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哀悼…

2013-10-25 17:16:30 | Weblog

前壬生町議会議員の粂川清氏の葬儀告別式に参列しました。

20日、突然体調不良を訴えられ、治療を施す間もなく、脳梗塞で亡くなったと聞きました。享年64。数年前に奥様を亡くされ、前回の町議選には出馬することなく、そののちは7町歩の畑を一人で耕しながら、ご母堂の世話をされていたそうです。早すぎる死に、弔問された方々の悲しみは深く、隣の席の男性は「清さんは助谷(すけがい地区)の抑えだったのに。まったく残念だぁ」と呻くように心中を吐露していました。

粂川氏は、平成6年の壬生町議選に初当選し、同10年は不出馬、同14年の私の初当選の際に再選を果たし、「民主クラブ」の先輩として8年間指導を戴きました。野党最大会派にありながら、時に与党会派に正論で対峙する、交渉力の高さが際立っていました。総務常任委員長や議会広報委員長も歴任され、皆から信頼されていました。

「彼は、一本木だったよね」――。近くに座った粂川氏の同級生=共産党所属の先輩議員がもらした言葉です。時に必要な狡猾さはみじんもなく、「オレがオレが」の空気に翻弄されることもあったのもしれません。早すぎた勇退で政治とは関わらなくなった以降も、幾度となく相談をもちかけましたが、「俺は、政治はもう」と静かにほほ笑むだけでした。

実は、粂川氏とは遠縁にあたり、やはり血縁のある方から「おちあいさんの後援会長に、清さんを迎えては」との提案を戴いていました。11月4日の伯父=田中義一の13回忌の時に正式にお願いするべく、準備を進めていました。が、従妹である伯父の長女から、「清さんから参列の返事が来ていた」と聞いた矢先の訃報になってしまいました。

「おちあいさん、だから俺は政治はもうやらねぇって言っただろう」――。氏の声が聞こえてきそうです。でも、若い頃から政治闘争にかかわっていた方なので、きっと心の奥底に無念を抱えていたことと、いま勝手に思っています。

清さんに負けないくらいの一本木で、頑張っていくしかありません。


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