壬生の政局やいかに…

真の民主主義町政を求めて…

ポジネガマン

2013-10-29 21:52:09 | Weblog

今日の朝日新聞の「リレーオピニオン」の欄に、元郵政・金融相の亀井静香が「掟に従えば、いい政治家か」という主張をされていました。

「親が政治をやってたから自分もやるとか、当選できそうだから立候補するとか、俺のように困難な選挙に挑み、石にかじりついて出てきたんじゃないから、使命感も覚悟もない。小選挙区制なのでなおさら悪評を恐れ、きれいなことばかり言う政治になっている」。――その通り、です。

今日、あいさつ回りをしていると、象徴的な3つの反応が。

あるお宅の奥さんは、「(票を入れてくれと)頼む時だけ頼んで、コッチが何か頼んでも、何もしてくれないしょう」。う~ん、この方と会うのは初めてで、何か頼まれた覚えもないいんだけど…。高ぶる気持ちを抑えるように「皆さんから戴いている税金で行われる様々な事業――予算決算審議など、真剣に我々議員は臨んでいるはずですけど」と話すと、「アンタたちは、給料もらってやってんでしょう!当たり前じゃない!!」とイラついた様子。これ以上はムリなので、ドロンしました。

とあるお宅の旦那さんは、「おちあいさん、わざわざ来てくれたの!後援会の案内はもってきてくれた!?」。ありがたい話です。

そして、今日もそろそろアガリかな、そんな時間帯でした。新しい住宅地のとある一軒のドアフォンを鳴らすと、若い奥さんがわざわざ出てきてくれました。「おちあいさん、学童保育について、少し聞いていいですか。確か壬生町は、“子育て環境日本一”と言っていますよね」。こののちしばし、行政相談の時間となりました。

このように、時に無力感に陥り、時に使命感に燃え…。ポジティブとネカティブの、果てしない螺旋が続いています。

だからこそ、亀井氏のおっしゃるように、石にかじりつくしかない、どうもそれに尽きるようです。

 

 

 


終らない歌を歌おう、クソッタレの世界のため

2013-10-27 22:14:05 | Weblog

ブルーハーツの名曲のAメロから、なぜか…。

今日、第27回壬生町健康ふくしまつりが開催され、開会式出席のあと私が副隊長を務める、東日本大震災ボランティア『頑張り隊』の活動写真展に向かいました。

ギャラリーを呼び込むにあたり、受け付けの机が邪魔だったり、奥行きが深すぎたり…。会場を設定戴いた先輩方は、2~3の模擬店の準備に奔走していたらしく、あまり細々としたことは言えない状況で。

食べ物を置いていない、それゆえギャラリーのくいつきもイマイチでしたが、ポツポツとほかのブースから流れて来る方もいらっしゃいました。そんななか、2~3のおもに女性の方々から、こんな感想を。

「震災からな時間が経っているから、もうすでに結構、復興が進んでいたんだと思っていたけど、写真を見る限り、まだまだだということが、よく解りました」。

――そう、まだまだなんです。

震災は、民主党政権化で起こりました。当時は308の衆院議席を有し、「オレが復興をリードする」みたいな輩が跋扈していました。しかし、政権から転げ落ちた今、震災に言及する元&現国政議員がどれほどいるのか…。

実権をもたないから仕方がないのではなく、少なくも、安倍自民党政権の「震災風化」的な空気感に、異議を申し述べなくては。“共助”の理念から甚だしく離れた、その鼻っ柱を、強く折るべき時に近づいているように、私は思います。

終らない歌を、震災から2年半の今だからこそ、声高らかに歌うべきです。3.11を忘れてしまおうとする、クソッタレの世界のために。

 


