陸海軍けんか列伝

日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。

133、宇垣一成陸軍大将(3) 君と僕は山県有朋傘下の者として親交のある間柄ではないか

2008年10月10日 | 宇垣一成陸軍大将
 12月29日、上原元帥は河合操参謀総長に対して、「今次の政局に対してはお互いに控えておこう」と語った。ところが、12月31日、上原元帥は清浦子爵を訪ねて「大命が降下したら拝辞するな」と勧告した。河合を抑えて自分は動いたのだ。

 大正13年1月1日夕方、清浦子爵は石光真臣中将を上原元帥のところへ行かせ、陸軍大臣候補者の推薦を依頼した。

 上原元帥は「陸相候補者としては福田雅太郎大将と尾野実信大将が挙げられるが、この際は福田大将が適当である」と返事した。

 福田大将は長崎出身。参謀次長、台湾軍司令官、関東戒厳司令官を歴任し軍事参議技官の職にあった。福田大将も尾野大将(福岡)も上原元帥閥であった。

 石光中将は上原元帥の回答をもって、清浦子爵邸に行き、上原元帥の意向を伝えた。

 ところが、清浦子爵は「実は田中義一大将(陸相)から西原亀三を介して、陸軍大臣の後任は、参謀総長、教育総監と協議の上適任者を推薦したい、との申し込みがあった」と石光中将に伝えた。

 清浦子爵は困惑気味であった。田中陸相(田中義一大将は当時山本権兵衛内閣の陸軍大臣であった。総辞職は1月7日)からの申し入れは闇の中でいきなり短刀を突きつけられた感じであった。

 上原元帥は、福田大将を呼び、「清浦子爵から、貴官に陸相の内交渉があろうから、そのときはすぐに回答せず、先輩・同僚と協議したいので時間を頂きたいと述べよ。そして田中陸相に相談し、その結果によっては軍事参議官の会同を求めるか、あるいは個別に訪問し同意を求める。また元帥も個別に訪問せよ」と至れり尽くせり、手を取り足を取り教えている。

 1月4日貴族院議員・福原俊丸男爵(山口県出身)が清浦子爵を訪ね「陸軍大臣候補者は、現陸相田中大将の推薦する者を採用してほしいのです。もしそうしなければ研究会は動揺するでしょう」と告げた。

 これは一種の脅迫であった。清浦子爵は貴族院研究会を基礎にして組閣する決心でいたのだ。福原男爵は上原元帥の動きを察知していた。

 清浦子爵は田中大将とじかに話し合う必要があると思い、来訪を促した。

 清浦子爵は「陸相候補については、上原元帥に推薦を依頼し、福田大将を起用することにした。福田大将は前内閣のときも陸相候補になり、相当手腕のある人だと聞いた。福田大将は君とも親善の間柄と信じていたので、君にも異議はないと思っていた」と田中大将に言った。

 続けて「君と僕は山県有朋傘下の者として親交のある間柄ではないか。今、陸相問題に紛糾を生じることになれば、僕の組閣を困難に陥れることになり、おもしろくないではないか」と言った。

 清浦子爵は山県有朋内相の下で警保局長を勤めたのを皮切りに第二次山県内閣の司法大臣、以後農商務大臣、内務大臣などを歴任していた。

 田中大将はしかし清浦子爵に反発した。「福田大将は関東大震災の際、甘粕正彦大尉の大杉栄殺害事件の責任を取って辞任した。陸相には不適である」と。

 さらに「陸相候補は陸軍大臣、参謀総長、教育総監の三者が意図を一致させなければ、部内の改善進歩はできません」と福田大将起用に反対した。