学」。

6時半に大学を出る。雨が降っている。

7時半、帰宅。

夕食は親子丼。

デザートは「爽」の新作「メロンソーダフロート味」。

これは美味しい!

TVドラマ『早子先生、結婚するって本当ですか?』の第一話を観る。本当は先週から始まる予定だったのだが、大地震のため放送が延期になっていたのである。主演は松下奈緒。34歳の独身の小学校教師。実家の豆腐屋で両親と3人暮らしという設定である。とくに独身主義ということではなくて、気付いたらこの年齢になっていたということである。現状にとくに不満はないが(それが幸せというものだろうと思っている)、ときにふと淋しくなることもある。ちょっとした成り行きから同僚の独身の女性教師たちと「婚活同盟」を結成することになるが、なにがなんでもいうスタンスではないいう。もしかしたら途中から運命の人が出現するのかもしれないが、配役の中に彼女のお相手になるような男優は見当たらない。「幸福」=「結婚」とい固定観念からある程度自由になることが作品のコンセプトなのかもしれない。松下奈緒は初のショートカットである。

「パン日和あをや」の奥様からメールが届き、今日来たお客様からの伝言(メモ)をお預かりしていますとのこと。どうやら蒲田の歯科医院で歯科衛生士をされていた武蔵村山さん(仮名)のようである。お元気にしているだろうか。私のアドレスがわからなかったらしいが、もしこのブログをご覧になっているなら、「プロフィール」欄にアドレスは書いてありますよ。


4月20日(水) 晴れ

2016-04-21 08:58:40 | Weblog

9時、起床。寝坊した。

トースト、サラダ(鶏のササミ)、紅茶の朝食。

9時半に家を出て、大学へ。

10時半から大学院社会学コース会議。

会議は昼過ぎに終わり、昼食は「たかはし」に食べに行く。

台形をした大きなテーブルの岬の突端のような場所に座る。チューリップの「岬めぐり」を口ずさむ(嘘です)。

カツオの刺身定食を注文。

戻りカツオの方が脂がのって美味しいという人もいるが、私は初鰹の方が好きだ。

同僚の小沼先生から新著をいただく。ありがとうございます。

 小沼純一『音楽に自然を聴く』(平凡社新書)

研究室に戻って雑用をしていると、事務所のNさんがやってきて、お八つのおすそ分けをいただいた。音羽の「群林堂」の豆大福である。これ、午前中に行って並ばないと買えないものである。どうもありがとうございます。

2時から教授会。

5時半頃に終わり、研究室に戻って、さきほど豆大福と一緒にいただいた柏餅を食べる。

6時半に大学を出る。

JRのどこかでトラブルがあったらしく蒲田に着くまで時間がかかった。

「有隣堂」でNHKの短歌と俳句のテキスト(5月号)を購入。

 ここで一緒に死ぬかもしれぬ電車の中少し離れて一人知り人がゐる  小見山輝

8時、帰宅。

夕食は肉野菜炒め。

人参が黒いのは焦がしたわけではなくて、そういう種類の人参なのである。(と書いておくようにと妻が言う)

食後に小さなパウンドケーキと紅茶。 

TVドラマ『ゆとりですがなにか』の第一話(録画)を観る。「「ゆとり世代」の定義には諸説あるが、ドラマでは1987年生まれ(今年29歳になる)の3人の主人公が「ゆとり第一世代」と呼ばれていて、その特徴として、「野心がない」「競争意識がない」「協調性がない」の3つが挙げられている。「いまどきの若者は・・・」と大人が若者を批判するときの物言いの現代版である。3つの特徴は連動している。野心は志とか夢とかと言い換えることができるが、希少な社会的資源(金、地位、権力、名声・・・)を得ようとすれば必ず競争が生じる。これは個人間の競争だけでなく集団間の競争(闘争)にもあてはまるわけで、集団間の競争(闘争)に集団が勝つためには集団内の団結が求められる。しかし、野心に乏しい人間は、競争心が乏しくなるし、集団的競争状態への協調性も乏しくなる。若者が野心に乏しいとすれば、それは野心的に生きている大人たちが魅力的に見えないからである。だからそういう大人たちから「おまえたちには野心が乏しい」と批判されても「あなたたちのようにはなりたくないのだ」と思っている若者には効果がないのである。「ゆとりですがなにか?」というのはそういう切り返しの台詞である。もっとも主人公たち「ゆとり第一世代」にはそれ以前の世代のメンタリティーもいくらかは残存しているわけで、「ゆとりですがなにか?」とスパッと切り返すことができないところがある。そういうモヤモヤした思いを抱えた若者たちの物語。ちなみに私の世代(熱い団塊の世代のすぐ後の世代)は世間から「しらけ世代」と呼ばれていましたね。