哀悼…

2013-10-25 17:16:30 | Weblog

前壬生町議会議員の粂川清氏の葬儀告別式に参列しました。

20日、突然体調不良を訴えられ、治療を施す間もなく、脳梗塞で亡くなったと聞きました。享年64。数年前に奥様を亡くされ、前回の町議選には出馬することなく、そののちは7町歩の畑を一人で耕しながら、ご母堂の世話をされていたそうです。早すぎる死に、弔問された方々の悲しみは深く、隣の席の男性は「清さんは助谷(すけがい地区)の抑えだったのに。まったく残念だぁ」と呻くように心中を吐露していました。

粂川氏は、平成6年の壬生町議選に初当選し、同10年は不出馬、同14年の私の初当選の際に再選を果たし、「民主クラブ」の先輩として8年間指導を戴きました。野党最大会派にありながら、時に与党会派に正論で対峙する、交渉力の高さが際立っていました。総務常任委員長や議会広報委員長も歴任され、皆から信頼されていました。

「彼は、一本木だったよね」――。近くに座った粂川氏の同級生=共産党所属の先輩議員がもらした言葉です。時に必要な狡猾さはみじんもなく、「オレがオレが」の空気に翻弄されることもあったのもしれません。早すぎた勇退で政治とは関わらなくなった以降も、幾度となく相談をもちかけましたが、「俺は、政治はもう」と静かにほほ笑むだけでした。

実は、粂川氏とは遠縁にあたり、やはり血縁のある方から「おちあいさんの後援会長に、清さんを迎えては」との提案を戴いていました。11月4日の伯父=田中義一の13回忌の時に正式にお願いするべく、準備を進めていました。が、従妹である伯父の長女から、「清さんから参列の返事が来ていた」と聞いた矢先の訃報になってしまいました。

「おちあいさん、だから俺は政治はもうやらねぇって言っただろう」――。氏の声が聞こえてきそうです。でも、若い頃から政治闘争にかかわっていた方なので、きっと心の奥底に無念を抱えていたことと、いま勝手に思っています。

清さんに負けないくらいの一本木で、頑張っていくしかありません。


明日、公認申請を

2013-10-22 22:47:36 | Weblog

明日開催される民主党栃木県連選対委員会(委員は各総支部幹事長)出席にあたり、第4区総支部長=谷博之氏宛てに自身の公認申請書を提出する予定です。承認されれば、翌日の幹事会の議題として上程されることになります。

2014年3月23日執行の壬生町議議員選挙に対し周辺からは、「今回は無所属で」「せめて推薦程度に」との声が交錯しました。昨年末の総選挙&この夏の参院選の大敗、そしてその後の様々な問題等、まっとうに考えれば、公認は得策ではないかも知れません。巨大与党となった自民党の地方議員でさえ、党籍を担っての選挙戦の事例は少ないはずです。

しかし前にも言及した通り、それが自分の最大限の“特徴”である以上、そこを隠す必要が果たしてあるのか…。

地方議員だった女性が縁の薄い土地で国政選挙の候補者になり、コツコツと地盤を築き上げてきた現職を優に超す票を獲る――それがひょっとしたら彼女の“特徴”だとしても、所詮は落下傘、風が吹かなければ上空を浮遊し、そのたまま最後はどこかに行ってしまう可能もないわけではありません。

前回は、当時の4区総支部サイドの意向が色濃く働き、“公認”の形になったような。でも今回は、自分で決めた結論です。

「今後民主党の選挙は、一切やらない」とうそぶく輩がいると聞いています。選対委員の立場としては、歯牙にもかけたくない話です。

それよりもなによりも、強く生き残るための“公認”に賭けてみたいと思います。

 

 

 


大会&ボランティア

2013-10-19 22:51:12 | Weblog

某自動車メーカーの、CMみたいです。あまり若くもない市長が「ラブ&ジーンズ」とポーズをキメる様は、それほどキマっていませんが…。

明日は、お世話戴いているUAゼンセン栃木県支部の、第2回の定期大会です。今回は同政治顧問の立場にとどまらず、私の拙い思いを披露させて戴く、わずかながら時間を設けて戴いています。

