フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月28日(木) 曇り

2016-04-29 01:58:10 | Weblog

7時、起床。

トースト、サラダ、紅茶の朝食。

9時半に家を出て、大学へ。

「今日一日働けばGWだ」と日本中の多くのサラリーマンが思っているに違いない。ホームや電車の中の人びとの表情がいつよもり明るくゆとりがあるように見える。GWが毎月あればいいのにと思う。ゆとりですが、なにか?

2限は院生の研究指導。先週に続いてD1のS君の報告を聞いてディスカッション。

昼食はコンビニおにぎり2個とフリーズドライの味噌汁(茄子と葱)。食事をしながらコースナビに提出されている基礎講義(1年生用のオンデマンド授業)のレビューシートに目をとおしてコメントを返す。

3限は大学院の演習。M2の2名が就活のため欠席。いよいよそういう時期になってきたようである。

4限は学生の面談を一件。

5限は講義「日常生活の社会学」。私もそうだが、受講生の多くもこの授業が連休前の最後の授業である。和やかな雰囲気で授業は進行し、ニコニコしながら終了する。みなさん、よいGWを!

河野憲一さんから新著『自明性と社会 社会的なるものはいかにして可能か』(晃洋書房)を頂戴する。博士論文を本にしたものである。

本書は「社会はいかにして可能か」という問いをめぐる考察である。この問いは普通には「秩序問題」として理解されることが多い。実際、私も「日常生活の社会学」という社会学入門的な講義ではそういうものとして取り上げている。すなわち「社会とは人々の相互作用である」と「社会」を定義した上で、「なぜ人々の相互作用がある程度の安定性をもって持続可能なのか」という問いに変換され、「それは相互作用がデタラメに行われているわけではなく、人々が共有している一定のルール(社会規範)に従って行われているからである」というような説明が与えられて、一段落する。しかし、本書はそういう立場をとらない。

「「社会はいかにして可能か」という問いは、永らく社会学の根本問題だとみなされてきた。だが、その十分な回答は、いまだに提示されていない。「社会はいかにして可能か」が難問であるのは、これが何を明らかにすべき問いであるのか、その核心を掴むことが、じつは容易ではないからである。この問いが、「社会」を主題とする問いであることはたしかだろう。だが、この問いでは、「社会」の定義が単純に問われているわけではない。そして、そこで主題となっている「社会」は、常識的に誰もが知っている意味での社会と精確に対応するわけではない。また、この問いは、「社会秩序」(あるいは「相互作用秩序」)の成立を問う、いわゆる「秩序問題」に連なる問題系とも、或る意味で決定的に異なる。」(1頁)

どう決定的に異なるのか?

「「社会はいかにして可能か」という問いは、この問いに取り組む社会学者が、「社会とは何か」をすでに知っている立場を採り、そこに足場を固めるとき、いわば逆説的に、解くことができない難問となる構造をもっている。というのも、この「問い」は「社会」と名付けられる以前にすでに生成しており、なおかつ、事後的に「社会」として認識されるような、そうした「何か」があるという洞察を要石とする問いだからである。この「何か」が有する、いま述べた独特の両義性にかんする「論件」は、「社会とは何か」をすでに知っているという立場から探究を進めるとき、手元からすり抜けてしまうことになる。そしてこのとき、「社会はいかにして可能か」という問いは、その問いの核心を掴むことができない難問と化してしまう。のちの議論を先取りしていえば、「社会はいかにして可能か」という問いは、「社会」の生成の位相と「社会」の認識の位相とを自覚的に区別したうえで、前述の「何か」そのものにまなざしを向けることができるようになったときに、はじめてその問いの核心を把握することが可能となるのである。」(1ー2頁)

「何か」そのものにまなざしを向けることはいかにして可能なのか? 本書の全体がそれが可能であることの証明になっているわけだが、それは予想されるほど難解なものではない。難解になりすぎないように著者はずいぶんと工夫をしている。私はそのことに感心した。「はじめに」の最後で著者は「本書の読者への覚書」というものを示している。

「本書の意図は、「社会」という現象の基底を根本的に問い直すような探究を提示し、翻って、ひとりでも多くの方とともに、「社会」について考え続ける道を歩んでいくことにある。それゆえ、社会学の初学者や専門家ではない読者が、身のまわりの「社会」について自ら問いながら考えていくうえでも、社会学の専門家が社会現象に真にアプローチするうえでも、ともに役立てるように書いているつもりである。」(V)

実際、本書の随所に見られる抽象的議論を具体的な例で補完する手法は著者がいろいろな大学(学生のレベルもさまざま)で授業を担当するなかで身に着けたものであろう。同業者としてこのあたりの苦労や工夫はよくわかる。

8時ごろ、帰宅。

夕食はお刺身。

授業の準備をせずに(する必要がなく)夕食後の時間を送れるのはありがたい。

2時、就寝。

この記事についてブログを書く
« 4月27日(水) 曇り | トップ | 4月29日(金) 晴れ »