花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「観世水文様」について

2012-06-06 | 文様について

presented by hanamura ginza


6 月を迎え、東京では雨雲が広がる日がつづき、
曇り空の下で、濡れそぼるように咲く紫陽花が
街の景色に美しい彩りを添えています。

九州地方では、梅雨入り宣言がだされたようで、
東京も、梅雨入り間近となりました。

旧暦の呼び名では 6 月を「水無月(みなづき)」と呼びますが、
1年で一番雨の降るこの月を「水が無い月」と書きあらわすのは
なんとも不思議ですね。

この「水無月」という名前の由来にはいろいろな説があり、
梅雨で天の水が無くなるためという説や、
「無」は当て字で、もともと「の」という意味合いで使われたのではないかという説、
「無」のナという音は、無いの他に鳴る、成る、為すをあらわすものでもあるので、
水の力が鳴り響く月という意味合いがあるという説など、
その解釈はさまざまです。
しかしいずれにしても、「水」と深い関係をもった名前であるといえます。

日本において「水」は古くから
清浄や穢れを祓うものとされ崇められ、
伝統文様にも、
水をモチーフにしたものが多く見受けられます。

水の文様は、季節を問わず、年中着用できますが、
とくにこれからの季節には、
涼やかさを演出するモチーフとして
お着物の意匠に数多く登場します。

今日は、その水の文様のなかから、
「観世水(かんぜみず)」とよばれる文様について
お話ししましょう。

観世水文様は、曲線であらわした流水文様の一部に、
渦巻きを加えたものです。

その名前は、室町時代に能楽の観世流家元が、
この文様を定紋としたことに由来しています。

京にある観世家の屋敷跡には、「観世稲荷神社」が祀られています。
その稲荷神社の傍らには、
観世家の人々が水を汲んでいたとされる
「観世井」、「観世水」と呼ばれる井戸があります。
この井戸の水は、常に渦を巻いていたため、
龍が降りてきてこの井戸に入ったという伝承が残されています。

観世水文様は、この渦を巻いた井戸の水からヒントを得てつくられた文様で、
桃山時代から江戸時代にかけて人気を博しました。
とくに、江戸時代の後期には、
当時人気だった歌舞伎俳優の澤村源之助(四代目澤村宗十郎)が
「小間物屋弥七」役で、観世水を描いた舞台衣装を着たことから
大流行したようです。



上の写真は、大正~昭和初期につくられた
絽縮緬からお仕立て替えした名古屋帯です。
観世水文様と蜻蛉を配し、
水辺の情景が意匠化されています。
紫色の濃淡で染めあらわされた観世水文様からは
涼感と水の透明感が感じられます。

ちなみに、観世水文様のような
流れる水をモチーフにした文様は、
すでに弥生時代の銅鐸に数多く見受けられるようで、
遠い昔から人々は
流れる水に永遠につづく時の流れと、清らかさを
感じとっていたのかもしれません。

観世水文様にも「流れる水は腐らず」
といった意味合いが込められているようです。

6 月 23 日には観世流能楽師、駒瀬直也さんが企画した
『能楽BASARA』が国立能楽堂で開催されます。
「BASARA」は、仏教での薬師如来を守護する神々の中の一人、
婆娑羅大将から名付けられたようで、
南北朝時代に伊達で常識外れの振る舞いを
「婆娑羅」といったことに由来しているそうです。

伝統的価値観を破る、
新しい能の発展を目指した演出となっているようで、
まさに婆娑羅な舞台が見られることでしょう。

そこには、伝統を守りながらも
水の流れのように常に変わりつづけるという矜持が
反映されているのかもしれません。
ある意味、能楽と観世水文様との結びつきが
強く感じられる舞台になりそうですね。
雨が降り注ぐ水無月に観る能もまた、
風流なものでしょう。


※上の写真の「観世水に蜻蛉文 絽縮緬 名古屋帯 」は 6 月 8 日(金)に花邑銀座店でご紹介予定の商品です。

花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 6 月 14 日(木)予定です。

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