そして明後日、先日に引き続き、宮城県名取市閖上地区において遺品捜索を。11月からの再開発に向け、捜索も最終段階に入っていきます。

大会&ボランティア――やはり2年前、UIゼンセン同盟としての最後の大会の翌日、震災から半年余りの石巻市尾崎地区をボランティアで訪れました。9月に続き、2度目のボランティアでした。大会のあと帰宅し仮眠、そして乗り込んだバスの中で現地まで熟睡…。

当時は30人乗りのバスに7~8人でしたが、次回はそうもいきません。たぶん、20~25人になると思います。

ジェームス三木氏曰く、「あなたたち議員は、問題解決能力に長けていなければいけない」。

――少なくも自分自身が問題の火種にならぬよう頑張ってみます。


なぜ“既得権益”なのか…

2013-10-18 21:57:43 | Weblog

先日、UA ゼンセン・ヤングリーブス栃木の皆さんと、JR 宇都宮駅頭にて、拉致被害者救出のための署名&募金活動を展開しました。

縁の深い松本京子さん(失踪当時尾崎商事労働組合米子支部労働組合)&大政由美さん(東レ労働組合愛媛支部OB大政峰男さん長女)はじめ、被害者全員の一刻も早い帰国に向け協力を呼び掛けました。目標にはわずかに届かなかったものの、道行く皆さんの関心は高く、手応えを感じることが出来ました。

政界再編の動きのなかで、パートナーと目される「みんなの党」&「維新の会」の一部との連携の模索が囁かれています。民主党においては、執行部のそれほどの締め付けはなさそうですが、私としては“サイレント・マイノリティー”に埋没したくはないと思っています。

がやはり気になるのは、ほか2つが「連合の支援を受けている民主党云々」という下りです。

政権党でいた当時の民主党の一面をネガティブに揶揄する、今はそんな場合ではないことは火を見るより明かです。2派の幹事長クラスの方々は、過去に民主党に籍を置き、連合の仲間から少なからず支援を受けていたハズです。それを“既得権益”呼ばわりするのは、いかがなものかと…。

拉致被害者救出のための署名活動等自体を「もたれ合い」と切り捨てる、そうした人たちと連携を探るにあたり、矢面に立つ方々には十分斟酌戴けるようお願いします。

 


放課後児童クラブを調査

2013-10-16 11:26:27 | Weblog

かなり前になりますが、教育民生常任員会の議会閉会中の継続審査として、放課後児童クラブ=睦小睦っ子児童クラブを視察しました。

正会員28名、認定外9名の児童が在籍し、学校終了後午後6時まで延長ありと、指導員の方から説明が。常に家庭的な場所であるよう心がけ、一人ひとりの心の成長を見て支援していく、事務的にならないようにする、遊び場から集団生活を学び理解してもらう――以上が指導上の理念ということでした。、受け入れ対象は35名、希望者が増えた場合は、さらに別のクラブを新設する可能性についても言及がありました。

同視察については、クラブ役員の方から「実情の把握を」との話を戴き、実現に至ったものでした。

そしてつい先日、指導員の方に偶然お会いすることがありました。

視察のお礼、また、指導員の方々の情熱に敬意を申し上げ、その後の状況を伺うと、5名の新規募集に11名の応募があったとのこと。その方は「ほか6名の児童&保護者の方たちに『今回は諦めて』とは、なかなか言えません。また、子どもたちに目が届かないようでは、本来の目的を見失うことになります」と、場合によってはグラブ新設も視野に入れてはいるとおっしゃっていました。

町としては、毎年一回開催の町内児童クラブとの意見交換のなかで、要望&アドバイスがなされているそうですが、それで十分とは判断しかねます。

別れ際、指導員の方から「おちあいさん、たくさん歩い、ていろんな意見に耳を傾けて下さい。期待しています」と、エールを戴きました。

町民生活の深層に迫り、自分も“深化”を遂げる――その意をさらに強くしました。

 


“特徴”としての民主党

2013-10-14 18:19:29 | Weblog

『おちあい誠記ニュース』第13号の完成を受け、ボチボチ歩き始めました。

スタートの地元自治会々員宅では、皆さんに温かく迎え入れて戴き、まずまずといった感じです。

そして今日、隣接する地域を数軒歩きました。そこでは最近一区画が分譲され、半年ほど前に伺った時に比べ10軒ほど増えていました。

あるお宅のドアベルを鳴らし、インターフォン越しに自分なりの挨拶を。すると、「少し待って下さい。今出ます」との答えが。

私と同年代くらいのご主人は「ごめんなさい、眠っていたものだから…」と目をこすりながら、受け取った『――ニュース』を一瞥しひと言、「民主党の人!?」。プロフィールに“民主党栃木県連副幹事長 同青年委員長”と記してしまったことを後悔しつつ、「また何か言われるのかな」と思わずネガティブに構えていました。

しかし、そののちの言及はなく、手にしたウーロン茶のペットボトルで殴られるわけでもなく、「これでも飲んで」と。

維新の会の失速ぶりが揶揄されるなか、民主党もまだまだ逆風の渦中にいます。が、過剰に萎縮する必要もないのかも知れません。

このご主人がおっしゃったように、「民主党の人」という位置づけをひとつの“特徴”として、自身がしっかり受け止める、そういう時期にきているようです。

 

 

 


壬生町議会議員選日程決定

2013-10-09 21:46:13 | Weblog

選挙管理員会から、FAXにて平成26年3月18日告示&同23日投開票の知らせを受け取りました。

う~ん、自分としては同30日執行のつもりでいたので、少々面食らってしまいました。でも町長選挙と同日と考えれば、翌々日が新年度開始というのも、かなり厳しいのかな、って。

悩ましい事例として、暫定総支部=栃木第4総支部の場合、公認申請はどうするのかしら、と。以前は「生活――」に行ってしまった元総支部長の名前で、栃木県連代表宛てで提出していました。基本、支部幹事長中心の動きだったわけですが、現在は私がその職にあり、“手前味噌”極まりないところで…。

民主党執行部は、その先=一年後の統一地方選に重きを置いているそうですが、私を含めたミニ統一選がすっかり忘却の彼方へと葬りさられているのも、何だかなって。海江田代表は歯牙にもかけていない、まさかそんなつもりではないと思いますが…。

まぁ、何とかなるでしょう。

大切なのは、アップした以上、目標に向かって突き進むのみとういこと。一昨日手術を終えたばかりの父が驚異的な回復をみせているように、ここはネガティブ路線から脱却し、アバンギャルドにどこまでも――!!


青年委員会北関東ブロック、後日談その弐

2013-10-05 21:58:11 | Weblog

やっつけ仕事のようで、申し訳ございません。ブログはFb等と連動していないため、敢えてこのネタで…。

青年委員会北関東ブロック研修のバス車中では、栃木県ということもあり、自ずとみんなの党の話題に。

「栃木では、議会内で(みんなの党は)どんな感じですか?」――。

「どんな感じもなにも、町議会レベルでは、みんなはほとんどいないし…」。

「うちの議会は数人(みんなの党が)いるんだけど、少しでも代表の意にそぐわないようなことがあれば即刻火の粉が飛んでくるそうで、結構びびってるようですよ」。

う~ん、もしそれが事実ならあからさまな恐怖体制であり、そんな状況に自分が置かれていたらと思うと、内心穏やかではありません。

最近、海江田代表等執行部と、過去政権の中枢にいた“6人衆”との溝がなかなか埋まらない、との報道がなされました。党のバラバラ感を揶揄するもので、聞いていてあまり愉快ではありません。我々地方議員のレベルでいけば、和気あいあい(すべてがそうではありませんが)なのに…。

他党のゴタゴタについては、「民主党って、そんなんじゃないじゃないですか。互いに言いたいこと言い合って、あとは『あん時はゴメン』で済むし」との意見で一致しました。腹を割って、それでも分かり合えないのなら仕方ないにしても、要は「我こそは」の人間は民主党にそぐわない、そういうことだと思います。